夏休み3日目 慧念視点 回想

 十年前の梅雨が明ける直前の七月上旬頃、当時の【神様】であり瀬戸瀬兄妹の母親である彩命あやめさんが亡くなった。とうに父親を亡くしていた麗璃とうるるちゃんは父方の祖父母に引き取られ、住む家はそのままに親戚や近隣住民の手助けのもと生活していくことになった。

 この村は【神様】がいない状態のまま夏を越すことができない。不在になった【神様】の穴を埋めるべく、本格的に夏になるまで時間がないなか村民たちは焦りを抱えながら一丸となって【儀式】の準備を進めた。――〝彩命さんの娘であり【神様の器】を持って産まれた瀬戸瀬麗瑠を【神様】にするために〟

 祭具や祭服、【儀式】で用いられる道具すべてがうるるちゃんを【神様】にするために整えられていた。すべてがうるるちゃんにぴったりになるように作られ、うるるちゃんに使われること以外想定されていなかった。

 しかしその年の【儀式】でうるるちゃんが依り代に使われることはなかった。

 【神隠し】にあったから使えなかった。





「じゃあうるるちゃんは連れて行くからね」  親を失った瀬戸瀬家の玄関はそれでもいつもと変わらないように見えた。靴箱の上に置かれた手持ち花火の袋が夏らしい以外はどの季節とも、どんなときとも変わらない。

「ダメだって言ってるだろ! 麗瑠は【神様】になんてならなくていいんだ、だから――!」

 抵抗する麗璃を説得するようにボクは「落ち着いて」と顔だけは申し訳なさそうに言う。

「形だけ【儀式】に参加してもらえればそれでいいんだ。そうすれば村の大人たちは納得するし、うるるちゃんと麗璃は今後も村から今まで通りの待遇を得られる。悪い事なんてない」

 ボクはそれだけ伝えると麗璃の制止も聞かずに昼寝中のうるるちゃんをおんぶして瀬戸瀬の家を後にする。後ろからずっと麗璃の哀しげな叫びが聞こえていたがボクはけして彼の方を振り返らなかった。

 しばらく歩いて青澄神社の近くまで来たときうるるちゃんは目を覚ます。彼女はまだすこし眠たげな声色のままボクに声をかけた。

「えねんさん」

「んー?」

「にーちゃん、どこ?」

 たぶんそのとき一番に聞かれたくなかったことだと思う。ボクは背中からうるるちゃんを降ろすとぎこちない笑みを浮かべながら「お祭りの会場に先に行っているよ」と嘘をついた。うるるちゃんはお祭りという言葉に目を輝かせる。

「うるるね、おまつりいったらヨーヨーすくいしたい」

「いいよ」

「たこやきもたべる」

「いいよ~うるるちゃんだったらなんだって屋台のひとがくれるはずだよ」

 だってきみは【神様の器】を持って産まれた新しい【神様】になるひとなんだから。

「好きなだけ食べたり遊んだりするといい。きみはそういう権利を手に入れるんだから」

 うるるちゃんはよくわからないという顔でにこにこと首を傾げている。ボクはもう一度「それがきみの得る特権だよ」と言って、うるるちゃんにあわせた小さな歩幅で神社を目指す。

 少しずつ神社の様子が見えてくる。大人たちが忙しなく祭りの――いや、【儀式】の最終準備を行っているんだとわかった。ボクは手近な大人にうるるちゃんを連れてきたことを告げる。

「ああ、まだ【儀式】まですこし時間があるからこっちで他の子と一緒に遊んであげて」

 そう言って手持ち花火を持たされてこどもたちの輪に連れて行かれる。周りの子たちはすでに花火に火をつけて火花が散る様子を楽しんでいた。

「ほら、うるるちゃんもみんなと花火やろう?」

 促してもうるるちゃんはボクの後ろにひっついてみんなと遊ぼうとはしない。そういえばうるるちゃんはいつも麗璃にべったりで他の同年代の子と遊んでいるところを見たことがない。人見知りかなと思いながらボクはもう一度彼女に声をかける。

