切望

 おはモニの収録が終わってからの詩子は以前にも増して張り切っていた。俺以外から見てもそのように映っていたらしく、彼女は江坂さんやLightPillarのマネージャーにも「張り切ってますね!」と声をかけられていた。

 そんなある日のお昼休み。午前のダンスレッスンを終えた俺たちダリアプロダクション所属者達は二階の休憩室でお昼ご飯を食べていた。

 お弁当をつつく詩子と水森さん、駅近くのパン屋さんで買ってきたパンをかじるミチルと黒、姥原はコンビニで買ったらしいパスタを電子レンジで温めている。俺は姥原とは別のコンビニで買った鮭弁当の蓋を開けたところだった。

 六人揃って休憩室に集まれることは珍しかった。普段からどちらかのグループは少し居残って自主練をすることが多かったし、そうでなくとも個人で自主練するひとが何人かいることが常であった。皆が一堂に会しているせいか今日はいつにも増して休憩室が賑やかだ。

「レイちゃん今日はお弁当なんだね?」

「うん。この前サラダと鶏ささみだけで済ませたらミチルに怒られちゃったから」

「動いたあとだしこの後も動くのにサラダとちっさい鶏肉だけは見過ごせないだろ」

「一茶、レンジ使うか?」

「うん? 俺はそのままでいいよ」

「一茶さん冷たいままでもお弁当食べれる派?」

「わりと。さすがに冷え冷えだったら使うけど常温くらいならそのままいくかな」

 そんな会話をしながら緑茶を啜るひとときは学生時代を思い出して結構心地良かった。

「二期生のみんなはあんまり緊張してないね」

 ふいに詩子が言った。たしかにアイドルとしてのお披露目やのちのデビューを控えているとはいえまだまだその実感は少なく、黒も姥原も、もちろん俺も、そこまで気を張ってはいなかった。

「緊張しないか? 人前に出るんだぞ?」

 ミチルが黒に聞く。問われた黒は「舞台に立つことがどんな感じかイメージが追いつかなくて緊張も追いつかないのかも」と答える。それを聞いた水森さんは「三人共焦っているふうではないなとは思っていたけれど緊張に慣れているわけではなかったんだね」とちょっと心配そうだ。

「適度に緊張した方が良い場面もあるから必ずしもそれに慣れる必要はないけれど、直前になって大きな緊張の波が来てしまうとパニックになる可能性もある。少なくてもいいから緊張感は常に持っておく方がいいよ」

 水森さんはそう言いながらブロッコリーを口に運ぶ。

「アイドルになるってどういうことか考えてみたら実感湧くかも! みんなアイドルやりたいからアイドルやるんだもん! やりたいことにまっすぐ向き合ってみたらわかるよ!」

 俺たちは、ただ黙る。その空気に「あれ?」と詩子は疑問げだ。

「詩子はどうしてアイドルになろうと思ったの?」

 聞いたのは俺だった。問われた詩子は嬉しそうだ。

「んっとね、詩子には大好きなアイドルがいるの。たぶん知らないと思うけど神山ロッテちゃんっていうんだ」

 俺はうんうんと頷いて続きを促す。

「ロッテちゃんと初めて会ったのは六歳のときで、詩子はデパートの中で迷子になっていて、そしたらたまたまその日そのデパートでロッテちゃん達スタビ八期生のお披露目会があったらしくて、会場の下見をしていたロッテちゃんが詩子のことを見つけてくれた助けてくれた。その日からずっと詩子はロッテちゃんのファンなの」

「それからずっとアイドルを目指していたの?」黒の問いに詩子は首を横に振った。

「ううん。そのときはただファンだっただけ。その数ヶ月後くらいかな、ロッテちゃんにとって初めての握手会があって、それに行ったのがきっかけでアイドルになろうと思った」

「なにか印象的なことがあったんだな」

 姥原の言葉に詩子は「うん!」と元気よく答える。

「そういうイベントに行くこと自体初めてだったし、大人のひとの中で何時間も並んだり、決まり事でちっちゃい子供でも各アイドルのブースには一人でしか入れなくてお母さんと離れて握手しなきゃですごくすごく緊張したの。それでやっとロッテちゃんに会えたんだけど……まぁロッテちゃんが詩子のことを覚えてくれているわけもなく……って感じで感動的な再会みたいなものはなくって、しかもその握手会で詩子はロッテちゃんに男の子と間違えられちゃってそれまで気が張り詰めていたのと不安だったのでいっぱいいっぱいになって、事前に考えてきた「ロッテちゃんのことが大好きです!」も「応援してます!」も言えなくて、なんでかわからないけど「どうやったらロッテちゃんみたいにかわいくなれますか?」って変なこと聞いちゃって……」

