第4話
四月五日、今日も無事に目が覚める。まだ眠っているヒノデくんを起こさないようにベッドから降りて手洗い場へ歯を磨きに行く。
「ソラくんおはよー」
朝ご飯の準備を手伝いに行く小学生に挨拶を返しながら朝一番の歯磨きを済ませボクも食堂に入っていく。
中では今日もゼンくんが小学生にまざって朝食の準備をしていた。ゼンくんはとても真面目だなぁなんて思いながらボクも邪魔にならない程度にその手伝いに加わる。
「ソラはしっかりしてるし真面目で良い子だな」
なんてことない手伝いをするボクを見ながら不意にゼンくんが言った。その言葉に「ゼンくんの方がしっかりしてて真面目で良い子だと思うよ?」と本心をそのまま返す。そうしたら彼はちょっと辛そうな苦笑を浮かべながら「いや、俺はダメだよ。根っこがダメなんだ」と小さな声で否定した。
***
「ゼンくん、あのさ」
朝ご飯を食べ終えて食器を片付けるために席を立つ彼を呼び止めて、ボクは一つのお願いをする。
「施設の敷地内のことを教えてほしいんだけど……」
「ああ、そっか。調理棟におやつを取りに行ったりはしたけど詳しい説明はしてないもんな」
いいよって彼は微笑んだ。そしてボクに後をついてくるように言うと歩き出す。
ゼンくんに連れられて職員室に行って、大塚さんに「ソラと外行ってくる」と伝えた彼はそのまま玄関に靴を履きに行く。それに続いてボクも靴を履いて一緒に外へ。
「えっとまず男子寮が青の名前で女子寮が赤の名前なのは知ってるよな?」
「うん」
「大きな平屋の建物を丁度真ん中で半分にして二寮ずつになってるんだ。ちなみに間取りも左右対称になってる。そんじゃまず西門の一番近くにあるのが『ぐんじょう』でそれとセットになってるのが俺たちの住む『しらあい』。そっから東門に向かって行くと順番に「あさぎ」「あかね」のセットがあって、『こんぺき』『もみじ』、『もも』『ざくろ』、『ちぐさ」『さんご』って男女五寮ずつ全部で十寮ある。東門側の一番端二ある寮は『さんご』だけど、その奥にももうひとつ体育館がある」
「体育館?」
「そうたまにバザーとか任意参加の美術教室とかあってそういう行事の会場になってる」
「そんで『もみじ』と『もも』の向かいくらいに昨日行った調理棟があって、調理棟の隣は日中幼児が通う託児所になってる。あとは『ざくろ』『ちぐさ』の間にも別棟があるけどあそこは家族が面会とか来たときに使うらしいってイブキくんが言ってた」
丁寧な説明を聞きながらひとつひとつの建物の外観を見て歩く。寮の中には慣れてきた気がしていたけれど外はまだまだ知らないことが多いからとても新鮮だ。
「そんでここがちぐさ寮とさんご寮の丁度向かいだけど、見てのとおりめちゃくちゃ広いグラウンドになってる」
「サッカーゴールとかバスケットコートとかあるね。すごい」
「『こんぺき』とか『ちぐさ』の子はよくサッカーしてるよ。バスケは高校生くらいのひとがやってることが多い印象があるかな」
「しらあいのみんなは?」
「しらあいはインドア派集団だからあんまり。でもやりたくなったら小学生の連中とか他寮のやつとか誘えば人数は余裕で集まるだろうからメンバー集め自体は楽だと思う」
グラウンドの説明を終えたゼンくんは今度はグラウンドの奥へ向かって歩いて行く。ボクも急いでそれに続いた。
「そんでこっちが北門。北門の前では年に一回六月くらいにこの施設の学祭みたなものをやったりするってランくんが言ってた。焼きそばとかフランクフルトとか売る出店を出したりもするらしい。まあ俺が去年ここに来たときにはもう終わってたからよく知らないんだけど」
「門の前にあるあの大きな建物は?」
「あれは職員棟。事務さんとか学園長とかが仕事する場所って思っておけばいい」
職員棟の隣を通り過ぎるとまた別の建物があった。「あれは?」と尋ねると「あれはプール」となんでもないように返答される。
「ぷ、プールがあるの?」
「うん。しっかり25メートルある普通のプールと幼児用の小さいプールがある。夏休みになったらソラも入れるよ」
「……ちょっと楽しみ」
「ちなみに泳げる?」
「前は泳げたけど三年くらいプールに入ってないからどうだろう」
「でも楽しみだって思ってもらえたらならよかった。プールとか苦手なひともいるから……」
「しらあいにもいるの?」
「うん。ヨリトくんとかヒノデくんとかは基本入らないかな」
ヨリトくんはなんとなくイメージ通りだけどヒノデくんはなんだか意外だ。彼はむしろ大はしゃぎでクロールとかするタイプかと……。
