合同ライブ①

 何日経っても何週間経ってもデビューライブの余韻が抜けきらない私は心をあの日のステージに置いてきてしまったようにぼんやりと「次のライブはまだかなぁ」と独り言を呟くことが増えた。

 目をつむったらお客さんの姿と揺れるペンライトが鮮明に蘇る気がして何度も瞼を閉じたけれど、私のちっぽけな記憶力で思い起こされるそれではあまりに物足りなくて。やっぱり今日もぽけーっとした顔をして同じ言葉を繰り返す。

「つぎのらいぶはまだかなぁ……」

 足を投げ出して床に座り込んでいるミチルちゃんは、またかと冷ややかな視線を私に向ける。自分の肩周りをほぐしながら「すぐに出来るだろうよ。なんせデビューしたわけだし」となんでもないように言い、隣にいるレイちゃんもそれに賛同してみせた。

「そうそう。アイドルはマルチな活動を強いられるけれど、なかでもライブとは切っても切れない縁だからね。必ず次があるさ」

 アイドルという職である以上ライブは必ず行うと彼は私を安心させるように言ったけれど、私はその優しさにほんの少し反抗するように「その次が待てないの~!」と拗ねた声を上げる。

「どうしてそんなに落ち着いてられるの! 二人とも早くライブやりたくないの!?」

 誰もやりたくないなんて言ってないだろうとミチルちゃんにまっすぐ言い返されて、ふて腐れた私はそれならいいんだけど、と中途半端な返事をする。

「……詩子ね、デビューしたらいっぱいライブ出来ると思ってたの。それが楽しみだったし、ライブのために頑張るぞって気持ちになった。でも、やっぱりそんなに何度も出来るものじゃないんだね」

「そうだね。ライブを開くにはずっと前から準備がいるしお金も掛かる。でも大丈夫だよ。社長はライブを一回やっただけで俺達を腐らせるひとじゃない」

 レイちゃんの言葉にじんわりとした重みを感じる。これは彼が見てきた現実と希望の重みだろうか。

 うじうじしてねーで練習すんぞとミチルちゃんが腰を上げたとき勢いよくレッスンルームの扉が開く。

 この事務所は元気に戸を開けるひとが多いなぁ。

「みなさん! ちょっとお時間よろし――」

 途中まで聞こえた声はガンッという衝撃音に掻き消される。扉の開き加減と入室のタイミングが噛み合わなかったらしいその人はぶつけた額をさすりながらもキラキラと目を輝かせている。

「マネージャー落ち着いて、怪我するようなおっちょこちょいは良くないよ」

「すみません、お恥ずかしいところを見せてしまって……。気を取り直して……! 先程以前より交渉していたお仕事が正式に決まりまして、この度Light Pillarが他事務所さん主催の合同ライブに参加出来ることが決定致しました!」

 マネージャーさんの知らせにさっきまで不安だった気持ちがどこかへ吹き飛び、代わりにデビューが報されたときと同じ胸のときめきが蘇る。

「やったー! ライブー!」

「他事務所主催で合同って事は俺達以外のユニットも出るんだよな?」

「うん、そういうことだ。この時期にやる合同ライブというとおそらく中堅芸能事務所が主催しているものだろう。自分の所の所属アイドルに加えて、ゲストって名目で他事務所のアイドルも呼ぶんだ。複数のユニットを舞台に立たすから客層も様々で新しいファンが増える機会にもなる」

 物知りなレイちゃんは掻い摘まんで説明しつつも、それにしてもよく参加できるようになりましたねと少し驚いている。

「規模もそれなりだし、俺達はまったくと言っていいほど活動を行っていないのに」

「聞くところによりますとデビューライブ後に受けた取材記事を見て興味を持ってくださったようです。Light Pillarはまだ曲も経験も少ないですし、他の参加者さんもいらっしゃるから長い時間舞台に立つことは難しいけれど、精一杯頑張りましょうね」

 私達を鼓舞したマネージャーさんは「要件は以上です。本番、楽しみですね」とニコニコ笑う。

 レッスンルームから一歩外へ出た彼は、しかしなにか思い出したように「あ!」と小さく声を上げ、閉じかけの扉をグイッとまた開いて「定期ライブの企画も組んでいますから、これからどんどんあなた達のステージを作っていきましょう!」と廊下側から拳を握ってみせた。

