合同ライブ②

 ――αIndi

 そうだ、あの人達はレイちゃんが前にいたユニットのメンバーで、派手な髪色のお兄さんが五十嵐ネオンさん、眼鏡のお兄さんが柊千景さんっていったはず。

「すげぇな、あんな大物も出るのか」

 驚くミチルちゃんの言葉にレイちゃんは僅かに首を振る。

「いいや、おかしい。αIndiは中規模ライブに二人も人員を割かない。それに、柊を入れたりは――」

 その声を掻き消すようにまた一段と大きな歓声が上がる。どうやら舞台上の彼らが客席に向けて手を振っているらしい。金切り声ともいえるような高い声達に私の身体はキュッと縮こまる。

 演者はまだ一言も喋っていないのに、挙動一つでこんなに盛り上がるなんて……。

 沸き立つ客席に向けて五十嵐さんが空間を拭うように開いた手を勢いよく払うと先程までの悲鳴が嘘のように鳴り止む。静けさの中で流れ出したゆったりとした前奏にレイちゃんは呆れたように眉をしかめる。

「……してやられたな。あいつら、俺の存在に気付いている」

 レイちゃんはすぅっと息を吸い込み、吸ったときの倍の時間をかけて吐き出すと、顔を真っ直ぐステージに向けたまま厳かな声で言った。

「良い機会だから詩子もミチルもよく見ていて。あれが――今のアイドル界の王者だ」

 そのステージは凄まじかった。私が今までに観たどのライブよりも。

 青白く眩くライトで頭がクラクラする。それでも目を細めることも、ましてや逸らすことも出来ない。決して瞬きを許さない、人を惹きつけて離さないパフォーマンス。

 歌やダンス、ビジュアルだけではない。場の空気の作り方が他の出演者とまるで違った。

 私は、彼らにもっと舞台に立っていてもらいたいと、あの場で輝いていてほしいと強く思った。

 ♪♪♪

 この曲はレイから借りたアルバムに収録されていたから知っている。バラードはあまり聴かないけれどこの曲は珍しく気に入って、レイが作詞とメインボーカルを担当していたこともあり何度も聴いて歌詞も覚えていたから、俺は舞台で歌う彼らに合わせて小さくメロディを口ずさんだ。

 王者だというのも頷ける。アイドル業界のことなんて知りもしないのに、彼らより上などいるはずがないとさえ思えてしまう。彼らが一瞬で作り上げた空間に俺は引き込まれ、魅せられ、完全に飲まれていた。

 アイドルオーラなんてよく言うし、俺もレイの立ち振る舞いに向けてそのような発言をしたことがあったが、ここまでそれを肌で感じたのは初めてだ。

 ♪♪♪

 軽いMCを挟んで流れた二曲目。以前ミチルが気に入ってよく聴いていた柊作曲のその曲もそろそろ終わる。

 隣にいる二人はすっかり舞台に見入っている。じっと集中しているミチルの気を引き戻すように「詩子を連れて先に楽屋へ戻って」と伝えると、彼はすぐに分かったと頷いてくれた。

 ミチルは詩子の肩をポンと叩き、戻るぞとだけ伝えて手首を引く。引っ張られて遠ざかる彼女は「まだ最後まで見てないよ~」と不満を口にしつつこちらに手を差し伸べる。

「レイちゃんもいこ!」

「レイは用事があるらしい。先に戻って打ち上げで食いたいもん決めとけってさ」

 俺に気を遣ってミチルがそれらしく繕ってくれる。詩子は打ち上げという言葉に目を輝かせ「何がいいかなぁ」と足取りを軽くして連れられて行く。素直な子だなとわずかに心が和んだ。



 うん、あの子達は行った。

 ゆっくりフェードアウトして音が止むと割れるような拍手が会場中に響き渡る。俺も自らの手を打ち鳴らす。

 さあお出ましだ。捌けてくる彼らは片やにやけ顔、片や仏頂面。同じ立場の二人の表情はまるで違っていた。

「ご無沙汰やなぁ」

 眼鏡の奥で細められた目とツリ気味に弧を描く眉、持ち上がった口角からはいやらしさが滲み出ている。

「もう歌うことのない自分のメインボーカル曲はどうやった?」

 そう言って、お前の前で歌うにはぴったりだろうとヘラヘラ笑う。やはり選曲の段階から俺がこの場にいると知っていたか。

「良かったと思うよ。オリジナルの次にね」

「要らんこと言わんと喋れないんか?」

「先に要らないことを聞いたのはお前だろう」

 この程度のいがみ合いは慣れている。火花を散らす関係は今に始まったものではない。

「中途半端に芸名弄ったり悪あがきしとるみたいやけど、ご苦労様やね。お前が今まで優等生ぶって真面目に積み上げてきた世間様の『αIndiのれい』っちゅうイメージは一にも、ましてやゼロにもならんのに」

