養成所時代

ずっと信じている魔法がある。その魔法が百瀬詩子を可愛くしてくれる……はず。それがいつになるのかはまだ全然わからない。

 養成所のレッスンはとてもとても厳しい。どの習い事の先生達より養成所の講師達の方が怖い。今日も大きな声で怒られて辟易する。

 レッスン後、更衣室で汗で少し濡れたシャツを着替える。先生に怒られる時間よりもこの時間の方が嫌い。ほら、聞こえてきた。

「きゃははは! うけるもっかいやって!」

「ぼく、あっ、詩子は……」

「なにやってんのー?」

「一人称間違えたときの詩子の真似!」

 なにも悪いことしてないはずなのに恥ずかしくって正面のロッカーを見つめたまま下唇を噛む。少しだけ血の味がして急いで力を緩めた。なんでそんな馬鹿にされないといけないんだろう。なにも知らない人達に。

 昔は自分のことを「ぼく」と呼んでいた。けれど好きなアイドルに出会って、この子みたいになりたいって心の底から思って、まずは髪型と一人称を参考に真似し始めた。髪型はゆるく巻いたツーサイドアップ、一人称は自分の名前。けれど昔の癖がなかなか抜けなくて、今でもたまに間違えて「ぼく」と言ってしまう。彼女達はそれを面白可笑しくネタにしてよく遊んでいるのだ。幼稚だなと思うだけで済めば良いのだが、そんなに前向きな心は持ち合わせていないもので、今日も悔しさをいっぱい胸に抱きながら、お喋りもせず逃げるように更衣室を抜け出す。

「絶対あの子達よりも先にアイドルになるんだ。そうじゃなかったら一生見返すことなんてできないと思う」

 誰もいないお手洗いで鏡に映る自分と向き合いながら呟く。少しだけ潤んでる瞳は真っ直ぐに少女を見ていた。

 そう誰が見ても少女である。大好きなアイドルに男の子に間違えられたあのときの百瀬詩子はもういない。

「アイドルになれば絶対に可愛くなれる。ステージの上から客席を見ると魔法がかかる。みんなを、あの子達を見返すことだってできる」

 あの握手会の別れ際、ロッテちゃんが教えてくれた言葉を復唱する。それが私を動かす燃料になる。百瀬詩子の目指す先には神山ロッテちゃんがいる。彼女がいるから今がある。

「早くロッテちゃんが言ってた魔法にかかりたいなぁ」

 夢見る少女は呟いて踵を返した。

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