 ♪♪♪

 ごちゃごちゃと入り組んだ大きな会場は気を抜いたら迷ってしまいそうだし、大きいわりにあまり広くない廊下は端に置かれた機材でより狭まり、沢山の人が行き交ってガヤガヤと騒がしい。この喧騒はデビューライブのときにも味わったけれど、合同ライブという程だからか、デビューライブの時よりスタッフの数が多く、比例して騒がしさも一層。

 このライブは一つの楽屋を出演者全員で共有するようで、楽屋の中もガヤガヤがやがや……。

 楽屋に通されたときに目に入った部屋一面に並べられた長机と、そこに詰め込まれるパイプ椅子の数に結構な人数をここに入れるんだなと静かに驚いた。実際に人が入ったあとなんか何とも言えない有様で、苦言を漏らすミチルちゃんの言葉にこくこくと黙って頷くことしか出来なかった。

「空間に対して収容する人間の数が適切ではない」

「うん……。合同の時にはわりとある光景だから慣れようね」

 両隣に座る二人の会話を真ん中で聞きながら私はキョロキョロとあたりを見渡す。今の感覚はなんていうか、クラス替えをしたらお友達が全然いなかったときのそわそわする気持ちに似ている。

 視線をうろうろさせていて気がついたことがある。どうやらLight Pillarはとても目立つらしい。チラリと横目で見る人、こちらの様子をネタに他の人と会話をする人。目が合う人も数人いたが誰も彼もがすぐに目を逸らす。見られた側の私はあまり良い気分とは言えなかった。だからこれは多分、良い注目ではないのだろう。

 モヤモヤを心に募らせていると、ふと隣から伸びてきた手が優しく私の頬に触れ、そっと顔を前に向けさせる。

「俺が物珍しいんだ。気になるよね、ごめん」

 触れたときと同じように優しく手を放した彼は、頬杖をつきながら冷たい瞳で周囲を一瞥し、またこちらを向くと何事もなかったかのように目を細めて微笑む。

 それから出番が来るまでの数時間を背中に視線が刺さるのを感じながら過ごした。だからスタッフさんから準備をするように声を掛けられたときには座っているだけだったにも関わらずとてつもない気疲れを感じていた。

 出口に向かうために敷き詰められたパイプ椅子の間を縫って歩く。この場にいる人達は全員怖いつもりになっていた私はビクビクしながらそそくさと逃げるように進む。

 その足をより一層早くさせたのは、どこかから聞こえた。

「レイありきのくせに」

 という刺々しい言葉だった。

 ♪♪♪

 舞台袖から私達の前の出演者を眺める。私よりずっと長くアイドルをやっているであろう彼らは客席から贈られる声援に惜しみないファンサービスで応える。その姿はとてもキラキラしていて眩しい。

 私も、ああいうキラキラした人になりたくて、この仕事に憧れたんだ。

 アイドルにはなれた。だけど輝いた存在になれたわけではない。あんなふうになるにはもっと歌も踊りも頑張って、それでいろんな人に見てもらって、それで――

 出番はもうそこなのにさっき聞こえた「レイありきのくせに」という言葉が頭から離れなくて気が散ってしまう。

 そんなことないと、私だってミチルちゃんだってと思わなければいけないのに、確かにそうだと納得してしまう自分が憎い。その癖受け入れることも言い訳することもままならない。

 ステージの方からLight Pillar登場の前口上が聞こえてハッとする。レイちゃんの「行こう」という透き通った声に引かれて、私は一歩また一歩と数多のレーザーライトで照らされる舞台へ進む。

 会場に響く音の跳ね返りに肌がビリビリする。強い声援が私に重くのしかかり潰されるようなプレッシャーを感じた。それ程までの黄色い声が降り注がれていたのだ、ステージに――水森レイに。

 そこかしこから彼の名を呼ぶ声が聞こえる。それは目の前のお客さんには私やミチルちゃんが見えていないんじゃないかと疑ってしまう程で。前は赤いペンライトを振っている人を見れば目が合ったけれど、この場には私のファンを表すそれ を掲げている人はいない。エメラルドグリーンと水色で満たされた客席の誰とも視線が合わない状況に酷く狼狽える。歌い出しは私なのに、私はここで歌ってもいいのかと不安になった。

