初レコーディング!

 レイちゃんが加入してから一週間と少しが経った。基礎が固まっているからか、初レッスンの日に歌もダンスも完璧に覚えきったレイちゃんは既に私達を引っ張っていく立場についていた。今の私達と比べて実力がいくつも抜きん出ているレイちゃんと同じステージに立っても引けを取らないよう、これまで以上にレッスンに打ち込む日々が続く。

 今までもそんなつもりはなかったが、私達の芸能活動への姿勢から遊びの雰囲気は欠片もなくなった。レイちゃんが時間を割いて私達の自主練に付き合ってくれたおかげでユニット全体のパフォーマンスの完成度はめきめきと精度を上げていった。



   いつも通りボイトレを終えた後、中原先生が私達三人を呼び集める。レッスン後に招集が掛かるということは大事な話があるに違いない。

「水森くんが加入してからそれほど経っていないけれど、今日の様子を見て及第点に達していると判断しました。三日後の七月十四日のレッスンはマンツーマンで行います。そこで細かい修正をして、翌日十五日に都内のスタジオでデビュー曲のレコーディングを行います」

 レコーディング――。デビュー前の大事なお仕事だ。

 レコーディングスタジオの見学やちょっとした歌録り体験なんかはしたことがあるけど、ちゃんとした、それもアイドルとしての持ち歌のレコーディングなんて初めてだ。

 頭の中で『あと四日ある』と『もう四日しかない』がぐるぐると駆け巡る。もう既に緊張してしまっているこんな状態で、上手く本番を乗り越えることなんて出来るのかなぁ……。

 ♪♪♪

 今日は先生と二人でレッスンだ。この日を迎えるまでの三日間はずっと緊張しっぱなしだった。

 私の今日の第一目標は先生から本番も大丈夫ってお墨付きをもらうこと。それは間違いなく私の自信に繫がるし、自信が持てれば緊張もマシになるはず……、というかマシになってほしい。

 そんな願望を胸にレッスンルームに踏み入る。キーボードの前に腰掛ける中原先生は準備万端といった様子で「百瀬さんの準備が整ったらすぐに始めましょう」と普段より一段と気合いの入った声で指示を出す。しっかりと、でも急ぎ気味にストレッチを済ませ小走りでキーボードの前に駆け寄った。

「今日もレッスンよろしくおねがいします!」

 元気よく声を出す私を見届けた先生はうんと頷いて、頑張りましょうと一言返してからオーディオの操作を始める。

 私は歌詞が印刷された用紙に視線を落とす。あのボーカルテストの時に渡された大切な物。これまでのレッスンで沢山メモや注意点を書いたから紙はだいぶ汚れていた。

「それでは1Aからいきましょう」

 最初のAメロ、ここが合わなかったら聴くのを止めてしまう人も多い場所。まずはここを完璧にしなきゃ。

 大事なデビュー曲だから、私も気合いを入れて一節ずつ音程や表現の確認をして細かな修正を加えていく。



 私の歌を一通り聴いた先生は満足そうな顔をしている。実際には口元しかちゃんと見えていないからはっきりとした表情は読み取れないのだけど、でも確かに口角は笑顔のときの上がり方をしている。

「百瀬さんらしさを残しつつこの曲にあった歌い方だと思います。明日もこの調子で頑張ってください」

 念願のお墨付きに思わず「やったー!」と声を上げる。緊張はいつのまにかどこかへ飛んでいた。

 ぴょんぴょん飛び跳ねながらはしゃぐ私を見ながら、実はね、と先生が話を切り出す。

「この曲は僕が書いたもので、アイドルへの楽曲提供なんて経験がなかったから色々悩んだり考えたりしながら曲を作って歌詞を書いたんだ。作者が多く語るのは格好良くないと思うけど、一つだけ、忘れてもいいからこれを歌う君に聞いてほしいことがあります」

 先生が真っ直ぐ私を見つめている気がしたから、その視線に応えるようにすっと姿勢を正す。

「この曲は意図的に少し抽象的な詩にしてあるんだ。僕からこの曲の詳しい解説は言わない、というかノリで作っているから解説すべき答えもない。だからLight Pillarの三人にはそれぞれの視点から捉えた自由な解釈を心に留めて置いてほしいと思っている。だから明日はぜひ、自分の解釈を信じて歌ってみたください。きっとそれがこの歌の正解だから」