「いいさ、各々が好きに解釈すれば。誰がなんと言おうと、俺はLight Pillarの水森レイであり、αIndiのれいはもういない」

 そこへ黙っていた五十嵐が口を開く。

「お前がαIndiを抜けたことも、別のユニットで活動していることも、俺と柊にとっちゃ大した問題じゃない。お前の今後もどうだっていい。今日顔を出したのも新堂に言われたからであって俺達も本意じゃねぇし、お前んとこのメンバーにちょっかいかけるつもりもない」

 背が低い彼は顎を引いて軽く顔を背けたまま睨むように俺を見据える。 「ただ俺は。俺が今でも必死こいてやってるαIndiを黒歴史扱いしているお前が気に入らねぇ」

「そんなつもり――」

「つもりがなくてもそういうふうに取られる行動を無意識にやってるところが君の嫌われる所以なんとちゃう?」

 なぁ? と五十嵐に同意を求める姿に相変わらず嫌な奴だなと頭を痛める。問われた五十嵐も五十嵐で「柊にもレイにも賛同するつもりはねぇ」と腕組みをして構えていて、Light Pillarでは味わえない纏まりのなさに、そういえばこの雰囲気も苦手だったと溜め息がこぼれた。

「なぁ、お前のことなんてどうでもええねん。お前のとこに女の子おるんやろ? 俺も水森クンみたいにお嬢ちゃん相手に先輩面したい」

「会わせる気がないから逃がしたって分からないの?」

「あっそ。会われへんのやったらええわ」

 ならお前に用ないわ~と間延びした声を残して、ポケットに片手を突っ込み、空いた右手をひらひら振りながら柊は去っていった。五十嵐を置いて。

 ガシャンと音を立てて閉められた扉を見つめながら、残された五十嵐に話しかける。

「……楽屋、個室でしょ?」

「当たり前だ。アイツが大部屋にいたら他が委縮すんだろ」

 だろうなと思った。柊は特別俺に突っかかるわけではない。女性とスタッフと権力が強い人間以外には基本アレなのだ。その性格と、歳のわりに長い芸歴も相まって大抵の後輩に委縮されたり煙たがられたりしている。

「俺ももう行くが、お前に一つ忠告だ」

 柊の後を追う間際、そっとこちらに歩み寄った五十嵐は真っ直ぐに腕を伸ばし、手で銃を作るように人差し指を立てると、それで俺の胸元を指した。

「俺らと敵対することがお前の正義なら精々貫け。生憎こっちは正義感よりも体裁とプライドが大事でな。地位のためなら本気で行く」

「体裁はまだしも、プライドなんて冗談は程々にしなよ。今の地位を保つものが実力であってもそれまでの薄汚れたキャリアはクリアにはならないよ」

「あぁ、そんなことは分かっている。これは開き直りだ。今のαIndiは体裁とプライドと開き直りで保たれている。お前がうちを抜けたのは『開き直り』が欠如していたからに他ならない。……お前も、もう戻れよ。柊が大部屋に冷やかしに行くとも限らないんだからさ」

 彼が現状をよく理解して、その上でαIndiであり続ける決意をしたことも、遅れて付け加えられた最後の一言が彼なりの思いやりであることも、それに対して俺が礼を言うと気負いすることも、下手に付き合いが長いから分かってしまった。

 だから、向けられた背に、じゃあねとだけ小さく告げた。



 俺が詩子たちと合流したのは楽屋から少し離れた廊下の隅だった。やはり視線が気になり楽屋に着くなり荷物をまとめて廊下へ出たらしい。レイちゃんの荷物も勝手にまとめちゃってごめんねと謝る詩子に、いいよと声をかける。