「建物はこんなもんかな。まぁどれも別にいま覚える必要はない。それを使うイベントが起これば自然と覚えるだろうし」
「ゲームと一緒だね」
そんなことを話しながらボクたちはしらあいへの帰り道を行く。
***
寮の玄関で靴を脱ぎながら「ただいま」を言った。そうすれば職員室の奥から「おかえり」と大塚さんの声が聞こえてくる。
「ゼンとソラ、ちょっと職員室きて~」
大塚さんのその声にボクとゼンくんはなんだろうと顔を見合わせた後、二人揃って素直に職員室に向かった。
入室したボクたちを見た大塚さんは「ちょっと待っててね~」と宿直室のドアを開けると中からランチトートを取り出した。そのバッグに見覚えがあったボクは思わず声をあげる。
「あっ! それボクのですよね!?」
「うん。ソラのお母さんから児相経由で携帯ゲーム機一式届いたから渡しておくね。中学生は自分でゲーム機の管理をさせてるけどあんまりやり過ぎるようならこっちで管理するから気をつけるようにね」
「はい!」
ボクは机の上にバッグを置くとチャックを開けて中を確認していく。一時保護された一月から実に三ヶ月以上も離ればなれになっていたボクの宝物。それを前に目を輝かせ、ひとつずつゲームカセットのタイトルを確認していく。
「えっと、ソラが呼ばれた理由はわかったけど俺はなに?」
「ゼンにはこっち」
そう言った大塚さんの手には手紙が一通。それを見たゼンくんは少し哀しそうな顔をした。
「ありがとうございます」
「じゃあ用事は以上だからもう行っていいわよ」
そう言われて職員室を出て廊下に出たはいいものの、宝物を手に入れてうきうき顔のボクとは対照的なゼンくんが気に掛かり、けれど話のとっかかりすらも上手く見つけられなかったボクはぎこちなく「それ誰から?」と聞くので精一杯だった。
「ああ、これはお母さんから」
「そっか、ゼンくんのお母さんからなんだね。……えっと、あの、答えづらいと思うからはぐらかしたり答えなくてもいいんだけどさ、どうしてあんまり嬉しそうじゃないの……?」
ゼンくんはずっと手元の手紙を見下ろしている。その顔はやっぱりどう見ても哀しいとか辛いとか、そういう感情で溢れているように見えた。
「……あぁ、もう、ダメだな……ごめん」
絞り出したように言った彼はぽつりぽつりと話し出す。
「俺の母さんさ、今警察に捕まってんの。なんでだと思う?」
突然の質問にボクはうろたえながら「えっと、悪いことをした、から……?」と答える。
その返答にゼンくんは「そりゃそうだ」と苦笑した。
「違法薬物だ。大麻や覚醒剤って言ったらわかる? そういう法的に使っちゃダメな薬を使ったのがバレて捕まった」
彼は「まったくもってバカだよなぁ」と呆れているように呟いて、大きな溜め息を吐くとまた話を続ける。
「捕まったこと自体は良かったと思ってる。悪いことをしたなら罰せられる必要があるんだから。刑務所とかリハビリ施設とかで更生してくれるんならその期間俺が施設に入るのも仕方がないことだって思ってる。結構これでもいろいろ割り切っているはずなんだ」
「割り切っているなら、どうしてそんなに今も辛そうなの?」
「母さんはもう罰せられて、その罪を償うために刑務所なりに入っているんだからもういい。――……でも俺はまだ、まだ罰せられてないからダメなんだ」
今の話の中でゼンくんが悪い部分がボクにはわからなかったからボクはちょっとだけ怪訝な顔をしながら「どういうこと?」と尋ねる。
「母さん、俺が腹の中にいるころ――いやそれよりも前から薬物依存だったらしい。俺が腹の中にいるときも、生まれたあとも、あのひとずっとずっと〝吸ってる〟んだよ」
彼はとうとう持っている手紙をぎゅっとぐしゃぐしゃに握り潰してしまう。それほどの感情がいま彼の中で渦巻いている証拠だろう。
「俺も吸ってるようなもんなんだよ。自発的じゃなくても、望んでやったことじゃなくても、俺も悪いもの体内に入れちゃってて、無自覚に悪いことに加担してて……なのに、誰からも責められずに、罰せられもせずに、今もこれからも『善』を名乗り続けなきゃいけない」
そのとき不意に今朝のゼンくんとの会話がよぎる。今朝ゼンくんが言っていた『根っこがダメなんだ』ってもしかして……。
「俺も母さんと同様に罰を受けるべき立場にいるのに、なにも償いらしいことしてない。施設に入ってのうのうと暮らしてる。環境に甘えて、今日も楽しく生きてしまう。でもそれじゃ絶対にダメなんだよ」
絶対にダメなんてことはないよって、その一言が言えず、ぼくはただ彼を見つめることしかできない。
