れいと水森レイ①

 夕方、私のスマホの通知音が静かなリビングに響く。画面を見るとメッセージが一通届いたことを知らせていた。

 送り主は江坂さんだった。江坂さんから連絡なんて、もしかしたらとても重要な用事なんじゃないかと私は急いで内容を確認する。

『お世話になっております、事務員の江坂です。大変急なお願いなのですが明後日七月二日土曜日の十三時に事務所にお越しいただく事は可能でしょうか? お返事お待ちしております』

 もしかしたら急にレッスンが入ったのかも。その日は空いているし新しく予定が入ることもなさそうだったから私は承諾の旨を返信した。

『大丈夫です、レッスンのスケジュールが変わったんですか?』

『まだ詳細はお話し出来ないのですが百瀬さんと佐倉さんに紹介したい方がいまして、その方にお会いしていただくためにお時間を頂戴したい次第です。当日お待ちしております』

 私とミチルちゃんに会わせたい人って一体誰だろう? さっぱり見当がつかなかったけど当日になれば分かることだと私はそれ以上気には留めなかった。

 ♪♪♪

    七月二日のお昼。いつも通り事務所の玄関に踏み入る。この事務所の門をくぐるのも随分慣れてきた。

 靴を脱いで室内に上がろうとしたとき、ふと玄関に見慣れない綺麗なローカットスニーカーが揃えて置いてあるのが目に付いた。社員さんや私達所属アイドルの靴は靴箱に入れることになっている。つまりこの靴は来客の物。会わせたい人ってもしかしてこの人?

 事務室に挨拶に行くと社員さんが二階にミチルちゃんがいると教えてくれたので私も一緒に待とうと二階へ向かう。

 休憩室ではミチルちゃんがお気に入りの定位置で雑誌を眺めていた。

「ミチルちゃんおはよ!」

 雑誌に目を落としたまま「おはよ」と返事をするミチルちゃんに構わず私は話し続ける。

「今日さ、なんで呼ばれたか知ってる?」

「あぁ。紹介したい人がいるって聞いた。玄関に靴があったしその人じゃないか」

 なーんだ。ミチルちゃんも呼ばれた理由を聞いていたみたい。もしなにも知らなかったらちょっと驚かせてみようと思っていた私はほんの少しつまらない気分になっていた。

「どんな人か見た?」

「いや。俺が来たときにはもう靴があったから直接は見ていない。でも多分あの靴の持ち主は金持ちか相当服装にこだわりがあるやつだぞ」

 どうしてそう思うの? と呆けた声を出すと彼は証拠だと言わんばかりに眺めていた雑誌を私の前に開いてみせる。

「この人がお気に入りだって紹介してる靴、玄関にあるのと同じだろ? ブランド物でそこそこ値が張るみたいだ」

 たしかにミチルちゃんが開いてくれたページで紹介されている靴は玄関にあったスニーカーと色も形も全く同じ物だった。説明文の下部に記してある値段を見て私は思わず瞬きをする。靴に、八万円……。

「高い……」

「高いスニーカーの中では安い部類なんだけどな。兎にも角にも俺達には縁遠い」

 ミチルちゃんと靴の話をしていると休憩室の扉がトントンと小さくノックされる。はい、と返事をすると社長がドアの隙間から様子を窺うように顔を覗かせて「お話があるんだけど今大丈夫かな?」と問いかけてくるから、例の紹介かなと察した私は分かりやすく居住まいを正し、元気よく「どうぞ!」と応対した。社長はにっこり笑うと休憩室に一歩踏み入る。そして社長に促されながら休憩室の外で待っていたらしい男の人も会釈をしながら入ってくる。

 優しそうな、とっても綺麗な男の人。――あれ? この人って。

 私が頭の中で結論を出すよりも先にミチルちゃんが柄でもなく驚いた声を出す。その視線はドアの前に立つ彼からテーブルに開かれた雑誌に移る。

 私達の目の前にいるのは他でもない、この雑誌で紹介されているお兄さん。大人気アイドルαIndiのメンバー『れい』だった。

 有名人を前に唖然とする私達をよそに、社長はれいさんに私達のことを説明している。そして同じように私達にもれいさんのことを話してくれた。

「彼は他の事務所でアイドル活動をしていたことがあるから百瀬くんたちもどこかで目にしたことがあるかもしれない。今月からダリアプロダクションに移籍することに決まった水森レイくんだ。名義も以前の活動で使用していた『れい』から『水森レイ』に変更することになっている」