 大した話じゃなくてごめんねと小さく笑う中原先生の前髪の隙間からほんの少しだけ目元が窺えた。ツリ気味で一見きつく見えたけど柔らかく細められた目からは優しさが感じられた。

 ♪♪♪

 とうとうやってきた七月十五日。三人揃って車でスタジオに赴く。スタジオのビルに入るときからドキドキしていたがレコーディングルームの中の大きなガラス越しに広がるブースを前に一層胸が高鳴った。

 ディレクターに挨拶をしてミーティングを始める。いきなり未経験の私やミチルちゃんに歌わせるより、先に経験者をお手本として見せた方がスムーズに進行できるのではないかという配慮から最初はレイちゃんが歌うことになった。二番目がミチルちゃんで、最後が私。

 ガラスの向こう側でヘッドホンを掛けるレイちゃんを見つめる。彼ははよろしくお願いしますと一礼すると譜面台へと視線を移す。その真剣な面持ちに思わず息を飲んだ。

 ディレクターの合図と共に曲が流れ出す。歌い出しの音程もリズムもすごく正確で、綺麗で、すっと耳に入ってきて流石だなぁとミチルちゃんと一緒に尊敬の眼差しを向ける。

 Aメロで一発OKをもらうとすぐさまBメロの録音にとりかかる。あぁ、Bメロもやっぱり上手だな。こっちもきっと一発で終わるんだろうな。レイちゃんを見ていると長年やっている人はやっぱり違うなと思う。

 そんな事を考えているとき、美しい歌声が一瞬もたつく。

「あ……すいません、もう一回お願いします」

 レイちゃんは照れた様子で私達から顔を逸らす。

「今噛んだな」

 ミチルちゃんが呟く。珍しいものが見れたというその口元には微かに笑みが浮かんでいた。私はというと、こういうことを思ったら悪いかもしれないけれど、ベテランのレイちゃんでも失敗すると分かると少し気持ちが楽になった。

 ♪♪♪

 サビやコーラスまで取り終わったレイちゃんがこちらに戻ってくる。ブースに入っていたときと違っていつもの柔らかい表情に安心感を覚えた。

 ミチルちゃんの番が始まるまで三人でわいわいとお喋りに花を咲かす。

「レイちゃんお疲れ様! 歌ってる姿とってもかっこよかった!」

「ありがとう詩子、……それで、ミチルはいつまでにやけを堪えてるの」

「いや、さっき一端収まったんだけどな。すまん」

 弁明しつつもまだ口元が笑っているミチルちゃんのリラックスしている姿につられて私の緊張も和らいだ。

 お喋りも束の間、ディレクターからミチルちゃんに声が掛かる。ミチルちゃんはすぐさま立ち上がると譜面を持ってレコーディングブースにゆっくりとした足取りで入っていく。真っ直ぐな目をしている横顔を見るに気後れはしていないようだ。



 こちらにまで届く歌声は良く通る声で聞き取りやすくて、聴いていて心地が良い。細かな表現の指示を出されつつ数回ほど録り直してAメロBメロ共に着々とこなしていく。

 この曲のサビはキーが少し高めでちょっと難しい。レイちゃんは高い音も出せていたがミチルちゃんは少し上手くいかないみたい。

「佐倉くんは地声からファルセットに繋ぐのが苦手なのかな。力任せに張り上げないで静かに上げるように意識しながら、もう一回いってみよう」

 ディレクターのアドバイスを受けてミチルちゃんは神妙な面持ちで歌い直す。今度はすごく綺麗に音が出ている。思い通りの音が出せたらしい、ミチルちゃんの表情にも安堵が表れていた。

「おぉ、今の綺麗だね。この音源は使おう」

 褒められて陰で小さくガッツポーズを作るミチルちゃんが目に留まり、私まで嬉しくなった。

 ♪♪♪

 ミチルちゃんの番も終わりとうとう残りは私だけ。さっきまで収まっていた緊張がどっと押し寄せてくる。どうやら今まではなりを潜めていただけだったらしい。

 不安と緊張を取り除きたくて歌録りが終わった二人にどんな感じだったか沢山話をしてもらった。誰かの声を聴いていなければ座っていられない程にそわそわしていて、とにかく落ち着いていられなかった。