「……なに廊下の真ん中で立ち止まってんの? めっちゃ邪魔」
それはボクたちへ向けての声だった。
「あ、ミズキくん……」
五室から出てきたミズキくんを見て、そういえばここは丁度四室と五室の手前だったと思い出す。そんなところで喋っていたらそれはたしかに邪魔だろうし、気になって様子を見に来ても不思議じゃない。
ミズキくんはボクのことなど放ってゼンくんに歩み寄る。対するゼンくんは苦手なミズキくんが近づいてきて緊張で顔を青くしている。
「あの、部屋の前で喋ってごめ――」
謝罪を口に出している最中のゼンくんなど気にも留めず、その手にある握り潰されてくしゃくしゃになってしまった手紙をミズキくんはひったくる。
しばらくの間ボクとゼンくんはミズキくんがそれからなにをするのかを眺めていた。ボクはもしかしたら手紙を破り捨てたりするんじゃないかとハラハラしていたが彼はそんな酷いことはせず、ただ封筒の皺を丁寧に伸ばすだけだった。
しばらくしてミズキくん手を止め「返す。あとは本にでも挟んどけ」そう言ってゼンくんの手に手紙を渡す。まだまだ皺は残っているがさっきより随分ときれいになったように思う。
「ミズキくん、手紙……きれいにしてくれてありがとう」
「別に」
そう言ってミズキくんはまた部屋に戻っていく――かと思いきやもう一度こちらを振り返って口を開く。
「さっきの話、全部じゃないけど聞こえてた」
ゼンくんは今から何を言われるのかと身構えている。それはボクも同じで、もしゼンくんが傷つくようなことを彼が言ったらどうしようとドキドキしていた。
けれどそれは杞憂だったのかもしれない。
「罰はもう受けてんじゃないの?」
「え……?」
「刑務所生活みたいな一時保護受けて、まったく知らない土地でまったく知らないやつらと生活させられて、挙げ句同室になったやつに無実の事柄で詰め寄られてシメられて。それが罰ってことでいいんじゃねぇの」
「……俺はそれだけじゃ軽いと思う」
「それはおまえの判断だろ。でも世の中で罰を決めるのはいつだって公正で客観的視点を持つ他人だ」
ゼンくんもボクも黙ってミズキくんの話に耳を傾けている。
「それに情状酌量ってものもある。罰を受けるべきとされている当人の生い立ちや諸事情を考慮して刑罰を軽くすることをいうが、おまえがその悪を背負う過程には償いとして受けるべき刑罰を軽くするに値する事情があると大抵のひとは判断するだろう。公正な客観視をもってしておまえは減刑されるってわけ」
それだけ言うとミズキくんは部屋に帰って行った。パタンとドアが閉まるのを確認して、ゼンくんは緊張の糸が解けたように息を吐いた。
「ちょっと手紙置いてくる。ミズキくんの言うとおり本の間にでも挟んでおこうと思う」
「すぐ読まないの?」
「どうせ近況報告とか謝罪とかしか書いてないからいいよ」
彼は自室である四室に入って要件を済ますとすぐに出てくる。表情はまだちょっと暗く見える。
「あの……!」
ボクは意を決して発言する。
「さっきのミズキくんの話、ボクも彼の意見に賛成だ。罰らしいことを課せられてるわけじゃないってゼンくんは思っているかもしれないけれど、それでもここに来るまでのことやここにいることは罰だとボクは思う」
彼はまっすぐにボクを見ている。その視線がボクに続きを促しているような気がした。
「これは提案だけど、きみが退所するまでの期間を〝刑期〟ってことにしてみたらどうかな……?」
「刑期?」
「うん。ここにいることはそういった刑だと思うんだ。お手伝いをするのも、知らないひとたちと集団生活をすることも、それは一種の刑ってことにするんだ。それならきみは立派に罰を受けているし、それを償うために頑張っているって思えるんじゃないかな」
「………………俺のことを思って提案してくれたことはわかってる、けど、俺はそうは思えないよ」
「それは、どうして?」
「俺が施設にいることを刑罰みたいに扱ってしまったらヨリトくんやイブキくんみたいな自分は悪くないのに施設にいるひとたちまで悪いことをしてここにいるみたいになっちゃう気がする。それはあまりに失礼すぎる。ヨリトくんだってイブキくんだって俺みたいに悪いことをしたわけじゃない。俺が施設にいることを罰だと受け取ることで同じ境遇に立っている他のひとまで巻き込んでしまいそうで嫌だ」
「……そっか」
「でもソラやミズキくんの気持ちはうれしかったから、ありがとう」
彼の言葉にやっぱりきみは『善』の人間だって思いながら、ボクはただ「うん」と頷いた。