 移籍――。聞いたことはあるけど具体的にどういった事柄なのかはよく分からない。なんとなく転校みたいなものなんだろうと私は認識している。

「移籍ってことはうちの所属になるんですよね」

「勿論うちの所属になるよ。というか、もう手続きは終わっているから既にうちの所属だ。そして君達と共にLight Pillarとして頑張ってもらう仲間だよ」

 一緒に頑張る仲間。そう聞いて水森さんの方に視線を向けると彼もこちらを見ていたようで目が合った。ニコッと微笑む姿はまさにプロのアイドルだった。

「本当は次のレッスンのときに顔合わせをしてもらおうと思っていたのだけど、八月のデビューに間に合わすとなると練習時間が心配でね。急遽予定をずらさせてもらったんだ。急に呼び出してすまなかったね」

 社長が話している間も水森さんはにこにこと優しい微笑みを浮かべていた。話を聞きながらもその微笑みに圧倒されていた私だったが、社長の「Light Pillarの三人でゆっくり話でもしたみたらどうかな」という提案にはっと我に返る。社長は誰かの返事を聞く前に自らの提案通り私達三人を残して休憩室を後にした。その場に残された私達は互いの顔を見合わせ、誰からともなくひとまず自己紹介をしようという雰囲気を醸し出す。

「佐倉ミチル十九歳です。趣味は音楽を聴くことと楽器を演奏することです。よろしくおねがいします」

「百瀬詩子です、十五歳です。好きなものはアイドルです。よろしくおねがいします」

 二人してガチガチに緊張しながらかなりぎこちない自己紹介を済ます。

 緊張するのも無理ないじゃない、だって本来ならずっと遠くにいる人が目の前にいるんだもの。

「水森レイ、二十一歳です。好きなことは歌うことと自宅でのんびり映画をみること。よろしくお願いします」

 水森さんは穏やかで落ち着いた自己紹介と共に深々と頭を下げた。慣れた様子の水森さんとは対照的に目上の人に頭を下げられてたじろぐ私とミチルちゃん。なんとも言えない空気が場を満たしている。

 私達二人があまりに気を遣いすぎたせいだろうか、水森さんは少し困った顔で笑いながら「俺って怖い?」と小さな声で聞いてきた。

「あぁあ……! ごめんなさい、怖いわけじゃないんです! 詩子もミチルちゃんも有名な凄い人とお喋りするの初めてで、緊張しちゃって、どんなお話をしたらいいのか分からなかっただけなんです!」

 必死すぎる私の弁明にミチルちゃんがひたすら頷いて同意してくれる。その様子を見て安心したのか、水森さんはその綺麗なお顔にまるで花が開いたようにぱぁと笑顔を浮かべる。

「そっか、確かにキャリアは俺の方が上だけど、この事務所では君達の方が少し先輩にあたるし、これから一緒にやっていく上であまり上下関係のようなものは作りたくないんだ。だから気楽に接してはくれないかな?」

 そんなねだり方をされて断れる人はきっといないんじゃないかと感じた。私も思わず勿論と即答してしまった。

「その、ついでにもう一つお願いがあるんだ。二人は呼び捨てだったり、ちゃん付けだったりで呼び合っているよね。よければ俺もそういう仲の良さそうな呼び方をされたいなって……」

 恥ずかしそうに照れながらおずおずと申し出るそのお兄さんの頼みを聞き入れないわけがなかった。

「わかった、じゃあレイちゃんね!」

 私の返事を聞いた水森さん、もといレイちゃんはニコニコしながら私と握手をすると今度はミチルちゃんの方を見つめる。キラキラと期待に満ちた瞳を向けられ、ミチルちゃんは渋々といった様子で口を開いた。

「一応聞きますけど、敬称は必要ですか?」

「必要ないよ。呼び捨てで、出来れば敬語もあまり使ってもらいたくないかな。よろしくね、ミチル」

 そう言いながら差し出された手を、ミチルちゃんは少し考えてから握り返す。

「あぁ。よろしく、レイ」

 レイちゃんはもう一度よろしくと言うと繋がれた手を振って固い握手が交わす。それを眺めながら「コレが男の友情?」と聞くと、レイちゃんは頷き、ミチルちゃんは首を傾げた。

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