「みんなとあそぼ?」

「いや……ばちばちしてこわい……」

「うるるちゃん花火はじめて?」

 こくりと頷く様子を見てだから怯えていたのかと合点がいった。

「大丈夫だよ。ちゃんとルールを守ってやれば火傷しないから。ほら持ってみな」

 そう言って花火を一本うるるちゃんに持たせ、その小さな手の上から覆い被せるように自らの手を添える。

「火、つけるよ」

 着火させると音を立てて火花が散る。うるるちゃんはびっくりして飛び上がると大泣きしながら上から被せたボクの手を払いのけてしまう。

「わあっ! 危ないようるるちゃん!」

「えーん……にーちゃん……どこぉ……」

 逃げようとするうるるちゃんの様子にボクは慌てて火をつけてすぐの花火をバケツの水に放り投げる。そして彼女の両肩を掴んで自らと向かい合わせた。肩をがっしり掴まれて、うるるちゃんはまたびっくりしたように肩をはねさせたのち身を固める。

「良い子にしてないと麗璃来ないよ」

 我ながらとっさに出てきたにしては卑怯なセリフだと思った。

 うるるちゃんはぐすぐすべそをかきながらか細く「にいちゃん……」と呟く。そんな姿をかわいそうだと思いながらもおとなしくなったことに胸をなでおろす自分がどこか怖い。

「良い子にして【儀式】を終えたらちゃんと麗璃のもとに帰すからね」

 そう言ってうるるちゃんの手を引いて屋台の方へ連れて行く。

「まだ開始まで時間があるけどきみは【神様】になるんだから、ちょっとくらい早く縁日を楽しんだって許されるだろう」

 うるるちゃんは少し暗くなってきた風景の中で光る提灯や電飾を見るとその光以上に目をきらきらと輝かせ、さっきまで泣き叫んでいたのが嘘みたいに笑顔になる。

「うるるヨーヨーすくう!」

「じゃああっちのおじさんのところに行こう」

 小さな手を引いて行き屋台の旦那に「この子が【儀式】の依り代です」とうるるちゃんの紹介をする。そうすれば彼は喜んで釣り針のついたこよりを渡そうとしてくれた。それを受け取ろうとしたのもつかの間、うるるちゃんは伸ばした手を引っ込めて背中に隠してしまう。

「あれ、おじさんどーぞしているよ。ありがとうって言って受け取りな?」

「うるるおじぇじぇもってない」

 料金表を指さしたあと両手をパーにして『なにももってないよ~』ってふうに見せるとしょんぼりしたように俯く。それがかわいくって、ボクも屋台の旦那も思わず顔をほころばす。

「ええよ、ええよ。おじぇじぇいらんよ」

「でも……」

「じゃあ浅古のお兄ちゃんが払ってくれる。なぁ?」

「え、えーうん、じゃあボクが払うか。二百円とか三百円くらい痛手じゃないし」

 そう言ってズボンの後ろポケットから財布を取り出して小銭を払う。そして「ほらお金払ったからやっていいんだよ」とこよりを渡す。うるるちゃんはうれしそうに「えねんさんありがとう!」と礼を言ってくれる。些細な出費でこんなにかわいいお礼がもらえるならそれはそれでありかなぁなんて思いながら、うるるちゃんが釣り針の付いた紙こよりを水につける様子を眺めた。

 水風船に付いた輪ゴムに器用に針をひっかけて、彼女は無事にひとつピンクと紫のマーブル模様が特徴的なヨーヨーをゲットした。

「みて! とれた!」

 すくったばかりのヨーヨーを見せながらピースをするうるるちゃんに屋台の旦那と一緒になって拍手をおくる。少女は照れくさそうに「えへへ」と笑った。

「お嬢ちゃん上手だねぇ!」

「一回でとれるなんてすごい!」

 手放しで褒められ気を良くしたらしいうるるちゃんはにこにこと嬉しそうだ。

「おっと、そろそろ【儀式】が始まる時間じゃないか?」

 そう言われて腕時計を見るとたしかに【儀式】開始まで三十分を切っていた。

「うるるちゃん、お着替えがあるから集会場に向かおうか」

 着替えと聞いて首を傾げる少女を抱っこしてボクは集会場へ向けて歩を進める。

 集会場には先に三人の中年女性がいた。この三人が今回うるるちゃんの着替えを手伝う役を担ったらしい。

「じゃあこっちでお着替えしましょうね」

 見知らぬ大人に連れて行かれそうになりうるるちゃんはこどもなりに抵抗した。

「いや! えねんさんもいくの!」

 三人はそう駄々をこねるうるるちゃんの説得に手を焼いているようだったから、【儀式】に遅れを出すよりマシだと思って「ボクも立ち会っていいですか?」と自ら進言した。

 そして今ボクは集会場の広間の隅であぐらをかいて後ろで着替えが終わるのを待っている。思ったより時間がかかっている様子でどうにも複雑な祭服を着せられていることだけはなんとなくわかった。

