第6話
訪れる幸運に対してその不幸の進行はあまりに残酷なほど緩やかすぎて、まさに遅効性の毒だった。
TAKARAちゃんの存在は一世を風靡した。世はそれを『TAKARAちゃんブーム』と称し、社会的にも経済的にも大きな影響を与えた。
その頃になるとだれもがTAKARAちゃんの存在を知っていた。どんなに芸能に疎くても〝『TAKARAちゃん』とは『神様でソロアイドル』〟だと認識していた。
信じるというより当たり前になっていた。世界がTAKARAちゃんとは神様であってしかるべきだと捉えていた。
その当たり前が決壊の要因になる。
信仰者からの要望が日に日に増す。TAKARAちゃんなら、神様なら、できて当然でしょう? と程度を越えた要望が増えた。
期待に応えれば信仰が増し、応えられなければ不信感が増す。常に期待を超え続けなければいけない状況に真っ先に危機感を覚えたのは総合プロデューサーだった。
「一旦ファンの熱が冷めるまで活動を休止させる」
「待って! わたしまだやれますって! 歌も踊りもまだ頑張る余地あります! 頑張れます!」
「頑張る頑張らないの問題じゃないんだ。下手したら暴動が起きるぞ」
「TAKARAちゃんなら上手くやります! 今までだってできてたし、これからだってやり続けます! だって――」
「神様だからか? いい加減にしろ! TAKARAちゃんじゃなくて宝寿意志が先に壊れるぞ!」
「宝寿意志がダメになっても『ことぶき いし』と『TAKARAちゃん』さえいれば活動は続けられるはずです!」
「違うんだよ宝寿さん! もう暗示でどうにかできることを超えているんだ。きみは神様じゃない。TAKARAちゃんの精神を降ろした宝寿意志がいくら崇高な神様そのものであったとしても、その力や技量は人間のままなんだ」
「でもTAKARAちゃんが活動を止めたら信仰者のみんなはどうするんですか?
TAKARAちゃんはずっとみんなの前に立ち続けるって約束したんです。約束を守れない神様なんて、そんなの……そんなの神様じゃないじゃん……」
その場にへたり込んだわたしは弱々しく鼻をすすった。
「ひとまず二ヶ月の休養とする。上層部がどう意見しようと二ヶ月は確定だ」
「今入ってるお仕事は……?」
「うちの事務所の適切なアイドルやタレントに代わってもらう」
「まってください! TAKARAちゃんに来た仕事はTAKARAちゃんが適切だからこそ来た仕事だと思います! だから他の子に務まるはずがない! じゃあもう新しいお仕事は断ってもいいです、でも引き受けた仕事はやらせてください!」
頭を下げて懇願した。床に涙の水滴がぽろぽろと落ちる。
「たしかにTAKARAちゃんの代えは利かない。だからこそ今、絶対に宝寿さんを休養させる。今後もTAKARAちゃんをうちの事務所のアイドルとして活動させるためにはそれが必要なんだ」
プロデューサーの想いは最後まで揺るがなかった。
♪♪♪
事務所の公式ホームページに休養のお知らせが出た。いろいろな部分をぼかして書かれた公式声明が出されてすぐは様々な憶測が飛んだが、それも数週間経つと落ち着いた。
新たな活動がなければTAKARAちゃんブームも冷めてくる。熱が引くということは即ちTAKARAちゃんへの興味が失せることに直結していた。
休養している間わたしはずっとエゴサをしていた。検索ボックスにTAKARAちゃんの名前を入れて数分おきに内容を確認して、複数の端末を使って良い反応と悪い反応をそれぞれ別のアカウントでブックマークしたり、ミニライブのときにTAKARAちゃんを褒めていたアカウントを覗きに行ってなにか関連した発言をしていないか見た。
良い反応を見れば「まだ信仰者はいる」と安心できたが悪い反応やSNSのフォロワーが減る様子を見るとどうにもじっとしていられなくてプロデューサーに休養を早く終えさせてくれないかと連絡を入れたりした。
そんな様子から今後を危惧したのか、当初二ヶ月だった休養期間はどんどん伸びた。
♪♪♪
休養を開始してから半年が過ぎたころ、どこかの記者がとある記事を書いた。『ソロアイドルは絶滅した』ってタイトルで今まで一世を風靡したソロアイドルを振り返りながらどうしてソロアイドルは滅びたのかを説く記事だった。
その記事の最後に紹介されていたのが『TAKARAちゃん』だった。
わたしは、その出版社に殴り込みに行こうとか記者を刺し殺してやろうなんて物騒なことを考えながらただ泣いた。泣いても泣いても、いつまでも涙は涸れなかった。
