夏休み2日目 麗瑠視点

 十三時にうちの前で待ち合わせという約束を守ってわたしは五分前に家の前に出てふたりを待った。今日もまぶしいくらいに青い空の下でわたしは太陽に肌を焼かれる。

 まだかなーと右見て左見て誰もいないのを確認して、まだだなぁって思いながらもう一度右を振り向こうとした瞬間「わっ!」というかわいく大きな声が耳をつんざく。

「あわっ!?」

 肩を揺らし表情を固めるわたしを見て声の主――イツカちゃん――はくすくすと笑った。

「もー! イツカちゃん~! びっくりしたよー!」

「ごめんね! よそ見してたからつい」

 イツカちゃんは両手をあわせて謝罪を示すが顔はにこにこ楽しそう。彼女は結構いたずら心があるタイプでたまにこういうことをわたしにする。全然いやじゃないけど心臓には悪い。

「イツカちゃんはほんとうにいたずらっこだなぁ……」

「うふふ、こうやって誰かとはしゃぐ機会があまりなかったから楽しくって」

 美少女の笑顔はきらきらしていてとってもかわいい。わたしはこの笑みを前にするといつも彼女のすべてを許してしまう。

「おまえらこんな暑いなか元気だな」

 イツカちゃんの後ろからそんな声が聞こえてきた。生然くんだ。

 イツカちゃんと一緒に彼へ「こんにちは」を言った。彼も律儀にそれに返事をする。彼の手には大きめの紙袋が下げられていた。

「生然くんなに持ってるの?」

「お土産。どら焼き、町で買って持ってきた。うるる好きだろ?」

「うるるどら焼きだいすき! 生然くんありがとう!」

「わたしもおうちから羊羹持ってきたよ」

「うるる羊羹もだいすき! ありがとう!」

 大好きな餡子あんこに大はしゃぎするわたしを見て生然くんもイツカちゃんも顔をほころばす。

「暑いしそろそろ中に入ろう!」

 先導するわたしにふたりは続く。

「うるるのおうち、ほんとうに立派なのね」

 イツカちゃんが敷地を見回しながら言った。どっしり構えた三階建ての母屋とその周りに広がる庭はたしかに近所のどのおうちと比べても広大で立派だとわたしも思う。

「まぁうるるのお母さんは【神様】だったし、うるる自身も【神様の器】を持って産まれたから村からの待遇が良いんだ」

 イツカちゃんは「【神様の器】?」と生然くんに問いかけている。

「あ、イツカちゃんは越してきたばかりだから【神様】も【神様の器】もわかんないよね?」

「……ええ。なぁにそれ?」

「じゃあ宿題の合間にでも僕とうるるで説明するよ。イツカも今後村で過ごすならある程度は知っておいたほうがいいだろうし」

 玄関を抜けふたりをリビングに案内する。わたしはお客さまに冷房の風が直にあたらないようにテーブルに置かれていたリモコンで風向きを少し上に変えた。

「飲み物なにがいい? オレンジジュースかコーラか麦茶」

 ふたりは声を揃えて「オレンジ」と答える。

 わたしはキッチンに向かって三つのグラスに氷を入れオレンジジュースを注ぐ。そしてイツカちゃんと生然くんの分を先に運び、もう一度キッチンに戻って自分の分を持って行く。

「どーぞどーぞ、好きなところに座って」

 わたしに促されてイツカちゃんは奥のソファの窓際に、生然くんは手前のソファのキッチン側に腰掛けた。わたしは自分のオレンジジュースをイツカちゃんの隣に起き「ノートとか筆箱取ってくるね」と残して三階にある自室に一度戻った。

