第5話

 四月二十九日。中学生活にも慣れていないのにあっという間にゴールデンウィークだ。とは言ってもしらあいは特別に外出する予定もないみたいで普通の休日とほぼ変わらない長期休暇になりそうだった。

 朝ご飯を食べ終えて食器も片し、食堂でのんびりとゲームをして過ごす午前。そんななか廊下から少年の声が聞こえてくる。

「兄ちゃんー! お父さんそろそろ来るかなぁ?」

 この声はイブキくんちの末っ子くんの声だ。そうか、今日は面会の日なのか。

「たぶんもうちょっとかかるんじゃないかな? でもお昼ご飯と夕飯はお父さんと食べられるはずだからあと少し待ってような」

 イブキくんはいつもと変わらずしっかりお兄さんの振る舞いをしている。彼らの様子を側で見ているとひとりっ子のボクとしてはちょっとだけ羨ましさを感じるときもある。

「なぁに聞き耳立ててんの?」

 ふいに声を掛けてきたのはランくんだった。彼は複数重ねて片付けられたままの丸椅子に腰掛けるとボクの顔をのぞき込んでくる。

「面会ってどんな感じなのかなって思って」

「あー今日イブキくんたち面会っぽいから気になっちゃったか」

「うん」

「面会は親と一緒に外食行ったり施設内の棟で泊まったりするよ」

「そうなんだ。どのくらい経ったら面会ってできるの?」

「そうだなぁ……半年から一年くらい経ったらできるんじゃない? 児相の判断次第だけど。児相がダメって言ったり親に来る気がなければずっとできないよ」

 ランくんが言ったことに「早くても半年はかかるんだね」と納得を口に出す。

「ソラはなんでここ来たの? 親の暴力とかじゃなきゃ早く面会できるかもよ?」

「うーん……、ボクなんでここに入ったかよくわかってないんだよねぇ……。なにも言われないままここに来たから。――ちなみにランくんはどうしてここに?」

「母さんがやばいくらい片付けできないひとだったから、かな? ま、俺も片付け下手くそだから母さんのこと悪くは言えないんだけど」

「やばいくらいってどのくらい?」

「近所から苦情が入って行政が介入するくらいのゴミ屋敷を何回もつくっちゃうくらい……」

 それは……結構やばそうだ……。

「まあこういう理由だったら早く面会できたりするって感じに思っておけばいいと思う。イブキくんちみたいに親の具合が悪いから施設に入るってパターンもあるし――」

 そこまで言ってランくんはパシッと自分の口を手で塞ぐ。

「ど、どうしたの」

「他人の家族のこと許可もなく言いふらしちゃった……」

 俺が言ったって内緒ね! と言ってランくんはそそくさと食堂を出て行ってしまった。

 ランくんが出て行ったあとの食堂にはボクひとり。時計を見れば十時半を過ぎたころだった。お昼ご飯も近いしそろそろヒノデくんも起きてくるだろう。

 誰かと通信してゲームをするわけでもなく、同室のヒノデくんも近く起床する。となると、食堂で時間を潰す必要はあんまりないように思う。

「部屋に戻るか……」

 食堂から廊下に出て自室である七室に帰ろうとしたとき、玄関の方から「兄ちゃんー! お父さん来たよー!」という元気いっぱいな声が響き渡る。この声はイブキくんちの三男くんのものだったはず。その声が届いてすぐ四室からイブキくんが慌てた様子で出てきた。彼の顔はこれから起こる楽しい出来事に胸を躍らせているようだった。

 その顔の喜びと期待に満ちている様子がなんだか羨ましくって、少しの間ボクは誰もいない廊下に立ち尽くしていた。



***



 イブキくん一家が出掛けたあと、ボクはロフトベッドの上で自分の生い立ちについて考えていた。さきほどランくんに聞いたことを加味して、どうして自分が施設に入るに至ったのかを考えようとしていたのだ。

「って言ってもなぁ……」

 けれどめぼしい見当をつけることすらできずにいた。

「ボクはほんとうになにをしてしまったんだろう……」

 ボクのなにがお母さんに『一時保護から引き取らずに施設に入れよう』と決意させるに至ったんだろう? たしかに学校には行っていなかったし家のお手伝いもしていなかった。だからお母さんはボクのことが邪魔になってしまったんだろうか。