 数分後、ぐずりだしたうるるちゃんに「もうちょっとだからね」と言い聞かせる声が聞こえ、それからほどなくして「はい、完成!」という達成感に満ちた声が耳に入る。ボクはやっと終わったのかと思いながら振り返った。そこには女性の漢服に似た鮮やかであでやかな衣装を身にまとったうるるちゃんがいた。ボクは初めて【儀式】用の祭服を見たものだから、物珍しくてじっとその姿を見つめていた。

「えねんさぁん……うぅ~……おもたい……あつい……」

 水ヨーヨーを両手で持ちながらうるるちゃんはずるずると裾を引きずってこちらに歩み寄る。私服の上からいろんな布を着せられたり巻かれたりしているらしく本当にとても重そう。

「ほら、一緒に【儀式】の会場に行こう」

「やだぁ……おもたいもん……」

 ボクはまた抵抗するうるるちゃんを担ぎ上げる。肩にずっしりとした重みが伝わって歩くのもやっとだったが【儀式】に遅れるわけにはいかないと一生懸命歩き進む。

 米でも担いでいる気分になりながら歩き続け【儀式】のために用意された祭壇までやってくる。この祭壇の前にうるるちゃんを座らせた瞬間から儀式がはじまるらしい。

 おおまかな概要を聞く限りではこの【儀式】自体はいたって簡単なものだった。祭壇前に依り代を座らせて開始し禊ぎを行う、禊ぎの行程がすべてが終わったら境内にある大きな祠の中に依り代を入れ六泊させる。それだけ。それだけで七日目を迎えたとき依り代は【神様】になっているらしい。その後【儀式】で生まれた【神様】が死んだとしてもその次の夏まで村は守られるとされている。祭壇前に座らせてから祠を出すまでに何が行われるのかは知らない。それはきっとボクが知らなくてもいいことだから。

「慧念こっちだ」

 父さんと兄さんがボクを呼ぶ。ボクは慌てて、より早く足を動かした。

 途端、強風が巻き上がってボクとうるるちゃんを飲み込む。たまらず尻餅をついたボクへの心配などよそに父さんと兄さんは「依り代は無事か!?」と焦った声をかけてくる。

 転んだときにケガでもさせていたら大事だとすかさずうるるちゃんを探す。地面には先程三人がかりで時間をかけて着せられたはずの祭服が落ちていた。だがしかしどこにもそれを着ていたはずのうるるちゃんは見当たらない。

「おい慧念! 依り代をどこにやったんだ! 【儀式】まで時間がないんだぞ!」

 父さんは焦った様子でボクに詰め寄る。

「ボクだって知らないよ! 風が吹いた一瞬のうちにうるるちゃんがいなくなったの父さんも兄さんも見てたでしょ!? あの一瞬のうちに服だけ脱がせて本人隠すなんてボクにできるわけないじゃんか!」

「とにかく【儀式】の準備会のひとたちに依り代が【神隠し】にあったって伝えなきゃ」

 兄さんの一言にボクも父さんも、それを口にした兄さんだって冷や汗をかいていた。

 こんな現代に【神隠し】なんてそんなありえないことが実際に目の前で起きたなんて……。

 ボクがほうけている間に父さんは準備会に状況を報告に行ってしまっていた。いまだ呆然とするボクを慰めるように兄さんは言う。

「大丈夫だ。本命はうるるちゃんだったけど不幸中の幸いか今回の依り代には代理がいるらしい。それにうちは村で唯一の医院だから、きっと大丈夫、村八分になったりはしない」

 それだけ伝えて兄さんは落ちっぱなしになっていた祭服を拾い上げると集会場に向かう。

 残されたボクはとにかくうるるちゃんが【神隠し】にあったことを麗璃に伝えなければいけないと思った。殴られ絶交される覚悟でボクは祭りもほうって瀬戸瀬の家へひとりで戻る。