 勉強道具を一式抱えたわたしは兄ちゃんの部屋に声をかけに寄る。そうするとノブに手をかける前に先にドアが開いた。兄ちゃんが丁度出てきたのだ。

「おっ、どうした?」

「あ、生然くんとイツカちゃんが来てるよって言いにきた」

「おーそうか。勉強教えてもらえそうか?」

「うん、たぶん」

「わかった。そろそろ慧念がくるから俺もリビングにいてもいい? わかんないところとかあったら俺や慧念にも聞けるだろうし」

 慧念とは兄ちゃんの古くからのお友達の浅古あさご慧念えねんさんのこと。村のお医者さんの息子さんでとっても頭が良いからお勉強を教えてもらうなら最適だ。

「いいよ!」

 わたしの快諾を聞いた兄ちゃんは満足げに微笑んで階段を降りていく。わたしもるんるんとした足取りでそれに続いた。

 リビングに戻るとイツカちゃんも生然くんもワークやプリントに各々取り組んでいた。どうやらわたしは乗り遅れてしまったらしい。

「どーも、こんにちは」

 兄ちゃんの挨拶に生然くんはすこしかしこまった様子で返事をし、イツカちゃんも同様にすこし緊張しているように会釈をした。

「生然はひさしぶり。イツカちゃんも麗瑠から話は聞いているよ。ふたりともわかんないこととかあったら聞いてな」

 兄ちゃんがそこまで言ったところでピンポーンとインターホンが鳴る。

「お、慧念が来たみたいだ。俺も友達とここ使うけどあんまり気にしなくていいからな~」

 わたしたちにそう伝えて兄ちゃんは玄関に向かう。そしてすぐに背の高い糸目のお兄さん――慧念さん――をくっつけて戻ってくる。

「あ~! うるるちゃんだ!」

 とっても大きな声で名前を呼ばれてわたしは思わずびくっと肩を揺らす。振動で頭のツインテールがぴょんっとはねた。

「うるるちゃーん! こんにちはっ!」

 胸元で手をふりふりしながらわたしに近づこうとする慧念さんの首根っこを兄ちゃんはすかさず掴んでわたしから距離を取らす。

「ぐぇ……ひどいよ麗璃……」

「おまえがくそでかボイス出しながら若干きもい近寄り方をするからだろうが」

 兄ちゃん達がやんややんやと仲良く言い合いをしている間に生然くんはイツカちゃんに軽く慧念さんの紹介をしている。

「あの糸目の声が大きいお兄さんは浅古慧念さんっていってこの村にひとつしかない病院の息子さんなんだ。慧念さんはまだ大学生だから診察はしないけど、最近はたまに勉強のために診察室にいることもあるからイツカも病院に行ったら会うことがあるかもしれない」

 イツカちゃんは「そうなのね」と頷いてオレンジジュースを一口飲んだ。そんな彼女に慧念さんは興味を示す。

「そちらは新しいお友達かな。生然が紹介してくれているってことは初めましてだよね? ボクは浅古慧念、さっき生然が言ってくれたように村の医者の息子です。よろしくね」

「こんにちは、世命イツカといいます。最近村に越してきました。よろしくお願いします」

 にこやかに自己紹介をしあったあと慧念さんは生然くんを見て「うらやましいなぁ」と呟いた。

「僕を見てうらやましいって、なにがですか?」

「こんな辺鄙へんぴ/rt>な村で美少女がふたりも友達にいる生然がうらやましい……ボクなんて美少女どころか友達って呼べるの麗璃しかいなかったのに……」

「そうですか、大変でしたね」

 冷たくあしらわれた慧念さんは「今日も後輩がボクにきびしい……やっぱり友達はきみだけだよ麗璃……」とめそめそしながら兄ちゃんにすり寄っていく。兄ちゃんはそれを「うんうん。わかったわかった」と軽く、だけど優しくいなす。

「おい慧念。駄弁りもほどほどにして要件済ませるぞ。麗瑠たちもおやつの時間くらいまで勉強がんばれ。慧念も俺も勉強は教科関係なくできる方だから麗瑠だけじゃなくて生然もイツカちゃんもわからないところは聞きおいで」

「うん! おべんきょうがんばる! あ、あと生然くんがどら焼きを持ってきてくれて、イツカちゃんが羊羹を持ってきてくれたよ!」

「数が多いのを持ってきたのでどら焼きは麗璃さんと慧念さんの分もあるはずです」

「わたしも羊羹多めに持ってきたのでお兄さんたちの分もご用意あります」

「ということだそうなので! おやつ楽しみだね!」

 兄ちゃんは生然くんとイツカちゃんにお礼を伝え、わたしに向けて「楽しみだな」と優しく笑うと慧念さんを連れてキッチンカウンターにふたり並んで座る。自分たちの作業を始めたふたりを見届けたわたしは気を取り直して因数分解の問題に手をつけ始めた。





