オーディション(緑川一茶)
受け持った生徒たちは様々だったけど、みんなそれぞれ良い子で、それぞれ悪い子だった。
同僚たちも個々人の違いはあれど普通のひとが多かった。
そんな『普通』に恵まれた環境の中で、俺は『つまんねぇ』を募らせた。
♪♪♪
退職の申し出が受理されて、ちゃちゃっと引き継ぎも終わらせて、俺は改めて無職になった。大きな怪我や病気でもしない限り数ヶ月の生活に支障がないくらいの貯金はあるし、気は乗らないけど実家を頼ることもできる。けれどそれらは未来への心配を軽くできるだけで今の俺の心を軽くしてはくれなかった。
ベッドに寝転がったまま今までのことをいろいろ考えてみても大きな後悔は出てこなかった。今回塾講師を辞めたことも、その前に高校教師を辞めたことも、そもそも教師を志したことも、後悔にまで至ってはいない。だからそれで死にたいって思ったり、自暴自棄にはなれなかった。
ただ一つ、あれだけ本気になっていたはずのものを捨ててしまったのに後悔も抱けない自分が好きじゃないなって、それだけが胸の中を気持ち悪くさせた。
勝手に理想を抱いて夢を見て、勝手に失望して飽きて。俺の人生そんなのばっかりだ。
これだけ向いてないって現実を示されてもなお教職に憧れを持ち続けている自分に、たしかに本気だったはずなのに、それを捨ててしまっても深く傷つけない人間が教師になったところでなにが説けるんだと、責め立てるように眉間にしわを寄せて目を閉じた。
♪♪♪
気がついたら日付が変わっていた。どうやらあのまま電気もつけっぱなしで寝てしまったらしい。
身も起こさぬままスマホを手に取った。寝起きの頭のだるさもそのままに、検索ボックスへ文字を打ち込む。
【将来の夢 大人】
教師への憧れは依然として持ち続けているが、それを『いつか叶えられるきらめき』だとは扱っていなかった。
俺はいつか叶えられると信じられるきらめき――すなわち〝夢〟がないと動けない。手を伸ばすに足りるきらめきがないとどうしたって暴れも足掻きもできない。
しかし現実は知っての通り慈悲を持たず、俺の欲しかった答えを提示してはくれなかった。
それでも改めて検索をかけること以外できそうもなくて、懲りもせず【大人 夢の見つけ方】と入力して検索ボタンを押す。
ざっと出てきた案を順に試して、そのたび「つまり俺はなにがしたいんだ?」と自問して「わからない」と自答する。
結局答えらしい答えは見つからないまま。
「はぁ……目の前ににんじんを吊されている馬みたいになりたい……」
目の前のなにかに夢中になってがむしゃらに突っ走る。端から見たら馬鹿かもしれないけれど俺から見たらそれは何よりも尊かった。
本気で走る理由が欲しい。燃え切って、たとえ灰になっても、悔いのないような、そんな目標が欲しい。
「せっかくならデカいことがいいな……。世界に色をつけるみたいに、世界の色を変えるみたいに、歴史じゃなくて、誰かの胸に残る〝なにか〟に――」
ああ、そっか。
そうか。
うん、なるほど。
俺はつまり不特定の誰かになんらかの【革命】を起こしたいのか。でも別に政治家とか教祖になりたいわけじゃないし、どっちかっていうとそういうのは嫌だ。じゃあ、どういう手段を使ったら誰かの何かを変えられる?