わたしが頑張れなかったから、だからTAKARAちゃんをもう〝いないもの〟として扱うひとが出てきたんだ。わたしが無力なばかりに、TAKARAちゃんの信仰がどんどん落ちていく。
声を押し殺して泣きながらわたしはヘッドホンをかけ、もうすっかり投稿することもなくなった動画サイトを開く。流す曲は決まっていた。
『愛らしき桃色の=賛歌Ⅰ=』
動画サイトの概要欄に書かれた「神様を讃えるうたⅠ」という文面がとても懐かしく思える。
そういえばTAKARAちゃんがみんなに知られるようになったのは賛歌Ⅱを出したあとだったから、この歌を出したころはわたし以外だれもTAKARAちゃんのことを知らなかったんだよね。
最初はただわたしの胸の中で大切にするだけで満足していたのに、いつのまにかいろんなひとにTAKARAちゃんが信仰されることばかり追いかけてしまっていた。
「わたしひとりに信仰されるのと、たくさんのひとに信仰されるの、TAKARAちゃんはどっちの方が幸せかな……」
たぶん今初めてTAKARAちゃんの気持ちを考えたのだと思う。わたしはいつもいつも〝宝寿意志〟の気持ちしか考えていなかった。
わたしはTAKARAちゃんのファーストアルバムを取り出すと神託シリーズを順番に聴き始めた。
神託シリーズはその名の通りTAKARAちゃんが皆に与える神託についての歌だ。歌われているお告げは様々だが共通していることがある。それは『いつでもわたし――TAKARAちゃん――の名前を呼ぶこと』である。
「名前があるってことは存在の証明で、名前を呼ばれることはそこに〝いる〟証明だもんね」
全部ただのわたしの勝手な思想だけど。
面接のとき「TAKARAちゃんへの信仰の源は一種の自己愛か?」と聞かれたとき、わたしはそれを否定した。けれど本当はたぶん、自己愛なんだろうな。それはTAKARAちゃんの在り方がわたしの自己理想と合致していることが証明している。たぶん他人から見てもTAKARAちゃんは〝わたし自身の理想のわたし〟なのだろう。
「――……目的を見失ったり見誤ってはいけない。わたしが今やるべきことは一度死んだことにされてしまったTAKARAちゃんを復活させること。そのために今はしっかり休んで精神面を整えて、新しい楽曲を作ったりして、次に信仰者のみんなの前に出るときを万全の状態で迎えられるようにするの」
自分に活を入れなおしてわたしはパソコンの前に急いだ。電源をつけ、DAWソフトが立ち上がると新規プロジェクトを制作する。
「次の曲はシリーズものじゃなくて単発の曲にしよう。タイトルは『Come alive again』。TAKARAちゃんは再び生き返る」
ドラムやベースを打ち込みながらわたしはずっとTAKARAちゃんのことを考えていた。思えばTAKARAちゃんの信仰者を増やすことに躍起になってTAKARAちゃん自身のことを考える時間がすっかりなくなってしまっていた。そんなことにも気がつかないくらいわたしは追い込まれていたらしい。
「ねぇTAKARAちゃん。今のわたしってやっぱりダメなのかな……?」
ちょっとだけTAKARAちゃんが返答できるくらいの間じっと黙ってみたけれど、当たり前のようにどこかからTAKARAちゃんが返事をしてくれるようなことはなく、ただ静まりかえるだけだった。
「ねぇTAKARAちゃん。やっぱりわたしがTAKARAちゃんなのかな? わたしはね、TAKARAちゃんとわたしは別のものだと思っているんだ。それってやっぱりおかしいことなのかな?」
またTAKARAちゃんが返事をする余地を作るように黙って、しばらくしてまた口を開く。
「ねぇTAKARAちゃん。わたしが今まで通り降神させなくても……TAKARAちゃんの真似っこするだけで本来の、わたしの理想のTAKARAちゃんらしくできなくても、TAKARAちゃんの名前を借りて活動しても許してくれる……?」
返事はもちろん返ってこない。けれど問いかけただけでなんだか胸がすいたのはたしかだった。
「ねぇTAKARAちゃん。やっぱり名前を呼ぶってことはそこに存在する証明なんだね。さっきからTAKARAちゃん、TAKARAちゃんって問いかけ続けてたら、なんだかそばでTAKARAちゃんが作業を見守ってくれている気分になってきたよ」
ひとりごとを喋り続けながらひたすら、マウスをカチカチと鳴らしてピアノロールにバーを引いていく。
わたしはその日の作業を終えるまで、ずっと「ねぇTAKARAちゃん」とTAKARAちゃんに問いかけ続けた。たとえ返事なんてもらえないとわかっていても、TAKARAちゃんの名前を呼べることがうれしかった。