 二時間くらい経ったころ、今日も三ページ数学のワークを終わらせたわたしはご褒美のおやつタイムを迎えていた。

「うるる今日もがんばったね。因数分解もちゃんとできてえらいね」

 イツカちゃんに褒められて「えへへ……!」と照れ笑いを浮かべる。ほとんど生然くんとイツカちゃんに導いてもらったのは言うまでもないが、がんばったのはたしか。

 十五時ちょっと過ぎ、お土産のどら焼きと羊羹をみんなで分けっこした。甘味の癒やしに包まれる至福のひとときは最高だ。

「いやぁボクまで頂いちゃって、ありがとうございます!」

 こちらのテーブルに来た慧念さんはうれしそうに羊羹にようじを刺し口に運ぶ。

「改めて生然もイツカちゃんもお土産ありがとう。でも明日からは持ってこなくても大丈夫だよ。勉強以外の負担をつくるのはよくないし」

 兄ちゃんの言葉に生然くんもイツカちゃんも「はい」と頷いて応える。

「あ、そうだ」

 イツカちゃんは思い出したように口を開く。

「来たときに話してくれた【神様の器】ってなぁに? せっかくだから教えてほしいな」

 ああそういえば説明するねって約束したんだった。

 慧念さんが興味深げに「イツカちゃんは出戻りじゃないの?」と問いかける。

「いえ、出戻りですよ。でもすごく小さいそれこそ赤ちゃんのときにこの村を出て行ったみたいなので、村の風習とかしきたりとか、よく知らなくて」

 慧念さんはよりいっそう興味深げにイツカちゃんを見つめる。そんな慧念さんの頭をぽこりと叩いたのは兄ちゃんだった。

「おい、じろじろ見るもんじゃないだろ」

「ああうん。そうだよね。ごめんねイツカちゃん」

「いえ、大丈夫ですよ。それで【神様の器】って?」

 気をとりなおしたようにイツカちゃんはもう一度問う。それに応えたのは生然くんだった。

「この村には【神様】がいるって話は知ってる?」

 イツカちゃんは首を横に振ってから「【神様】ってあの宗教とかの?」と言った。

「まぁ、うん、そんな感じに近いもの……かな?」

「なんで曖昧なの」

「元は人間なんだよ。うちの村の【神様】は。天から落ちてきたとかそういうものでもなくて、人間として母親の腹から出てきて、そのまま成長して、来るべきときが来たら夏にやる【儀式】を経て【神様】になる」

 生然くんから引き継ぐように慧念さんが代わって説明をはじめる。

「うちの村は【儀式】を用い人間を依り代にして【神様】にするんだ。そうすることでこの村は水害から自分たちの住処すみかを守っている」

「ああ、ここは大きな川が民家から近いですからね。氾濫が起きたら大変だから、みたいな、そんな理由ですか?」

「おおざっぱに言うとそうなんだけど、実際はもっと不思議なんだよね。今から二十年以上前――ボクが生まれる少し前くらいに一度【神様】が不在の期間があったそうだ。長いことそんな状態になったことがなく【儀式】を軽視していた村民たちは神様がいなくなった次の夏に【儀式】を怠った。そうしたら洪水が起きて、そのときの村民の四割が死亡ないしは行方不明になったらしい。それからはこれからの世代が【儀式】を軽んじたりしないよう幼少期から洪水の話を聞かされて育てられるようになったんだ」

「その水害から村を守る【神様】にうるるのお母さんもなっていたことがある……と」

「そうそう! うるるのママもね、【神様】だったんだよ! すごいよね!」

 わたしはママの話が出たことがうれしくて思わず笑顔になる。

「母さんは二十五歳から三十五歳までの間【神様】としてこの村にいた。【神様】になると村の外に出られない代わりにその家族も含めてこの村での生活が保障される。だからうちはこんなでかい家なんだ」

 イツカちゃんは納得したように「なるほど」と呟いた。

「ちなみに【神様】は水害を防ぐ以外にも特別な力を持っていて、場合によってはそれこそ人智を超越した千里眼とかサイコキネシス的なものとかも使えたらしい。まぁさすがにこの目で見た訳じゃないからこのあたりはあまり言及できないんだけどね。【儀式】を通して【神様】になるとなにかしら【欠落】がある状態で【神様】になるみたいでそんなに強力な力は使えないって話もたまに聞く。まぁ噂話の域を出ないって感じかな。でも、この話は先代【神様】の身近にいた麗璃の方が詳しそう」

