第2話

 TAKARAちゃんにとって最初のお仕事は歌の収録だった。『ことぶき いし』名義で投稿した『賛歌シリーズ』とそれ以外にもこれまでに制作した未投稿のTAKARAちゃん関連ボーカル曲を合計で十二曲集めたTAKARAちゃんのファーストアルバムに収録される楽曲のレコーディング。それが初仕事だ。

 すべての曲のデモ音源は事前に音楽ディレクターに提出済みで、それを聴いてくれたらしいディレクターは打ち合わせ中に「音源を聴いたところ理想のTAKARAちゃんの歌声があるみたいだったけど」とわたしに問いかけた。

「はい! 歌声は少し癖があるがどこか落ち着いていて安定感があるって感じです!」

「君の中に確かにその神様の歌声が存在して、それに似るように歌声を加工してデモ音源を作ったよね? 神様らしい音色にするなら僕はあまり加工は推奨しない。聴いたところガチガチに加工してあるようではなかったから、歌唱法次第で歌声は似せられるはずだ」

「歌い方でTAKARAちゃん特有の癖を表現するってことですか?」

「そう。しゃくりやこぶしなどで特徴付けるんだ。『ことぶき いし』の歌声や歌い方とは差別したいみたいだから〝『TAKARAちゃん』独特のもの〟に仕上げよう」

 歌い方を癖づけて〝『TAKARAちゃん』独特のもの〟に仕上げる……。わたしが黙って考え込んでいる様子をみたディレクターは一度大きくのびをすると「ブースに入って試しに何度か歌ってみてごらんよ」と言い、収録ブースの扉をあごで示した。

 わたしは緊張が表れたような足取りでブースに踏み入る。神様であるTAKARAちゃんの歌を収録するそこはとても神聖な場所のように思え、思わず固唾を飲んだ。

 自分で作った曲だし自分の理想の歌い方もある。けれどそれを形にするのは難しかった。女神の囁きのようなウィスパーボイスを意識しても上手く息が維持できなくて後半が掠れてしまう。しゃくりもビブラートもこぶしも得意じゃない。息の使い方も下手だからすごいロングトーンだってできない。あるのはピッチとリズムの正確さだけ。アレンジを加えるとなるとなにもできなかった。面接のときは歌唱力は申し分ないなんて言われたが自分では作って表現するのが専門で歌って表現するのは苦手な自覚があった。

 何度かAメロを歌い直したがディレクターも録音したものに納得していない様子だ。

 早くも壁にぶつかった曲は『神託シリーズ』と題された神様から民衆や信仰者に向けた歌の一曲目であり、TAKARAちゃん自身が歌うから意味のある楽曲だった。

「TAKARAちゃんは比喩ではなく本当に神話などで語られるような神様なんだよね? そしてこれを歌っているのは賛歌シリーズのような人間ではなくTAKARAちゃんという神様自身、であってるよね?」

「はい。TAKARAちゃんは正真正銘の神様でソロアイドルです。そしてこの曲はTAKARAちゃんが歌ってこその曲です」

 わたしの返答を受けたディレクターは口をゆがめながら頭を掻いた。

「うーん、この歌い方は完全にただの人間だよ。神々しさみたいなものを一切感じない」

 ガーンとコメディみたいに頭上からたらいが落ちてきたみたいな衝撃が襲う。

 ただの人間……TAKARAちゃんとしての歌に対してあってはならない評価。

「人間っぽくだったら感情をむき出しにすればいいし機械っぽい感じならもっと別のアプローチをしたりあとから声質をゴリゴリに加工したりすればいいけれど神様らしさを表現するならもっとそれに対する解像度を上げなければいけないよ? きみのそれはあまりに人間くさすぎる。あくまで賛歌シリーズ同様に神を讃美する人間側視点の歌唱ならそれで構わないが、そうではないのだろう?」

 わたしはこくんと頷いてそのまま顔を上げられずにいる。

「まず君自身がTAKARAちゃんという神様を理解しなくちゃ。その神は人々のなにが好きでなにを与えている? なんでそこまで繁栄するほど信仰されている?」

「TAKARAちゃんは愛と芸術と人々の祈りが好きで、どこにいても届くずっと消えない歌を与えています。TAKARAちゃんの歌はいつだって信仰する者を正しき明るい道に導きます。そうやって導いてきたことが語り継がれていて、今もTAKARAちゃんがTAKARAちゃんを信じる者を導いているから、だから信仰は途絶えないし、愛されています」

