夏休み2日目 慧念視点

 用事を済ませたボクと麗璃は中学生たちに勉強を教えはじめる。といってもイツカちゃんは随分と頭がいいらしく、麗璃はうるるちゃんに、ボクは生然に教える構図になっていた。

 そうしてあっという間に時計の針は十八時を指し示す。日照時間が延びているとはいえそろそろ外が暗くなり始めるころ。年長者としてさすがに中学生たちを放ってはおけない。

「そろそろおいとましようか。生然とイツカちゃんはおうちのあたりまで送るよ」

「イツカはまだしも僕は別にいいですよ。まだ少しは明るいですし」

「いやいや、最近は男の子も犯罪に巻き込まれることがあるし心配だから。それに神社はうちの医院からそう遠くもないし、気にしないで付き添わせてよ」

 生然は素直に「じゃあ、お願いします」と了承を口にする。イツカちゃんも「学校までなら」と遠慮がちに言った。

「そうと決まればみんな帰り支度をはじめよう。麗璃もうるるちゃんもまたね」

 うるるちゃんはちょっとだけ寂しそうに「慧念さん次はいつ来るのー?」と訪ねる。その様子がめちゃくちゃかわいくてボクは思わず頬を緩ます。

「実は明日も明後日も来る予定なんだ。麗璃とやってる作業が完全に終わるまでは来るよ」

 うるるちゃんは嬉しそうに「じゃあまた明日だね!」と言ってくれる。本当にかわいい。

「ああ一応言っておくけど、慧念もべつに土産とか気にしなくていいからな」

「わかってはいるけど、個人的にみんなで食べたいものを持ってくるのはあり? なし?」

 そう聞けば麗璃はちょっと悩んでから「じゃあそれはありとする」と答える。

「明日も生然とイツカちゃんはいるんだよね?」

 ふたりはこくりと頷く。

「よし、わかった。ふたりの分も用意するとして、それじゃあ明日のおやつの数も確認したし、ボクはもう今日やり残したことはないかな。麗璃もうるるちゃんもまた明日よろしく」

 生然とイツカちゃんも片付けを終えたようで瀬戸瀬兄妹に挨拶を済ますと玄関へ向かう。

 手を振りながら「また明日ね」って言い合い別れるのはなんだか懐かしい感じがした。

 黄昏時の空の下、脇に広がる田んぼを通り過ぎながらボクは生然たちに【神様の器】の詳細を話す。生然は村の風景を見つめながら、イツカちゃんは真剣にこちらを見ながらそれを聞いていた。

「『呼吸窮迫症候群こきゅうきゅうはくしょうこうぐん』っていうのは肺の中にある肺胞はいほうというものが形を維持できずしぼむことで起こる。それが生まれたてのこどもに見られるのを『新生児呼吸窮迫症候群』と呼ぶ。その症状が出ると気胸を併発しやすく、気胸が起こり胸と肺の間にできた空間のことをこの村では【神様の器】と言うんだ」

 イツカちゃんは「その病気のどこが人聞きの悪い話なんですか?」と首を傾げる。ボクはあんまり言いたくないなぁなんて思いながらその問いに答える。

「さっき麗璃が言ったとおり【神様】になるとこの村から出られないかわりに生涯の生活が保障され好待遇で手厚くもてなされるんだ。将来的に村から出たいひとからしたらあまり良い条件ではないだろうけれどここに永住するつもりなら結構魅力的に感じられなくもない」

 生然はあまり興味がなさそうだけど、イツカちゃんは引き続き真剣にボクの言葉ひとつひとつを聞いている。

「この村は三世代同居が基本とされている。必ずそうしなければいけないという決まりはないけれど〝みんなそうしているから自分たちもそうする〟ってふうに。そして【神様】が家族にいればその家族もみな好待遇を受けられる。……ここからがちょっと嫌な話だ」

 ボクの予告にイツカちゃんの顔が若干曇った。

「子孫繁栄のために女性は子を宿すことを強いられる。そのとき同時に【神様の器】を持ったこどもを産むことも望まれるんだ」

「……病気を患ったこどもを産むことが望まれているってことですか?」

「大雑把に言うとそうなる。『呼吸窮迫症候群』も『気胸』もそれ自体は治りやすい方ではあるんだが、やはり死亡するリスクもあるのが事実だ。産んだこどもが死亡するリスクのある状態が望まれ、それが当たり前になっている」

 イツカちゃんの視線が睨みつけるように厳しくなる。その様子にやっぱりそりゃそうだよなぁとボクは苦笑もできない。

「もうひとつ人聞きの悪い話をするとすればその異常さだね」

「今までの話以上に異常なことがあるんですか?」

「……その望まれ具合が常軌を逸しているんだ。『新生児呼吸窮迫症候群』は早産であると発症リスクが高まると言われている」

 先を予想したらしいイツカちゃんはぎゅっと口をつぐんで続きを待つ。

「だからこの村では出産予定日より早く産むのが常なんだ。可能なかぎり、できるだけ早く」

「それって、産まれるこどもにも産む母体にもよくないんじゃないですか?」

「もちろん良くないよ。死産になることもある。『呼吸窮迫症候群』や『気胸』を発症しなくても他の疾患や不調がある可能性だってとても高い。――それでもそうやって産むんだ」

 今まで黙って話を聞いていた生然がふいに口を開く。

「この村の学校って生徒が少ないだろ? 単に村が小さいからってだけじゃないんだ」

「そう。この村ではさっき話したような産み方をさせているからそれだけ新生児死亡率が高い。そのため村のこどもは少ない傾向にある。その上ここは村の外から滅多にひとが入らないから産む女性も少ない。イツカちゃんはご近所のひとによくやけに優しくされないかい?」