「うーん……」

「なぁに悩んでんの」

 突然向けられた声にびくりと身を揺らす。隣のベッドを見ると見るとヒノデくんが「よぉ」と笑っていた。

「びっくりしたぁ……」

「ちなみに「って言ってもなぁ……」って呟いてるときにはもう起きてたぞ? 俺に気がつかないほどなにをそんなに悩んでるんだ?」

 身を起こしながらながらヒノデくんはボクに問う。ボクは素直に胸の内を吐露した。

「――なるほどねぇ。本当に全然心当たりないのか? これっぽっちも? あ、一応言っておくが疑っているわけじゃないぞ。珍しいなって思ってるだけだ」

「ちょっとだけ他のひとがどうして施設に入っているのか聞いてみたんだ。でもどれにも心当たりはあんまりなくて……」

「あんまりってことはちょっとあるのか?」

「ランくんの家族は片付けが苦手だったって聞いたんだけど、ボクの家もあんまり綺麗じゃなかったなぁって思って……。でも行政が介入したりはなかったから、そんなに施設に入るほどじゃないなって感じ……。親の具合が悪くて施設に入るパターンもあるって聞いたけどお母さんは別に入院が必要だったり介護がいるほど具合悪くはなかったし……」

「具合の悪さに関しては本人の感じ方とかあるから言及は難しいが、まぁたしかに家の環境が〝少々荒れている〟程度なら経過観察に留まるケースがほとんどだろうな」

「うん。だから一時保護されて、そのうえ施設に入っているのがなんでだろうって、ちょっと不思議ですらあるんだ」

 ヒノデくんはベッドの上で姿勢を直してあぐらをかく。彼の黒髪が天井にわずかに擦れた。

「なんつーか、あんまり聞くべきじゃないかもだけど、ソラは施設に入りたくなかったか?」

「自分が施設に入るなんて思ってなかったから、しっかりとはわからないけど、たぶん、入りたくなかったと思う」

「そっか。まあふつーはそりゃそうだわな。愚問だった」

「でも今は違うよ。まだここに来て1ヶ月も経ってないけどみんなと一緒に住むのなんとなく楽しいから……、だから今はあんまりマイナスなことは思ってないよ」

 ボクの言葉を聞いたヒノデくんは「うん、楽しいならいいか」と微笑んでくれる。

「悩んじゃうのは仕方がないと思うけどその答えが見つからないことでソラが自分を責める必要は一切ないぞ。わかっているとは思うがこれだけは一応言っておく」

 彼のその言葉に心配が滲んでいるのを感じて、ボクは取り繕うみたいに「大丈夫だよ」と下手くそに笑った。けれどその不器用な笑みの下では正解の出せない問題へ変わらずの『どうして?』が渦巻いていて、ボクを不安にさせていた。



 ***

 

 ボクたちが夕ご飯を食べ終えた頃イブキくん一家は帰ってきた。次男くんの手には大きな紙袋が下げられており「お父さんがみんなで食べなさいってクッキー買ってくれた! チョコとプレーンがあるからみんな一個ずつどーぞ!」と食堂のテーブルの上に箱を広げる。

 結局その日のうちにボクの探していた答えが見つかることはなく、今日も一日を終える就寝時間まで残りわずかになってしまっていた。

 イブキくん一家が今日の面会の話をしている。ボクは耳をそばだててこっそりその会話を聞いていた。楽しそうなその会話を羨むことしか今のボクには出来そうにない。

「俺も面会したいなぁ」

 ふいに、ボクの気持ちを代弁するみたいに呟いたのはヨリトくんだった。ボクはなんだか意外だと思ってつい「ヨリトくんも?」と聞いていた。

「うん。俺面会したことないから」

「そうなの? でもしらあいに一番長くいるんでしょ?」

 ボクの疑問にヨリトくんは「そうなんだよねぇ」と苦笑する。

「俺乳児院の出身でさー、本当にずーっと施設育ちで親に一度も会ったことないんだよねぇ」

 なおも苦々しい笑みを浮かべながら彼は話す。

「俺には会う意思があるんだけどさ、でも上手くいかないもんで会う機会には結局今の今まで恵まれずだ」

「ヨリトくんはなんでそんなに小さいころから施設にいるの?」

「え? さぁ? 知らない」

「知らないの? 気にならない?」

「うーん? さすがに人生で一度も気にしたことがないなんてことは言えないけど、もう気にしても答えが出ないことに分類されているからそんなに気にしてないかな。俺はもう『どうして』を気にする過程を終えてしまったんだろうね」

 むしろソラは気になるの? ってヨリトくんが聞いてくるから、ボクは頭をこくこくと縦に動かして「すごく気になる」と返事をする。

「そっかぁー。まー悪いことじゃないから気になるなら気にしてればいいんじゃないかな。でもそれで苦しくなることはないよ。きっとそのうちどうにか自分を納得させられるときが来るだろうから」

 ヨリトくんの視線はボクではなく面会の思い出を話す一家に向けられている。その視線の渇望で乾ききった視線はボクの目に少し怖く映った。

 答えが見つからない問題を解消したいという想いがいつか自分の納得する形で終わりを迎えたらいい。ボクは楽しげな『家族』を眺めてそう願う。

 いつくるかもわからないその終わりがボクの心を軽くすると信じて。   

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