「向こうで歌っているとライブとかテレビに出ているときとは違った仕事してる感を得られるね。なによりすごく楽しい。大丈夫、俺みたいに噛んでも問題なく事は進んでいくよ」

「あっちに行くともう歌うしかないから緊張とかそのうち気にならなくなる。あとOKが出るとめちゃくちゃ嬉しい」

 今体験した事を語る二人はとても良い笑顔をしていて、本当に楽しいことなんだと感じた。そうこうしているうちに私に声が掛かる。

 昨日中原先生から言われた自分なりの解釈もちゃんと考えてきた。これが正しい事なのかは分からないけれど、私は私の正解を信じて『私が感じた私の解釈』を精一杯歌に乗せられるようにと意気込む。

 よし、行かなければ。レコーディングブースへ。



 AメロもBメロもサビも沢山リテイクを重ねた。多分私のレコーディングが一番時間が掛かっている。だけど次はいよいよラストのサビだ。曲でもっとも盛り上がるところ。曲の最後を締め括る重要な部分。私はここの歌詞が凄く好き。三人で歌えたらきっととても楽しいんだろうな。

 レイちゃんとミチルちゃんが歌っているのを聴いていたせいか、このサビを三人で歌っている姿が頭に浮かんだ。どんな風になるかは分からないけれど、三人揃ってステージで歌うところを想像しながらやってみよう。

 大きなステージにペンライトが光り輝く、揺れる光のなかで私達はデビュー曲を歌う。三人の声が合わさり、マイクを通してスピーカーから私達の歌声が会場の外まで、ずっと向こうまで届く。そんな想像。

 そうしたらなんだか自分でもびっくりしてしまうくらい良い声が出て、その歌声は今の私はきっとちゃんとアイドルらしいことが出来ていると自惚れてしまうくらいだった。

 曲が止まる。ディレクターが何も言わないから指示を仰ごうとガラスの奥に目をやると向こう側にいるみんなは少し驚いたような顔をしていた。

「うん、これはもう完璧だ。じゃあ詩子ちゃんも最後にコーラスを録って終わりにしましょう」

 ♪♪♪

 ブースの扉を開けみんなの元に戻るとレイちゃんとミチルちゃんがお疲れ様と出迎えてくれた。二人が笑顔で迎えてくれたから私も自然と頬が緩んだ。

「ね? 楽しかったでしょ?」

 レイちゃんの言葉に何度も力強く頷く。そんな私を見たミチルちゃんは微かに微笑みながら頭取れるぞなんて冗談を言う。

 ふと、私達を眺めるディレクターと目が合った。彼はとても穏やかな目をしていた。

「あまり昔の話を持ち出すのは良くないと思うけど、水森くんはなんだか色々と柔らかくなったね。表情だけじゃなくて、歌声とかも」

 穏やかな眼差しの理由はレイちゃんだったらしい。ディレクターから言われた言葉にレイちゃんは照れと困りが交じった表情を浮かべる。

「前のユニットはコンセプトが和やかとは反対のものでしたし、同調なんてものとは縁が少なそうなやつが多かったから。単純な話、俺にはこちらの方が性に合っているんでしょうね……多分ですけど!」

 元気の良い語尾に多分と付け加える様子が私にはなんだか取り繕っているように感じられて、この前のミチルちゃんとの会話もあって少し気に掛かった。違和感の正体なんて本人に聞くことは出来ないから憶測でしかないけれど。

「デビューシングルの完成きっと待ち遠しいかと思いますが、頑張って制作しますので楽しみにしていてください」

 ディレクターの締めでデビューシングルのレコーディングは大成功で幕を下ろした。

 ♪♪♪

 レコーディングから二週間が経った今日、レッスン終了後に中原先生から招集が掛かる。レコーディングが一段落ついて緊張が抜けきっていた私は「なんだろ?」と暢気にレイちゃんに話しかける。レイちゃんは「なんだろうね、楽しみだね」って私に期待を持たせるように微笑んだ。