 けれど時間は待ってくれなくて。鳴り出した音楽を止めることも、歌わないという選択も出来なくて。

 だから私は、喉がつっかえるのを感じながら最初の一音を発した。

 そのときの私の頭の中はあの言葉でいっぱいだった。

『レイありきのくせに』

 ♪♪♪

「きんちょうした……きんちょうした……」

 舞台を降りてからも息がひゅうひゅう言っている。スタッフから手渡された水が上手に飲めなくてケホケホと噎せた。

 音は少し外したけど声はちゃんと出たし、振りも歌詞も間違えなかった。パフォーマンスは問題なかったはずなのに、私が舞台に立っていること自体が間違っているような気がして怖かった。なにより、大好きで沢山の人に聴いてもらいたかった曲を自信を持って歌えなかったことが心残りだ。

「二人とも頑張ったね」

 あの場でしっかり声を出せたのはすごいと、レイちゃんは私達の背中をぽんぽんと叩く。

「確かに面食らったが予想の範囲内だ。デビューライブの環境が特別恵まれていたってことはなんとなく分かっていたからな」

 ミチルちゃんの言葉にはっとする。彼は分かっていたと言った。でも私はどこか、あの恵まれた環境が常にあると思っていた。いつもお客さんがいて、いつも応援してくれる人がいるものだと思っていた。

「お客さんが沢山いても、見てくれるひとがいないときもあるんだね。上手に歌えなかったし、これじゃ新しいファンも増やせないかな……」

「次があるさ」

「このライブしか観ない人にとっては最後だよ」

「最後にさせないための次回にするんだ」

 逸らせないくらい真っ直ぐな眼で、曇りないハッキリした声で、その一言が脳に刻みつけられるのを感じた。

 レイちゃんは小脇にあるパイプ椅子の上に置かれたご自由にお取り下さいと書かれた箱の中からイチゴ味の飴玉をつまみ上げると私に手渡した。

「怖い声出してごめんね。甘いもの食べたらちょっとは気持ちがすっきりするかも」

 彼は渡された飴を大人しく口に放り込んだ私の頭をぐしゃぐしゃにならないようにそっと撫でる。

「ねぇレイちゃん」

「ん?」

「Light Pillarはレイちゃんがいないと成り立たない?」

 レイちゃんはん~? と驚きと疑問が交じったような顔をした。

「難しい問題だね。解釈次第だと思うけど、どうしてそう思ったの?」

「そういうこと言ってるの聞いたの」

 なんだか言いつけるようになってしまった。

 それを聞いて、どうして私があんなに傷心していたのか察したらしい。気がつかなくてごめんねと、レイちゃんはさっきの飴置き場からまた飴を摘まんで私に握らせた。今度はマスカットとラムネだった。

「そうだなぁ。俺がいなくてもステージをこなせるかってことなら、何かの都合で俺がいなくても君達は立派に一つのライブを成功させられると思う。だからこの場合は俺がいなくても成り立つと言えるだろう。……でも仲間意識みたいなもので、誰かが欠けてはいけないと思う。俺は三人でLight Pillarでありたい」

 そう言ってミチルちゃんにも飴を一つ投げ渡す。

「自分がいなくても成り立つというのは少し寂しいからね。……あ、ラムネがもうないや」  自分用の飴を物色していたがどうやら目当ての味がなかったらしい。私はさっき貰ったラムネ味をレイちゃんにあげた。

「レイちゃんはラムネがすきなの?」

「味が特別好きってわけじゃないんだけどね、色が綺麗だから好きなんだ」

「そういえばメンバーカラーの水色もこれが良いってレイちゃんが自分で言ったんだよね。本当に好きなんだね」

 そういうと彼は照れたようにうんと頷いた。



 さぁそろそろ楽屋に戻ろうと踏み出したときステージから鼓膜を裂くような歓声が聞こえてきてビクッと身が跳ねる。この歓声はさっきのレイちゃんへのものよりずっと大きい。 『今日はなんとスペシャルゲストが――』

 ゲスト、といえば私達も一応それにあたるはずだけど、スペシャルと冠するくらいなのだ、きっと凄い人が来ているのだろう。

「それにしてもこの歓声は……」

 そう怪訝な顔をして振り返ったレイちゃんは靴底が床に張り付いてしまったかのように固まる。私とミチルちゃんは彼の視線を追った。先に見えるステージ上には派手な髪色のお兄さんと眼鏡のお兄さん。あの人達って確か――

「αIndi――?」

一覧に戻る