 どうなの? と慧念さんは兄ちゃんをうかがう。

「不思議な力はあるよ。母さんは現に持っていたし」

「えっと、その【神様】だったっていううるるのお母さんって、今は?」

「ママはもう死んじゃったよ? うるるが五歳のときに死んじゃった」

 わたしの返答を聞いたイツカちゃんは落ち込んだように小さく「ごめん……」と呟く。

「謝んなくていいよ! 【神様】は産まれたときから短命って言われているみたいだし」

 元気に振る舞ってみてもイツカちゃんにはわたしの本心が伝わってしまったらしく余計に落ち込ませてしまう。

「えっと、まぁ、それで【神様の器】に関してだけど――」

 兄ちゃんは場の空気をなんとかさせようとしているのかすかさず脱線した話を元に戻す。

「【神様】になる【儀式】はだれでも受けられるわけじゃないんだ。この世に生を受けたときに【神様の器】を持って産まれた子だけが【儀式】を受けられる」

「その【神様の器】をうるるも持って産まれたってお昼に生然から聞きました。そしてうるるだけじゃなくそのお母様もそうだったんですね。でもその、【神様の器】ってそもそも?」

 しん……と場が静まる。だれも答えないからわたしは進んで口を開いた。

「【神様の器】っていうのはね、病気」

 わたしの言葉にイツカちゃんは珍しく眉間にしわを寄せて「病気?」と復唱する。

「むつかしい名前なんだけどね、『しんせーじこきゅーきゅーはくしょーこーぐん』って病気があってね、それにかかって『ききょー』になって産まれた子供を『【神様の器】を持っている』って言うんだって」

「なんで?」

「な、なんで……って、なんで……だろう?」

 わたしはなぜか兄ちゃんを見た。その視線を追ってイツカちゃんも兄ちゃんを見る。

「そこまではあまり大っぴらに語られることはないんだ。まぁ村でこどもを産む予定の妊婦さんとかにはこどもが【神様の器】を持っている可能性があるから説明があるみたいだけど。なぁ慧念?」

「そうだね。どうしても気になるならあとでこっそり教えるけど、他言はしないようにね」

「どうしてですか?」

「あんまり人聞きが良い内容じゃないんだ」

 慧念さんは複雑な顔で微笑む。イツカちゃんはその顔を真顔で見つめたのちまた口を開く。

「うん。慧念さんにはあとで詳しくお聞きするとして、とりあえず私が一日で理解するには難しいことがこの村にはあるってことはわかりました」

「独自のしきたりを遵守する閉鎖的な村ってだけでだいぶ面倒な要素揃ってるもんね。難しいのも無理はないというか、そういうものだよ」

 慧念さんはこれまた複雑そうな顔で笑う。その表情の複雑さはいつも脳天気そうな慧念さんにしてはめずらしいと思った。

「慧念、おやつタイムもほどほどにしてそろそろ俺たちは作業の続きをするぞ。麗瑠たちも適当に頃合いをみて勉強に戻りな」

 兄ちゃんはお皿を片付けながらそう言うとまたキッチンカウンターに戻っていく。慧念さんも「糖分補給できてよかったぁ!」とご機嫌な様子でそれに続いた。

 わたしはまだ小皿に残っていたどら焼きを一口かじる。ふわふわなカステラ生地と餡の甘みが口全体に広がって顔はほころびにこにこ。そんなわたしを見たイツカちゃんは自分のお皿からわたしのお皿へふたつ個包装されたままの小さなどら焼きを移す。

「たべないの?」

「このどら焼きと交換でうるるにふたつ聞きたいことがあるの」

 わたしはなんだろう? と思いながら「うん?」と首を傾げる。

「ねぇ、うるる」

 イツカちゃんが厳かに口を開く。閉め切られた部屋の中にいるのに冷房なんかじゃないあったかい風が吹き抜けていったような不思議な感覚がした。

「うるるも【神様】って信じてる?」

 わたしはきょとんとして「信じてるよ?」と答える。【神様】はいるってみんな言っているから、わたしもみんなと同じように〝いる〟って信じている。

 それを聞いたイツカちゃんは満足そうに「そっか。じゃあ私も信じるね」と微笑んだ。

「もうひとつは?」

「えっと、うるるは【神様】のこと、好き?」

 わたしはおぼろげな記憶の中のママを想う。そして元気いっぱいに「好き!」と答えた。

 イツカちゃんはまた「そっか」とわたし微笑むとすこし目を伏せた。長い睫毛が瞳を隠す。

 まだまだ青空が広がる夏の日の夕方。わたしたちはたまにお喋りを挟みながら宿題に向き合う。そんなひとときがわたしはすごく大好きで、ずっとずっと続いてほしいなって思う。

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