夏休み6日目 麗瑠視点
パチン、とシャボン玉が弾けるように目が覚める。目の前に広がるのはお祭り中の青澄神社。どうやらわたしは賽銭箱にもたれながら寝ていたらしい。でもどうして? 生然くんとイツカちゃんとうちで遊んでいたはずなのに。
何時かはわからないけれど空を見ればまだ澄み渡る青が広がっている。でも周りはいやに静かで、いつもあれだけ鳴いている蝉の声すらなく、枝葉がこすれる音しかしない。
「あ! うるるー! 起きた?」
声の先を見るとイツカちゃんが手持ち花火でひとり遊んでいた。わたしはばきばきになってしまった肩や背中をほぐしながら「生然くんはー?」と問う。イツカちゃんはなんでかつまらなさそうに「生然のことは今はいいでしょ!」とむくれてしまう。
「そんなことより花火やろう? いっぱいあるの!」
がさがさっと音を立ててどこからともなく本当にたくさんの花火の袋を取り出したイツカちゃんは「どれがいい?」 と目を輝かせながら聞いてくる。
「うーん……イツカちゃんはどれがいいと思う?」
「私はねー、これがいいと思う! さっきやったんだけど色がいっぱい変わるやつなの!」
わたしはおとなしくそれを受け取って地面に置かれているロウソクから火を分けてもらう。バチバチと火花が飛び散り周囲に煙と火薬の香りが漂う。
イツカちゃんの紹介どおり三段階に色が変化したそれはほどなくしてシューっと枯れるように消える。バケツの水に使用済みのそれを浸すとイツカちゃんはすかさず新たな花火を袋から取り出してわたしに手渡す。
「私花火ってひさしぶりなの! 十年前のお祭りの日以来なんだ!」
「あ、うるるもだよ。うるるも十年前のお祭りのとき一本だけ火をつけさせてもらってからだからすごくひさしぶり」
イツカちゃんは嬉しそうに一緒だね! と笑う。いつもはお姉ちゃんっぽいイツカちゃんが珍しく幼く見えた。
それから一本終わるごとにまた新しい花火を、まるでわんこそばみたいに手渡され、次々何本も何本も、イツカちゃんに付き合って体感で小一時間くらいずっと火花が散る様子を眺めていた。
「次はね――」
「イツカちゃん、もういっぱい花火はしたしそろそろお家帰らないと兄ちゃんたちが心配しちゃうかも。あんまりおそくなったら生然くんとか怒るかもだし……」
「大丈夫よ。ここには私たちを怒るひとなんていないんだから」
くすりと目を細めて笑う姿になぜだか悪寒がした。
「どうして怖がっているの?」
「え……?」
「今、ちょっと私のことが怖いと思ったでしょ? わかるのようるるのことなら、ぜんぶ」
「すごいね。エスパーみたい」
それを聞いたイツカちゃんは声を上げて笑う。そしてまた私に微笑みを向ける。
「エスパーじゃないわ。私は【神様】。そしてここは私が作った私とうるるのための世界」
彼女の発言を上手く飲み込めなかったわたしはただ目を丸くする他なかった。
「で、でもイツカちゃんは転校生でしょ? 【神様】だったら村から出られないはず……」
「ええ。私ずーっと村にいたわよ。村ぐるみでだれもかれもが私の存在を隠していただけ」
村ぐるみでイツカちゃんを隠す……? 私は思わず疑問を口にした。
「村の【神様】ってどっちかっていうとみんなに知られる存在だよ。うるるちっちゃかったけどママがそうだったの覚えてる。だから隠されるってなんか変っていうか――」
「【儀式】を経てしっかり【神様】になれていたならそうかもね」
イツカちゃんはちょっとだけ拗ねているみたいにそう言った。
「どういうこと? イツカちゃんは違うの?」
彼女は残念そうに溜め息をつくと「そうなのよね」と頷く。
「十年前の【儀式】はすべてうるる用に整えられていたからいろんなものが私には合わなかったの。それで私は出来損ないの【神様】として村の守り神になった。出来損ないだから大した力はなくって、能力も千里眼がせいぜいなところ」
「出来損ないって……、でも村はイツカちゃんが神様になったあともやっていけてるよ?」
「それは【本物】のきまぐれってやつよ」
「【本物】って……?」
「私は【儀式】で生まれたまがい物で出来損ないの【神様】だけど世界には【本物】の【神様】ってものがいるの。すべてを超越する全能を持ったなんでも自分の好き勝手にできちゃう個体が私たちの運命を握った上でいろんな世界をつまみ食いするみたいに傍観している。その【本物】がなにも特別な事件や事故を起こさなかったから無事だっただけの話なのよ」
「…………イツカちゃんが言っていること、今までのイツカちゃんの行動と合わせると変なところがあるよ」
彼女は首を傾げる。愛らしく、可憐で、やっぱりどこか怖い。
「イツカちゃんは【神様】で力が弱いにせよ千里眼を持っているみたいだけどそれにしては【神様】のことを全然知らなかったでしょ? それに力が弱かったらこんな大掛かりな世界作れないと思う」