 彼女は「そういえば皆さんよくしてくれますが……」とこぼす。

「あれは将来的に村で【神様の器】を持ったこどもを産む可能性があるから優しくされているってことですか?」

「すべてが絶対そうということはないけれど、そういう面も勿論あるのが事実だ。男は子を産んでくれる伴侶を見つけるために村に戻ってくる前提で外に出ることを許されるけれど女の子はそれこそ村の貴重品だから他所よそに嫁ぐなんてのは基本的に許されない。イツカちゃんは小さい頃から最近にかけて一度村を出ているみたいだけど一時的にでも女の子を連れて出て行くのもかなり珍しい。なんというか、束縛が激しい世界なんだよ、この村は」

 イツカちゃんは暗い顔で俯く。周囲からの優しさに裏があるっていうのは気持ちの良いものじゃないだろうからも無理もないし、村民の人生を縛り付けることが当たり前になっている世界で今後も生きることを強いられるのはボクからしても心苦しい。

「まぁなんというか、それだけ【神様】というものはこの村で重要視されているってこと」

「なんだか適切な言葉を返せそうにないです」

「無理もないさ。でもそのうち慣れるよ。生然だって九歳で越してきてから随分と慣れたし」

「慧念さん。僕は僕、イツカはイツカですよ。慣れない可能性だってあります。無責任に言うべきことじゃないかと」

 もっともな意見を受けてボクは素直に「そうだね。ごめん」と答えるしかなかった。青澄神社の養子としてこの村に越してきたばかりのころの生然と比べると十年未満しか経っていないのに彼はかなりしっかり者に育ったようで、ただ同じ村に住んでいるだけのボクまでなぜだかその成長がうれしくなる。

 依然として軽く俯くように遠くの地面を見つめるイツカちゃんを気に掛けている間に神社にたどり着く。

「じゃあ僕の家ここなんで、イツカも慧念さんもまた明日」

 そう言って軽く手を振ったあと生然は境内の裏に去って行った。

 彼の背中がすっかり見えなくなったころ、生然がいなくなるのを待っていたようにイツカちゃんは再び口を開く。

「うるるも【神様の器】を持って産まれたんですよね?」

「うん。そうだよ」

「じゃあ〝次の【神様】にうるるがなる〟可能性もあるんですか?」

 ボクは思わず目を見開いた。その動揺ともとれる反応をイツカちゃんは見据える。

「ああ、もちろんあるよ。最近は全然【神様の器】を持って産まれるこどもがいないし、むしろうるるちゃんが次の【神様】に選ばれる可能性はかなり高い……というか本来ならとうに【神様】になっているはずの子だし――」

 ボクの発言をイツカちゃんは聞き逃さなかった。眼光鋭い瞳がボクをとらえる。

「〝とうに【神様】になっているはず〟なんですか? うるるが?」

「……ああ。うん。……そうだよ」

 失言だったかもと後悔しながらボクは遠慮がちで消極的な肯定を口にした。

 早く彼女を送り届けてこの話をうやむやにしたくてボクは誤魔化すように歩を進めるスピードを速めるが対してイツカちゃんはゆったりゆったりとボクの後ろをついて歩く。

「どうして〝とうに【神様】になっているはず〟なのに、今のうるるは【神様】になっていないんですか?」

「それは――」

「それは?」

 ざあっと強風が木々の葉を揺らす。

「……十年前の【儀式】の日、うるるちゃんが【神隠し】にあったから……」

「だからうるるに【儀式】は行われなかった?」

「ああ。【儀式】が行われる直前にうるるちゃんは忽忽然こつぜんと姿を消した。そして六日後に神社の境内で発見される」

「でも慧念さんは〝うるるに【神様】になってほしい〟のね? ――ずっと、ずっと」

 その一言に胸を逆なでされた感じがして、ボクは思わず顔をしかめ語気を強める。

「……きみは、どうしてそんなこと聞くんだい?」

 その質問に答えないまま、校門の前で駆けボクを追い抜いたイツカちゃんは振り返っていたずらっぽく笑った。

「うるるを【神様】にしたいならその願いを抱き続けてくださいね」

 彼女はそれだけ言うとボクのことなんかおいて走って曲がり角を折れる。消えた後ろ姿にはっとして後を追ったが角の先にすでにイツカちゃんはいなかった。

 ――〝うるるを【神様】にしたいならその願いを抱き続けてくださいね〟

 言葉の真意はわからない。いや、言葉だけじゃない、彼女がなにを考えていたのか、なんのためにそんな発言をしたのかもさっぱりだ。――けれど本当に、ボク自身がこの願いを叶えたいのなら、今さっき彼女が言ったとおりにするしかないのもおそらく事実だろう。

 いつの間にか暗くなった空を見上げて思い起こされるのはあの子が消えた十年前の祭りの日のこと。ボクが手を離したから、ボクが目を離したから、だからあの子は神隠しにあってしまった。うるるちゃんが消えたとき、恨めしげに「おまえのせいだぞ」と言った麗璃の声がこびりついたように消えず忘れられない。

 ――でも、うるるちゃんは許してくれた。

 幼いながらにボクの謝罪の言葉を受け入れて、「いいよ」って、とても小さな手でボクの手に触れてくれた。あの日ボクはたしかにほんの少しだけ救われたんだ。

 けれどきっとまだ、まだ完全に許されてはいない。あの子が許しても【神様】はボクを許してはいない。愚かなボクの罪を清算するにはあの子を【神様】にして、〝瀬戸瀬麗瑠という【神様】〟に許しを得るしかないんだ。

 ボクはすっかり暗くなった空に幼きあの子――うるるちゃん――を想う。



一覧に戻る