れいと水森レイ②

「八月にデビューだってことは事前に聞いているんだけど、二人はデビューした後のことについてどれくらい考えている――、というかどれくらい理解している?」

 デビューした後。ライブをしたり、イベントを開いたりとかだろうか。私はアイドルには詳しいけどアイドル業界には疎かったためその程度の知識しか持ち合わせていなかった。ミチルちゃんは私よりも少し詳しいらしく一般的な芸能活動以外にも営業についてなどに言及していた。

 レイちゃんは、デビューも間近に迫っていることだしデビュー後のことも予め知っておいた方が心構えがしやすいんじゃないかと提案してくれた。

「デビューしたらまずは仕事を取ってくる必要がある。待っていても向こうからはなかなか来てくれないからね。ユニットの仕事は基本的に事務所に任せるとしもほとんどの仕事は自分達である程度頑張らなきゃいけない。以前から活動していた俺と完全に素人の詩子とミチルでは認知度にかなり差があるから、初めは小さな仕事も個人ではなかなか来ないと思う」

 確かに私達とレイちゃんでは芸歴も知名度も大きな差がある。ミチルちゃんも腕を組みながらそんなものだろうと言っている。

「そう、最初はみんなそんなもん。でもやっぱり仕事は欲しいよね? そこで必要なのがオーディションだ」

 そう言うとレイちゃんは自分の鞄からメモ帳とボールペンを取り出して『一般オーディション』『ライブ形式オーディション』とさらさらペンを走らせる。

「オーディションは大きく分けてこの二種類。まずは一般オーディションだけど『一般的なオーディション』であって『一般人も受けれるオーディション』じゃないよ。そういうのもあるけど俺達にはあまり関係ないから割愛。一般オーディションは参加資格のボーダーが低くて新人でも受けやすいのが利点、でもその分倍率が非常に高い」

 レイちゃんは一般オーディションの文字をペンの先でトントンと示しながら説明すると今度は隣に書いてあるライブ形式オーディションへとペンの先を移動させる。

「そして『ライブ形式オーディション』。こっちは開催企業からのオファーがないと参加できなかったり芸歴や資格などに何かしらの制限が課せられたり、参加すること自体が難易度高めだ。それに一般オーディション以上のパフォーマンスを要求される。それこそ名前の通りファンを前にしたライブみたいなものをね」

「詩子、ライブ形式の方はなんとなく分かるよ! テレビで観たことある」

 話が早くて助かるよとレイちゃんは微笑み、私と違っていまいち理解していないミチルちゃんへ向けて噛み砕いた説明を施す。

「ライブ形式オーディションは審査の過程を生放送したり一般客を審査員として動員したりするんだ。その恩恵で一般オーディションよりも宣伝効果が高い。俺の経験上、爆発的な人気が出るアイドルはここで知名度を一気に稼いでいることが多い」

「ライブ形式の方を重点的に話すあたり、それだけ有名になるのに必要なんだな。経験上って言葉が出てきたけどαIndiもライブ形式で人気になったのか?」

 ミチルちゃんの言葉に、さっきまで優しさと真剣さを帯びていたレイちゃんの瞳に一瞬憂いが映る。

「あぁ、αIndiもライブ形式が発端だったよ。もう昔のことだけど」

 言葉の端々が少し刺々しく感じたのは、多分、きっと、私の気のせい。

 優しい雰囲気をその目に戻したレイちゃんは「オーディションの話は今ので概ね大丈夫かな」と手元のメモを見下ろしている。

「ちょっとややこしい話をしたけれど、『少しでも興味のある一般オーディションには積極的に参加する』『ライブ形式に出る機会が来たら最善の結果を残す』これさえやっておけば仕事は増えていくはずだ」

 レイちゃんはそう言って笑う。

 やっぱり最初は地道にやらなきゃダメなのね。ステージに上がっていないアイドルは案外地味なのかもしれない。溜め息とまではいかないが、ふぅと鼻から空気が抜けるのを感じた。



 レイちゃんはさっき使っていたメモ用紙を捲って綺麗な面を表にすると次の説明を始める。

「次はデビューしたアイドルが目指すものの話だ。勿論それぞれ個人としての目標はあるだろうし、それが今見つかっていなくても活動していく内に自分の進みたい道が見えてくるはずだ。今回は個人の話ではなくユニットとして目指す場所の話」

 そう言いながら紙に書かれたのは『WdF』の三文字。

「ウィンターダフネ・フェスティバル……」

 呟くかのように小さく読み上げると、レイちゃんはよく知っているねと褒めてくれた。けどまあそりゃ知ってるよ、アイドルと言ったらWdFみたいなところあるし。私は好きな話題が出てきたことに内心喜んでいた。ミチルちゃんもなんとなく知っているらしく「冬にやってるアイドルのやつでしょ」と言っている。

「そう、年に一回冬季に開催されるアイドルの祭典。ルールはとてもシンプルで『歌・ダンス・表現力など各パフォーマンスの出来を点数に換算して総合点が高い方が勝ち』これだけだ。広義の意味ではWdFもライブ形式オーディションに分類されるかな」

 私達はレイちゃんが喋りながら走らせるペンの先を目で追いながら黙って話に耳を傾ける。

「条件に当てはまるほとんどのアイドルがこの大会で優勝することを目標にしているとされている。勿論参加は任意ではあるけれど、アイドルという仕事を好んで活動している人は自ずと一度はここを目指すのは確かだ。俺達Light Pillarとしての目標もひとまずここに設定しておきたい」

 指を組みテーブルに肘をつくレイちゃんは私達に今までの話で質問はあるかと問う。今の説明で充分かなと考えていると隣にいるミチルちゃんが話を切り出す。

「ユニットとしての目標がWdF優勝なのは分かったしそれに異論はない。ただそんな大規模な、それこそ既にテレビに出て活動しているような奴らまで出場する祭典でレイはまだしも俺と詩子はやっていけるのか?」