「なにか熱中や熱狂の対象になればいいのかな。アイドルとか」
……………………………………アイドルか。
「はーなるほどね。アイドル……うん、アイドルか」
検索ボックスには早くも【アイドル なりかた 男】の文字。
「へ~世の中は結構たくさんアイドルを求めているもんだなぁ」
意外とたくさん出てくるオーディション情報。それらすべてを見るのは無理だと早々に判断をつけて、気になる見出しのリンクだけを開いてまわる。
ページを三つか四つほど進めた先にあった『新進気鋭の新事務所ダリアプロダクションの二期生募集』の見出しに惹かれてリンクをタップする。それから合格特典や募集要項にさっと目を通す。
「おぉ……合格したらめちゃめちゃ支援してくれるじゃん……。え? 本当に未経験OKなの?」
ちょっと怪しんで、実績を確認するために事務所の名前を検索。所属者の一覧とこれまでの業績を確認する。
「あ! これαindiのれいの移籍先か!」
じゃあたぶん詐欺とかはないだろうから大丈夫だわと謎の確信を抱きつつ改めて募集条件の項目を確認する。
「経験不問、よし。年齢は十四歳から二十五歳まで、よしだけど俺今二十五だからめっちゃギリギリじゃん。都内まで週二~三回通える方、よし。……うーん、条件は全部クリアか。なるほどねぇ……」
悩んでいるようなことを呟きつつ、寝起きのころより幾分か軽くなった体を持ち上げた。
「ま、メールくらいはパソコン使うか」
それは一歩踏み出すことを決めた独り言。
♪♪♪
最終審査の面接で俺に対するのはダリアプロダクションの社長とその事務所の所属者である水森レイ。なんだか不思議な圧のある相手方にさすがの俺も身構える。
自己PRとか志望動機とか、談笑にも近い何度目かのやりとりのあと、水森さんは言った。
「緑川さんはデビューしたらどんなアイドルになりたいのでしょうか?」
どんなアイドル……。
「だれかの世界を変えられるアイドルになります」
それは『なりたい』という希望ではなく『なる』という決意の現れた宣言だった。
俺の返答を受け、水森さんはすこし意外そうな顔をしたのち笑みを浮かべた。その隣に座る社長もにこやかに微笑んでいる。
「それでは最後の質問にしましょうか。緑川さんにとってのアイドルってなんでしょう?」
社長の問いに、俺は考えたり悩んだりせず、しかし即答とも言えないスピードで口を開く。
「『つまらねぇ』って今日を諦めそうなひとの明日、未来、将来を生きる自分を見つけるための〝過程〟になる。それが俺のアイドルです。俺は、人生を『つまらねぇ』って生きているひとの『おもしれぇ』になります」
隙だらけで『それなら他の芸能分野でも大丈夫でしょう』って言われたら一発KOな、でもこれでダメならどこでもダメだって笑えちゃうくらい俺らしさ満点の答え。
社長は味わうように俺の答えに頷く。水森さんもなんだか楽しいものを見たみたいに笑っている。
「それじゃあファンの皆さんに一緒に『おもしれぇ』を提供できる存在になりましょう」
社長は依然としてにこやかな表情で言った。
「え、あ、え? はい! え? 合格ってことですか?」
だいぶ混乱しているような俺に「そういうことですよ」と水森さんは笑みを向ける。
「わーアイドルのオーディションってその場に合否言うんですね」
「普通は言いませんよ」
「すみません。僕はこのひとだ! って思うとすぐ声かけちゃうんですよ。他の事務所に取られたくないからね」
社長は茶目っ気たっぷりな様子でそう言うと気を取り直したように「後日合格通知と入所に関する書類を郵送しますので必要事項を記入のうえ入所式にご持参ください」と付け加え、水森さんと共に立ち上がって深く一礼する。
俺も慌てて「承知致しました……!」と立ち上がるとかしこまりながら頭を下げた。
♪♪♪
後日本当に届いた諸々の書類を前に、急に「なんで受かったんだ?」とむしろ不安になるなどしたけれど、それでも実際に手元にあるそれらが俺を逃がすわけもなく。俺は入所式を控えるだけだった。
夢も憧れも、それを一度捨ててしまったことと再び手に入れたいこと以外今の俺にはわからない。実感も、技術も、心構えだって、まだ全然だけど、手放してしまったきらめきにもう一度出会うため、力強い二歩目を踏み出したその顔はたしかに晴れやかだった。