「じゃあどんな歌届けてるの?」

「心音みたいな、ずっといつまでもそばにいる安心できる音色を奏でます。でも心音みたいにどこにでもあるような音じゃないです。その音色は一度聴いただけでTAKARAちゃん――神様が歌っているってわかる音です」

「じゃあ人間がその音を出すことはできない?」

「うーん……人間にも真似事はできると思います、でも完全に一緒にはできないです。それは神様が神様であるから出せる音色なんだと思います」

「あとは表現だが、TAKARAちゃんと呼ばれる神様はきっとさっきの君みたいにすごく固い雰囲気で歌を歌ったりしないはずだ。もっとリラックスしていてどこで祈っているひとにも届く伸びのある声や歌い方をする。そうだろう? あとはきっともっと甘美な音色を出すのだろうね。昆虫が花や樹液の香りにつられるように、人々もTAKARAちゃんの奏でる甘い音色につられるのだと思うよ」

 たしかにTAKARAちゃんの歌はこんなに固くはないだろうし、きっと蕩けるような甘さを持っている。幸福が音色になったように優しくてかわいらしい薄いピンク色をまとっている、そんな音色が理想だ。

 改めて歌ってみてと言われて、わたしは「二分時間をください」と頼んだ。ディレクターは「いいよ」と言って腕時計を眺めはじめた。

 TAKARAちゃんはどのように人々に神託を与える? 自分が加護する者達に、どのように神託を届け、安心させるのだろう?

 想像しよう、TAKARAちゃんが歌う姿を。きっと優しい風が彼女の髪を撫でてなびかせて、その風に乗るような柔らかな声でゆったりとこの歌を奏でる。人工的に作られた甘さじゃなくて、もっと花の蜜みたいな甘さで、力まず軽やかな鼻歌みたいな音色――。TAKARAちゃん自身はきっと遠くに届けようなんて思っていない。それは自然と、皆に〝届く〟ものだ。

「もう大丈夫です。……次、全部通しで一発録りでお願いします。曲流してください」
 
   ♪♪♪


 それからほぼすべての楽曲を休憩なしで一気に録り終えたわたしは早々に帰宅して自室のベッドの上でだらりと力なく横たわっていた。

 指摘を受けてからのテイクは自他共に認めるほど完璧で、ディレクターは見違えたように目を丸くしてわたしを眺めていた。ぼーっとする彼に活を入れるように「なにか掴めた気がするので次の曲お願いします」と言えばすぐさま準備を整えてくれた。

 なんというか、あれは一種の降神に近い状態だった。わたしが依り代になって神様――TAKARAちゃんを顕現させたみたいな……。自分でもわかるくらい結構すごいことだった。

「弱気なこと言っちゃいけないけど正直二度目はない気がする……」

 CDを超えられないアイドルだなんて不名誉をTAKARAちゃんにつけられたら怒り狂った挙句に倒れてしまいそうだ……。しかしわたしはまだくたばるわけにはいかない。次の仕事が待っている。次はアルバムお渡し会を兼ねたミニライブだった。TAKARAちゃんの重要事項に『歌唱は生歌』というものがある。要するに生で今日収録した曲達を歌わなければならない。

「また降神、させられるかな……」

 ベッドに突っ伏してTAKARAちゃんが歌い踊る姿を想像する。TAKARAちゃんみたいに生歌で今日みたいに完璧な歌が歌えるかなとか、次のミニライブではあまり踊らないと聞いていたけれどそれでTAKARAちゃんが踊れない子だと勘違いされたら嫌だなぁとか、色々考えていたらだんだんと胃が口から飛び出そうになる感覚に襲われる。

「できるとか、できないとかじゃない。TAKARAちゃんを本物にするって決めたのだから、それなら最後までそれを突き通さないと。そうじゃないとわたしは死ねない」

 思えば昔から意志の強さだけが性格の取り柄だった。気難しくて友達は全然いなかったけれど何かを突き通すことに関しては十分すぎるほどできた。

「意志って名前だからかな……名は体をって言うし」
 TAKARAちゃんもそうかな? わたしのためのソロアイドルであり神様で、わたしの一番の〝宝〟だからTAKARAちゃん――。

 けれどこれからはわたしだけの神様でもソロアイドルでも宝でもない存在になる。みんなの、信仰者のためのTAKARAちゃんになる。自分で望んだことだったけれど、つい、わたしだけのものだったのに、って思ってしまう。なんだか複雑な気持ちだ。

「複雑でもなんでも、わたしはTAKARAちゃんを本物にするんだ。それが宝寿意志が生を受けた理由なんだから」
 
目を閉じて誓うように宣言した。

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