 瀬戸瀬の家に赴きインターホンを鳴らして麗璃が出てくるのを待つがなかなか反応が返ってこない。もう一度、今度はあまり間隔を開けずに二回インターホンのボタンを押す。

 脳裏にまさか麗璃まで【神隠し】にあったんじゃないかと不安がよぎる。その不安はボクにもう一回、もう一回と、気が済むまでインターホンを鳴らさせるには十分だった。

 しばらくして瀬戸瀬の家の玄関ドアが開く。中から出てきたのは紛れもなく麗璃だった。

「麗璃! いるなら早く出ろよ! 心配しただろ……!」

 門を抜け麗璃の方まで駆け寄る。すぐさま【神隠し】の件を言わなければと思っていたのにどこか具合の悪そうな麗璃を見て伝えるべきことの優先順位が脳内でめちゃくちゃになっていた。

「どうしたんだよ、その顔色……どっか悪いのか……?」

 麗璃は虚ろな瞳を伏し目がちにして暑そうに汗をかいているのに顔色は真っ青だった。

「おい、大丈夫か? 麗璃?」

「なんの、用だ……」

 きつい運動をしたわけでもないだろうに息切れをしながらそう問うた彼にしどろもどろになりながらボクはうるるちゃんが【神隠し】にあったことを伝える。

 麗璃は黙りこんでこちらを睨む。その顔は今まで見たどの麗璃より冷たい視線をしていた。

「……おまえのせいだぞ、うるるがいなくなったのは」

 今度はボクが黙る。それも気にせず麗璃は続ける。

「おまえが、うるるを神社に連れて行かなければこうはならなかった……」

 恨み言のようにそう言うと彼は一方的に玄関を閉めてしまう。カチャリと鍵が閉まる音がした。

 ボクはとんでもないことをしてしまったとひどく後悔し、とにかくうるるちゃんを探さなければと顔面蒼白のまま再び神社に引き返す。

 神社ではすでにうるるちゃんの捜索が行われていた。ボクはまただれかに責められるんじゃないかと人目を気にしながら父さんたちを探しはじめる。

 ほどなくして祭壇の近くで兄さんを見つけた。ボクは「うるるちゃんは!?」と駆け寄る。

「まだ……。でも【儀式】のメインは無事に終わって依り代はすでに祠に入っているから大事にはならなかったよ」

 ほっとした様子の兄は「うるるちゃんもじきに見つかるよ」とボクを慰めるように言う。

「とりあえずもうすっかり暗くなってしまったからこどもたちは帰るようにとのことだ」

 帰るぞとボクを先導する兄の背中をおとなしく追う。しかし心の中では今更どうしようもない自責が蠢いていた。

 やっぱり麗璃が言うようにボクがうるるちゃんを祭りに連れて行かなければあの子は【神隠し】になんてあわなかったのかな? 全部全部、ボクが悪いのかな? 

 依然としてうるるちゃんが見つからないことを麗璃になんて言えばいいんだ……。もしあの子がこのまま見つからなかったり、最悪の形で見つかったりしたら、ボクはいったい――。

 後ろ髪を引かれる思いで度々未練がましく神社を振り返る。

 うるるちゃんはまだ神社の敷地内にいるのかな……? きっとひとりでは家まで帰れないだろうし、もし誘拐とかだったら……。

「慧念、もたもたしてないで帰るぞ」









うるるちゃんが【神隠し】にあってから数日が経った。警察を含めた村中を探す大人たちの間にはすっかり諦めにも似た雰囲気が立ちこめており、六日目なんて特にひどいもので、「明日になったら新しい【神様】が誕生するから、そうしたらその力を借りて行方を探そう。だからもう無駄な捜索はやめよう」なんて声があがるくらいだった。

 麗璃ともあの日瀬戸瀬の家の玄関で会ってから一度も顔を合わせられておらず、きっと激しく落ち込み、ボクのこと以上に自分のことを責めてしまって学校に来る余裕もないのだろうと心配だった。