 ミチルちゃんの疑問は当然のものだと思う。力量差がありすぎて相手にすらならないのではという不安は私にもある。

「確かに今の段階じゃ俺達が足下にも及ばないやつらが沢山いるよ。それを理由に出場しないユニットや途中で目標を変えるユニットも多い。新規の出場者も少しずつ減ってきている……まぁ減っても予選をやらなきゃいけないくらいには参加者は多いんだけど。でも参加を見送るのも無理はない」

 それこそαIndiレベルのやつが何組かいるからねとレイちゃんは溜め息を吐く。

「ただ、今いきなりそれらに挑むわけじゃない。WdFは正式にデビューしてから一年以上の活動期間と規定数の仕事をこなした実績がないと出場出来ないんだ。俺達にはまだ猶予がある。出場権が得られるようになるまでは沢山仕事をこなして実績を上げることに努めよう。そのために先に説明したオーディションがあるんだ」

 レイちゃんの話を要約すると、結局のところ今のLight Pillarは下積みをするしかない時期なのだ。これは誰もが通る道で、近道やショートカット、ましてやスキップなんてものはきっと存在しないのだろう。ミチルちゃんもそれを理解しているらしい。「どう足掻いても、せっせと這い上がっていくしかないんだな」と天井を見上げている。

 天を仰ぐ私達を見てレイちゃんはふふっと声を漏らして笑う。この場に来てからレイちゃんはずっと微笑みを浮かべていたが、声を出して笑ったのはたぶん今のが初めてだ。 「あぁ、ごめんね。おかしかったとかじゃないんだ。途方に暮れている君達の姿がなんだか昔の、デビューしたての自分を見ているようで、とても懐かしくなっちゃって」

 照れくさそうに笑う表情は慈愛にほんの少し寂しさが混じったような切なさがあって、そんな顔を今まで誰の顔からも見たことがなかった私は、どんな気持ちになったらああいう表情になるんだろうと不思議に感じた。

 長かった説明も終わり、のんびり雑談を楽しんでいた私達三人だったが、お喋りはふいに鳴ったノックによって遮られた。ノックの主は社長だった。レイちゃんに用事が出来たから呼びに来たらしい。廊下にも楽しそうな声が聞こえてきて安心したよと社長は口元を綻ばす。

「そうだ、佐倉くん。水森くんもうちの寮に住むことになってね、部屋は佐倉くんのお隣になる予定だから何か気付いたことがあったら手を貸してあげてね」

 ミチルちゃんは「わかりました」と社長の頼みを快諾する。レイちゃんも寮に住むんだ。お隣さんというのが私には少し羨ましかった。

 ミチルちゃんの返事を聞いた社長はレイちゃんを連れて休憩室を後にする。レイちゃんは少し名残惜しそうに手を振ってからドアを閉めた。

 彼らが去ったあとのドアを少しの間眺めてから、最初にレイちゃんを見たときはとてもびっくりしたけど凄く優しくて良い人だったし、同じユニットのメンバーとして仲良く出来そうだなと私は嬉しい気持ちを胸いっぱいに感じながら帰り支度を始めた。

「詩子そろそろ帰るねー」

 そう言ってミチルちゃんの方を向くと、彼は私が来たときに読んでいた雑誌のレイちゃんが掲載されているページを見つめていた。

「なになに? もしかしてレイちゃんのファンになったの?」

 理由もなく冷やかすと「ばーか」と軽い口調で突っぱねられた。

 雑誌を見下ろす目はさっきみんなで話していた時とは明らかに雰囲気が違って、何かを真剣に考えているミチルちゃんの本心がわからず、私は小さく問いかける。

「どうしたの?]

「……人気絶頂のアイドルユニットのメンバーがそう簡単に移籍するかよ。しかもあのレベルの芸能人の移籍がニュースにもなっていない」

 ――あいつ何かあったんじゃないか?

 そう発した表情は疑いを向ける自分を恨んでいるようだった。

 昔の話をするレイちゃんになにか引っ掛かりを感じたのは、そういうことなのかな……。でも、

「でもレイちゃん悪い人じゃないと思うよ」

「……俺もそう思う。ちょっと気に掛かるってだけであいつに何か聞こうだなんてことは考えてない。あいつから何か話さない限りは俺らからも何も言わないってことにしよう」

 ミチルちゃんが気に掛けるのも理解出来るし、余計なことを言わない方が良いことも理解している。私は黙って頷いた。そしてバイバイと告げて休憩室を後にした。



 駅の大型広告の前に私はいる。私が眺めているのはさっきまで話していたレイちゃんではない。これは〝αIndiのれい〟だ。

 私の横ではαIndiのファンらしき女の子達が楽しそうにお喋りをしている。

「昨日のラジオさ、なんかれいくんいなかったじゃん」

「全員集合するはずだったやつ?」

「そう! 全員揃うの貴重だから楽しみにしてたのにめっちゃショックだったぁ。でも瀬川くんが――」

 人目も憚らず大きな声でお喋りするその子達の声は私の耳にもしっかり届いていた。

 レイちゃん、ファンの子に何も伝えずに移籍しちゃったんだ……。

 それ以上の会話を聞くのがなんだか嫌で、足早にその場を離れる。



『αIndiのれい』と『Light Pillarの水森レイ』

 どちらもレイちゃんだけど、広告の前で私が無意識に区別を付けたように、この二つは全てが同じものではないんだろう。そんなことを考えながら歩く私の肌を、まだ梅雨明けしていないじめじめした空気が包む。

 ――レイちゃん は一体何を抱えている?

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