「良い着眼点ね。うるるって実は頭いいんじゃない?」
わたしのことを茶化しながら、イツカちゃんはゆっくりとこちらに歩み寄る。
「簡単なことよ。【神様】の記憶を消す代わりに【本物】の力をすこし分けてもらっただけ」
親指と人差し指の間に小さな隙間をあけて「ほんとうにすこしだけどね」と彼女は言う。
「ただし力を使うには条件があった。それは夏休み開始から七日間のうちに消されてしまったこの村の【神様】の情報を集め直して理解すること、そして周囲から村の【神様】への信仰心をより強くすること。夏休み二日目に【神様】の話題に惹かれたのは本当に偶然だったけど、それをトリガーにして徐々にこの村の【神様】とはなにかを知り、私は消されていた記憶を呼び起こすことに成功した。そしてみんなに【神様】を信じることを改めて意識させることによって晴れて分け与えられたほんのすこしの【本物】の力を使えるようになった」
イツカちゃんはわたしのすぐ目の前に顔を近づけて、そっと囁く。
「ねぇ、うるる。約束したよね? ずっと一緒にいられるように強く願うって。覚えてる?」
「うん。ずっとずっとお友達だよって約束した」
それは紛れもない本心だった。千里眼の力でイツカちゃんにもそれはしっかり伝わっているようで「よかったぁ!」とうれしそう。
「わたしね、ずっとずっと、ずーっとうるるのことを観ていたの。うるる用の【儀式】で手に入れた馴染んでいない力だから【神様】関連の縁が強いうるるのそのときの現在しか観ることができなかったっていうのもあるけど、私は【神様】になったあの日から、毎日、毎日、毎日! アニメやドラマや映画を観るみたいにあなたの人生をずっと鑑賞していたわ。私にとってうるるは大好きな作品なの! だから、私ね――」
彼女はわたしの顔を両手で優しく包み込むと射貫くように瞳をのぞき込んでくる。目の前に赤が広がって、まるで石にされてしまったみたいにわたしは身をこわばらせる。
「大好きな瀬戸瀬麗瑠という作品に、私の求める最高のエンディングを迎えてほしいの!」
イツカちゃんはどこまでも突き抜けた無邪気さを隠すことなく笑う。
「最高の、エンディング……?」
「私常々思っていたのよ、半人前を二人分合わせたら一人前になるんじゃないかって」
熱を帯びた口調で彼女は語る。反して頬に触れるその手はとても冷たい。
「【神様】だってきっと同じよ。うるるは今から【神様】になって私と結合するの。そしたらきっと私たちはふたりそろって【本物】になれる、ずっと一緒にいられる! うるるは私と一緒になって【本物】になるのよ! それが私のもっとも望むあなたのエンディング!」
イツカちゃんはずっとひとりで見続けた夢をだれかと共有できた悦に浸ってうっとりとわたしを見つめる。
「うるる、なれないよ、【神様】になんて……」
「いいえ。あなたはね、それを強く願う者がいるかぎりどうやったって神様になるのよ」
見開かれた彼女の瞳からはやはり逃れられない。わたしは一体、どうしたら……。
「迷わなくって大丈夫。ただわたしと一緒にいることを願ってくれればいい。簡単でしょ?」
哀しげに「約束したじゃない」とイツカちゃんは変わらずわたしの目をのぞき込む。
たしかに約束した。『ずっと一緒だよ』ってわたしから言い出した。でも――
「わたし、は、ならない。イツカちゃんの考えに納得できないで、決意もなにもできていないまま【神様】にはならない。そんな気持ちのまま適当にやったらきっとダメだと思う」
途端、ざあっと強風が吹き荒れる。イツカちゃんは舌打ちをするとわたしから手を離し風が吹いてきた方を睨む。
「――〝麗瑠が神様になることを強く願う者がいるかぎりどうやったって神様になる〟ねぇ。それじゃあ〝麗瑠を【神様】にしないことを願う力が同等以上に強く〟〝うるる自身も【神様】にならないことを願った〟としたら?」
巻き上がる木の葉の先に兄ちゃんと生然くんの姿が見えた。わたしはイツカちゃんの気が逸れた隙に兄ちゃんたちの方へ駆ける。
「遅くなって悪い。うるる、よく自分の考えを口に出したな。えらいぞ」
兄ちゃんに頭を撫でられてわたしは安堵したがそれもつかの間。イツカちゃんはこちらにも伝わるくらい殺気立っている。
「話はだいたい聞いていた、こんなことをした目的ももうわかっている。なにが『私の求める最高のエンディングを迎えてほしい』だ。麗瑠はあんたの娯楽コンテンツじゃない」
「黙れ。ただの人間ごときが【神様】の力なんて使って調子に乗らないでちょうだい。返して。わたしの、わたしのうるるを! 返してよ!」
イツカちゃんの姿が変貌し瞳は燃えるように赤く光を放っている。彼女の【神様】としての力がイツカちゃん自身をも壊しそうなほど急激に上昇していることがいやでもわかった。