 七日目もボクは神社に訪れていた。神社の境内で大きな声を出してあの子の名前を呼ぶ。祭りが行われた日から毎日かかさずこうやってその行方を捜していた。

「うるるちゃーん! いたら返事してー!」」

 どんなにそう叫んでもあの子の声が返ってくることは今までなかった。

 しかし今日は様子が違う。

 ざわざわと木々がさざめく。揺れる枝葉を見上げた途端、うるるちゃんが【神隠し】にあったときと同じような強い突風がボクを包み込むように吹き上がる。

 風で舞った落ち葉が目に入らないよう腕で顔を覆った。渦のように巻き上がった落ち葉が過ぎ去っていったのを確認しておずおずと目を開ける。

 ――目の前には紛れもなく祭りの日と同じ服を着たうるるちゃんがいた。

 ボクはその姿を認識してすぐ、もうどこかに行かせたりはしないと彼女の細い手首を掴む。

「うるるちゃん! ボクだよ、わかる?」

 彼女は「うん」と頷く。

「大丈夫? ケガとかしてない?」

 うるるちゃんはふるふると頭を横に振ると「だいじょうぶだよ」と不思議そうな顔をする。

「ごめんね。ボクのせいで【神隠し】になんて目にあわせてしまって……ほんとうにごめん」

「いーよ」

「許してくれるの?」

「うん。いいよ」

 水ヨーヨーを持ったままの小さな両手でボクの手に触れるとうるるちゃんはそう言った。彼女が無事に見つかって安心しきったからか、それとも「いいよ」と許されたからか、ボクは押し寄せた安堵で胸をなでおろす。頬はすっかり涙で濡れていた。

「えねんさんいたいところあるの? だいじょうぶ?」

「ううん。大丈夫だよ。突然泣き出してごめんね。すぐ麗璃に会わせてあげるからね」

「にいちゃん、どこ?」

「たぶんお家にいるよ。迎えに来るように連絡を入れるから一緒に神社の集会場まで行こう。そしたら電話もあるし、大人たちにもうるるちゃんが見つかったって報告できる」

 もううるるちゃんがいなくならないようにボクはしっかりとその小さな手を握る。集会場までの数メートルの距離でまたいつうるるちゃんが【神隠し】にあわないかと怯えにも似た感情を抱いて、ずっと繋がれた手に意識を集中させていた。

 集会場の鍵番をしているおじさんに「うるるちゃんが見つかった」と声を掛けた。彼は慌てた様子で携帯を取り出すと警察や村の重役などに電話をかけ始める。ボクは集会場の固定電話から瀬戸瀬の家へ連絡を入れた。

 電話が繋がるとすぐに麗璃の疲れた切った声が受話器を通して聞こえてくる。祭りの日に会ったときと変わらずどこか息切れをしている様子が見なくてもわかった。

「麗璃、今日もかなり辛そうだけど大丈夫か? 神社でうるるちゃんが見つかったよ。ケガもないし元気そうではあるけど一応うちの医院で検査をした方がいいと思うんだが――」

「うん、わかった、本人が気がついてないケガがあるかもしれないから検査してやってくれ。忙しいようなら後日でもいい。なんとなく伝わっていると思うけど、俺今日も具合が悪いからそっちまで麗瑠を迎えに行けそうにない。悪いけどこっちまで送ってやってくれないか?」