「サプライズっぽくしたかったんだけど水森くんはもうなんとなく分かっている顔をしているね。多分予想通りです。二週間前に収録したデビューシングルの音源が完成しました。今からみんなに一枚ずつ音源が入ったCDを配布します。あ、重要なものだから流出とかさせないようにね」

 背中に回していた手をパッと前に出し、白いディスクが透けて見える透明なCDケースを鎖骨のあたりに持ち上げてみせる。

 私達それぞれの名前が書かれただけのなんの変哲もないCDなのに、デビュー曲の音源が入っていると考えるとまるで熱に侵されたようにじわじわと心拍数が上がっていく。

 先生が差し出すCDをレイちゃんはニコッと小さく微笑みながら慣れた手つきで、ミチルちゃんは畏まりながらも私と同じ気持ちなのが伝わってくる表情を浮かべながら両手でしっかりと受け取る。私はというと受け取ったケースを天にかざして「おぉ……」と感嘆の声をあげることしか出来なかった。それほど嬉しかった。

 全員にCDを配り終えた先生が「そこのオーディオで聴いてみたらどうかな」とこの場で聴くことを勧めてくれる。

 ドキドキしながらオーディオにディスクを吸い込ませる。白いディスクが全て収まったのを確認してから私は「ミュージックスタート!」という軽快な掛け声と共に三角形が描かれた再生ボタンを人差し指で押し込む。

 この曲を聴くのはもう何回目だろうか。ダンスレッスンも含めたら何百回も聴いているはず。だけど聞き慣れたと思ったのは最初だけで、イントロが終わったあとは全く新しい世界が広がっていた。

 女の子の声が耳に入ってくる。まだあどけなさが残る高い声を大人っぽい曲に馴染ませようと精一杯歌声を紡いでいる。

 ――あぁ、私の声だなぁ

 自分の声を認識した途端ぽろぽろと涙が落ちてくる。

 ミチルちゃんは突然静かに泣き出した私に驚きながらポケットティッシュを差し出してくれる。私とミチルちゃんのやりとりを眺めるレイちゃんはとてもとても優しい顔をしていた。

 スピーカーからミチルちゃんの声が聞こえてきて、彼は私に向けていた視線をパッとスピーカーへ移す。

 普段喋る声より少し高くて色っぽい歌声。これがミチルちゃんが感じたこの曲のイメージなのかなと思ったら涙を流しながらも笑顔になれた。

 私は、もしかしたら歌が上手で人気なレイちゃんに沢山パートが割り振られて、私やミチルちゃんにはあまり出番がないんじゃないかなんて不安に思っていた。だけど三人全員に見せ場が用意されたパート割りに『Light Pillarの曲』なんだと、ちゃんと三人の曲だって言っていいんだと嬉しくなった。

 静かにフェードアウトして余韻を残しつつ曲が終わる。

「初めての自分の曲はどうだった?」

 中原先生は私に聞く。私は掠れた涙声で必死に拙い言葉を絞り出す。

「詩子の声じゃないみたいだったけどちゃんと詩子の声で、なんか、すごく嬉しかったです」

「百瀬さんは今聞いた自分の歌、好き?」

「……すき」

 またぽろぽろと涙をこぼす私の頭を誰かがそっと撫でてくれたけど、顔を覆っていたせいで誰の手か分からなかった。

「今聴いた曲は紛れもなく君達の曲で、今君達が感じたものは自分の曲が出来ることに対する喜びだと思います。自分の作品が出来るって事はそれだけ心が動かされることなんです。君達はこれから沢山の曲と出会って触れ合って、その曲達を自分達の物にして人々に提供する立場になります。その経験には少しずつ慣れていくと思うけど、今感じたその気持ちはずっと覚えていてね」

 中原先生の言葉に三人揃って「はい!」と返事をする。

 これでまたデビューに一歩近づいた。早くこの曲を誰かに聴いてもらいたい。いろんな人にLight Pillarの曲だって覚えてもらいたい。

 そんなアイドルらしい感情を抱けることがとても幸せで、この、胸をぎゅっと締めつけられる感覚を抱きしめるように、胸元に抱えたCDを持つ手に力を込めた。

 私はこの気持ちに一生慣れたくない。ずっとこの胸の締め付けを愛おしく思っていたい。

 

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