兄ちゃんも生然くんも倒れ込むように地面に膝をつく。兄ちゃんの口の端からは血が流れ、生然くんも激しく息を切らしている。
「あらあら大変。私が強くなればなるほど『干渉』の代償は増すみたいね。私の力の源は〝うるるを神様にしたいという自他の願い〟――この状況見てわかるでしょ? 私以外にもうるるを神様にすることを強く願っているひとがいるみたいよ?」
「だれが、そんな……――――、まさか」
苦悶の表情を浮かべながら兄ちゃんは血の気が引いた唇を震わす。
「うふふ、そのまさか! なんと、強く〝うるるを【神様】にしたがっている〟のは麗璃お兄さんのお友達の慧念さんでーす!」
じゃーん! とキャストの紹介をする司会者みたいに、イツカちゃんは大きく腕を広げて笑い、彼女のそばに慧念さんが現れる。彼は真っ青な顔をしながら倒れ込むふたりに「ごめん……」と呟く。
「……おまえ、さっきうるるを助けたいって……言ってたじゃんか……」
「でも、ボクはやっぱり〝【神様】のうるるちゃんに許されたい〟から……だから、うるるちゃんには、【神様】に……」
顔面蒼白のまま俯いて、慧念さんはうわごとを漏らしている。
「あんた自分のことしか考えてないのか!?」
「ボクだって一度はそちら側だったよ! もしかしたら今度こそうるるちゃんに本当の意味で許されるのかもって思ってた! でも生然と違ってボクには『干渉』すらも与えられなかった! それだったらより許される可能性が高い方につくだろう!?」
「そんな言い訳がまかり通ると思っているのか!? うるるや麗璃さんのこと、なにも、なにも考えないで、自分のことばっかり! どうかしてる! あんたに『干渉』が分け与えられなかったのはそういう邪な願いがあったからに他ならないだろう!? 命をかけるほどの精一杯を出せなかった自分の弱さを棚に上げて責任転嫁をするな!」
生然くんは苛立ったように叫ぶ。その声も慧念さんには響かず、彼は「麗璃や生然の分も【神様】のうるるちゃんに許してもらえば、ボクはそれで……」と自失状態で宣っている。
「さぁ、うるる。お兄さんと生然を助けたいなら神様になりなさい。そうすれば【本物】になったときお兄さんのことも生然のことも助けてあげられるわよ?」
「ダメだ……おまえは【神様】になんて、世命イツカの願う結末なんて迎えなくていい! お前の未来をだれかの思うままにする必要はないんだ……!」
「うるるちゃんが【神様】になればすべて解決するよ。麗璃や生然の寿命だって戻せるかも」
「うるる……! おまえはおまえが選んだ幸福を願え! だれを許すとか、だれを救うとか、そんなことは二の次にしろ!」
頭の中でみんなの言葉がぐるぐる巡る。選択を間違えてしまったらどうしよう、怖い。自信を持って選べない。わたしは怯えた様子で這いつくばる兄ちゃんと生然くんを見下ろす。
わたしが【神様】になれば、兄ちゃんたちは助かる? イツカちゃんも慧念さんも願いを叶えられる? みんなが喜んでくれたら、きっとそれはわたし自身もうれしいことだと思う。
……幸せとか、まだよくわからないけど、わたしは、わたしの〝うれしい〟のために――
「【神様】に、なる」
わたしは兄ちゃんたちの元を離れてイツカちゃんに歩み寄る。彼女もまた、向こうからわたしに一歩、また一歩と近づく。
「麗瑠――!」
兄ちゃんの声に振り返る。ぼろぼろで、血を流している、大切なわたしの家族。わたしのために命をかけてくれた、やさしい兄ちゃん。
「兄ちゃんも生然くんも、ありがとう。うるる、絶対兄ちゃんたちのこと助けるからね!」
イツカちゃんがわたしに手を伸ばす。その手を離さないようにしっかり握った。
ふいに少年の声にも少女の声にも男性の声にも女性の声にも聞こえる不思議な声が頭に響いた。その声はたしかにわたしに語りかけてくる。
『セトセ ウルル を【神様】に設定しますか?』
淡々とした問いに短く「はい」と返す。
『正しき愚か者よ。それならぼくは祝福しよう。――きみの願いは?』
「――みんなの願いを叶えたい」
繋いだ手から熱が引いていくのを感じながら、わたしは宙を見た。空の色がぐるんと青から橙色に、そして橙色から藍色に変わり、月明かりに照らされて星々が煌めいている。
「麗瑠……! 駄目だ……、っ……もっと力を、『干渉』を……使わなきゃ……」
「あははははは! もう無駄よ! そこでおとなしくエンディングを観てなさいな!」
煌めく星々の輝きが急激に増し、イツカちゃんの作りだした世界を包み込む。
体がふわりと浮いているような、けれど緩やかに落ちていっているような不思議な感じがする。慣れない感覚だったが、なぜだか心地よく思えた。
身をゆだね、わたしは星空をたゆたう。