「ああ、構わない。もとはといえばボクが無理矢理うるるちゃんを祭りに連れて行ったのが悪いんだし、できるかぎりのサポートは約束するよ」

「そうか、じゃあうるるのこと、任せたから」

「今度はかならずうるるちゃんを帰すから、麗璃も具合悪そうだしゆっくり休んで。あまり体調が優れないようならいつでも診察できるし、気軽に頼ってくれよ」

「わかった、すまん」

「うるるちゃんの声聞くか?」

「うん、ちょっと聞きたい」

 ボクはうるるちゃんに「麗璃と繋がってるよ」と受話器を渡す。

「にいちゃん! ――うん! ――だいじょーぶ! ――はーい!」

 うるるちゃんは元気に返事をしたあとボクに受話器を返した。

「おでんわおわった!」

 どうやら麗璃の方から切ったらしい。ボクたちの通話が終わるころにはうるるちゃんを捜索していた大人たちが大勢集会場の前に集まっていた。

「慧念! うるるちゃんが見つかったって!?」

 父さんが額に汗を浮かべながら入ってくる。どうやら病院の勤務を抜けて出てきたらしい。

「うるるちゃんどこにいたんだ」

 父さんの問いかけは当然だった。たしかにこの子はずっとどこにいたんだろう? あれだけ探したんだ、ずっと神社にいたわけがない。

「……わかんない」

 うるるちゃんは困ったようにそう言うときゅっと口を結んだ。

「父さん、本人も混乱してるだろうから……」

「あ、ああ。そうだよな。ごめんね、うるるちゃん。おじちゃん怒ってないからね」

 うるるちゃんはこくりと頷くとボクの後ろに隠れる。

「さっき麗璃に電話をかけたよ。あいつ今日もすごく具合が悪そうで、代わりにボクが瀬戸瀬の家まで送り届けることになった。それとうるるちゃん本人はなんともないって言っているけど後日でもいいからなにか異常がないか一応検査をしてほしいってことだった」

「わかった。もし麗璃の体調も回復しないようだったら彼にも検査を受けさせたほうがいいかもしれないね。とりあえず今日はもう日が暮れるしうるるちゃんを家に送ろう。また風にさらわれたりしないよう車を出すから、もうちょっとここで待っているように」

 父さんはそう言い残して車を取りに自宅に戻る。きっと十分もしない間にまたここに来るだろう。ボクはうるるちゃんと集会場でお喋りをしながら待つことになった。

「どこにいたか全然覚えてないの? 怖いこととかはなかった?」

「…………わかんない」

 ケガの有無以外うるるちゃんはすべての質問に「わからない」と答えた。

 しばらくして戻ってきた父さんに運転してもらってボクたちはうるるちゃんを送っていった。彼女は瀬戸瀬の家の玄関で麗璃の姿を見つけるとまるで磁石みたいにそちらにくっつきに行く。

「すみません。車まで出してもらって」

 麗璃は依然として優れない顔色を携えながら父さんに頭を下げる。

「気にしなくていい。それにしても本当に具合が悪そうだが大丈夫かい? 必要ならうるるちゃんと一緒に精密検査を受けにおいで」

「……はい、ありがとうございます。それじゃあ、今日は早めに休むので、これで」

 もう一度軽く頭を下げると麗璃は玄関を閉めた。

 ボクも父さんも閉められたドアをしばし心配した様子で眺めていた。それからほどなくして父さんが先にその場を離れ、ボクも後を追うように瀬戸瀬の家を気にしながら車に戻った。

「それにしても本当にうるるちゃんはどこにいたんだろな」

 不意に父さんが言った。ボクはあの子の【神隠し】の件を出されるとどうにも責められているような気持ちになってしまって、それ以上触れてほしくなくて、父さんのそれに「このあたりは監視カメラなんてものはないし、本人がわからないっていうんだから迷宮入りだろうね」とわざと素っ気なく返した。

 ボクはあの子に謝って「いいよ」って許されたはずなのに、どうしてまだこんなに思い悩んでいるのだろう? どうしてまだまだ苦しいのだろう?

 もしかして、まだ、ボクは本当の意味で許されてはいないのか?

 そう思い始めると重く深いやけどを負ったみたいに、その呪縛が浸食してくる。

 そうだ、たぶん、責任能力のないうるるちゃんにしか許されていないから、だから不安なんだ。ボクはきっと同じく責任能力のない麗璃や当事者でないひとたちに許されたところでこれからもずっとこの苦しみを背負い続けることになるのだろう。

 どうしたら許される? どうしたら責められない? どうすれば……、どうすれば……。

 こんな罪、【神様】にでも許されない限り――。

 ………………そうか、【神様】に許されればいいのか。でも新しく誕生した【神隠し】とは無関係な【神様】に許されたって仕方がない。

 それならうるるちゃんに【神様】になってもらえばいい。あの子は【神様の器】を持って産まれてきたし、なんなら本来今回の【神様】になるはずだった。今度こそうるるちゃんがこの村の【神様】になれば、そうすれば今度こそボクは本当の意味で〝うるるちゃんという【神様】〟に許されたことになるんだ。

 早く、今の【神様】死なないかなぁ……。そうすればすぐにボクは許してもらえるのになぁ。



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