「ミチルちゃんとマネージャーさんと相談して打ち上げはお好み焼きになりました!」

 明るい声色に、悪口を言われたことはひとまず落ち着いたのかなと安心した。

「俺、お好み焼きひっくり返せないんだよね」

 何気なくそう呟くとミチルから「任せろ」と心強い言葉が返ってくる。

「ミチルは料理が得意なの?」

「いや。ひっくり返すのが上手いんだ」

 表情こそクールだがハッキリと主張する様子からしてかなり自信があるようだ。こんなに自信満々に『ひっくり返すのが上手い』ことを自称する子は初めて見たかもなと、意外な一面をかわいく思った。

 ♪♪♪

 自称していた通りミチルはお好み焼きを返すのがとても上手かった。

 きれいに焼き色がついた生地に照明の光をてらてら跳ね返すソースを刷毛で一塗りし、マヨネーズを壁に描かれた子供の落書きのように絞り出して、仕上げに鰹節をぱらぱら落としてやる。切り分けられたそれを各々自分の皿へ移し替え、四人揃ってお決まりの挨拶を。

「いただきます!」

 温かいうちに食べようと箸でちぎったお好み焼きの端を一齧りして上顎を火傷した。

「そういえば、今日はいろんな方のライブを観る良い機会になったと思うのですが、皆さんはなにか学ぶことはありましたか?」

 マネージャーの質問に詩子は、えっとえっと、と言葉を絞り出す。

「反省するところがいっぱいあって、どっから言っていいか分かんないです……」

「じゃあ今は反省よりも新しく挑戦したいことを言ってみましょうか!」

「新しく、挑戦……! あの、オリジナリティのある挨拶をしてる人がいて、それがすごくアイドルっぽくて、いいなって思ったので詩子もああいう挨拶考えたいです!」

「あ~自分の名前やらユニット名にかけて若干シャレっぽい挨拶してる人がいたな」

 詩子はそれそれ! と何度も頷き瞳をキラキラさせている。

 確かに個性的な挨拶が一つあればお決まりのものとして覚えてもらいやすいし、かなりありかも。

「俺はそうだな……。やっぱりαIndiが印象に残ってますね。他の人たちも勿論すごかったけど、桁が違うというか、頭がいくつも抜きん出ているというか、存在に圧倒されました。同時に自分の実力不足を感じたので新しいことを始めるというより歌もダンスももっと基礎を固めたいです」

 憧れを語った詩子とは対照的に堅実で現実的なとてもミチルらしい感想。

 水森さんは? と話を振られ、皆の視線が一斉にこちらを向く。俺は、遠慮せずに言いたいことを言うことにした。

「自分たちの実力や今の評価を改めて知る良い機会になったと思います。……挑戦したいこと、しいて言えばCMのオーディションに参加したいです。それも全国区で放送される規模のものに」

「CMのオーディション?」

「はい。Light Pillarの目標は、まずWdFの参加、そして優勝。けれど今のままでは予選参加すら難しいと感じました」

 最もそれを感じたのは自分と詩子達との知名度の差だと俺は続けた。

「詩子もミチルも、動ている姿を見てもらった方が人気を得やすい子だと思います。だけど自由に発言できる場に出すにはあまりに経験が足りない、だから映像媒体でしっかりした台本があり、そして多くの人が目にするものに出したいんです」

「そこで商品の広告、ですか」

「現実化しにくいことは承知しています。一段や二段のステップアップじゃない、おそらく三フロア分くらい駆け上るようなものですから」

「…………わかりました。水森さんの言う通り、それらの条件に該当するオーディションを探すのもそれに合格するのもとても大変だと思います。それでも、より前へ進み、より上へのぼるために水森さんが考えてくださったのですから、僕の方から社長に相談してみますね」

 絵空事とも言えるような都合の良い理想を真摯に受け止めてもらえたことが嬉しくて、心臓がつんとする。

 詩子もミチルも伸びしろは十分だ。あとは俺がこの子達の知名度を上げる導線を作ればいい。

「オーディションかぁ……、ダリアプロダクションに入るとき以来だぁ」

「でも詩子は慣れっこだろ? 俺は未経験だぞ」

「詩子、受けるのも落ちるのもいっぱい経験したけど合格はあんまりだから、受かる秘訣とかわかんないや」

 俺がマネージャーと話している脇で詩子とミチルがそんな会話をしていたものだから「俺が教えるよ」と声をかけると、レイちゃん先生だね! と詩子ははしゃぎ、ミチルも冗談めかしたように先生と俺を呼んだ。

 その様子に前のユニットのことを思い出しながら、ずっとこんな関係でいられたらいいなと、鉄板の上で鰹節を躍らせるお好み焼きを見下ろした。

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