 後悔とか懐かしさとか、いろんなものがこみ上げているような苦笑いを詩子は浮かべている。

「でも、詩子のよくわかんない質問にもロッテちゃんは答えてくれて、アイドルになってステージに立つと魔法がかかってかわいくなれることを教えてくれた。詩子はその魔法の証明のためにアイドルをやるって決めたから頑張ってるの」

「――……いいなぁ」

 俺の口からこぼれ出た言葉に詩子は「なにが?」と不思議そうな顔をしている。

「俺にはその純粋な憧れが眩しくって仕方がない。とてもとても羨ましい」

 無いものねだりも程ほどにしなきゃなと声を上げて笑って見せたけど詩子はすこし辛そうな顔をする。どうやらかえって心配させてしまったようだ。

「一茶さんにもきっと、詩子にとってのロッテちゃんの魔法みたいなものがあると思うけど……」

 彼女の発言にどうしても爽やかな笑顔が返せなくて、俺はどうしようもなくぎこちない苦笑を浮かべる。

「ううん。俺にはないんだ。というか、とっくの昔に捨ててしまった」

 なんで捨てちゃったの? と詩子は哀しそうに聞く。黒も姥原も、水森さんもミチルも、なんだかあんまり明るい顔をしていない気がする。

「俺さ、実は学校の先生やってんたんだよね」

 それから続く自分語りを一同は黙って聞いてくれていた。

 学年で大体真ん中からちょっと下くらいだった自分の成績を一番にしてくれた当時の担任に憧れて教師を志し教育学部に進学。塾講師のバイトをしながら真面目な学生生活を送り、教員免許を取得して無事卒業。非常勤で高校教師になるが数ヶ月で退職。その後改めて塾講師をするが、また退職。

「夢、叶ったのに……なんで辞めちゃったんですか……?」

「うーん、たぶん聞いても詩子にはあんまりわかんない話だよ?」

「それ、質問の答えになってないと思います」

 また俺は誤魔化すみたいに「あっはっは」と大きな声で笑った。

「詩子は結構手厳しいな。……なんていうかな。理想と現実のギャップにやられてしまって、それが〝飽き〟って形で現れたんだ。「思い描いていたものとなんか違うな」っていう〝上手くいかない〟が積もって〝つまんねぇ〟になっちゃったんだ」

「……アイドルも、上手くいかなかったら飽きちゃいますか?」

 俺は悩ましげに視線を逸らした。

「一茶さんが早くステージに立ったらいいなと思います」

「どうして?」

「魔法にかかってほしいから。魔法にかかって「アイドルって楽しい」って思ってもらいたいから」

「俺にもかかるかな?」

「信じていればかかります! だから一茶さんも信じて!」

 向けられたきらきらした希望に溢れた視線が俺を釘付けにした。

「ミチルはなんでアイドルになろうと思ったの?」

 俺たちの会話が一段落ついたのを見届けた黒は興味津々といった様子でミチルに聞いた。

「俺は社長に声をかけてもらったっていうのが一番の理由かな。でも最初はアイドル自体にそこまでこだわりはなくて音楽でプロになれればいいなってくらいの気持ちだった」

 黒は「ミチルは音楽大好きだもんな」となんだか嬉しそうだ。

「ああ。好きだから昔から音楽に携わる仕事がしたくて。でもアイドルはあんまり意識したことがなかったからしっかり調べたことはなかった」

「じゃあ詩子みたいに昔からアイドル一筋って感じではないってことだね」

 俺の言葉にミチルはこくりと頷いた。

「黒もたしかスカウトだったよね。あ、姥原もか。もしかしてオーディション組は俺と詩子だけ?」

「俺は移籍だけど前の事務所のときはオーディションだったよ」

「え! レイちゃんは絶対スカウトだと思ってた!」

「前のグループはベテラン二人以外の三人がオーデイション合格者だった」

「ああ、レイと瀬川さんと五十嵐さんがオーディションだったな」

 詳しいねと水森さんはちょっと恥ずかしそう。

 そんなとき黙っていた姥原が口を開いた。

「水森さんはどうして移籍をしてまでアイドルを続けているんですか? その業績なら他にも他の芸能分野、たとえばモデルへの道だってあったと思うけど」

 水森さんはその問いへ「簡単なことさ」と微笑む。

「アイドルである自分が大好きだからだ」

 姥原は「ほう?」と続きを促す。

「アイドルをやっている自分のことが大好きで、そんな自分を肯定できることが幸せだから。だから俺はαindiは辞めれてもアイドルを辞めることはできなかった」

 そして水森さんは続ける。

「そういうものが、だれにだって、みんなにだってあるはずなんだ」

 彼の視線はまっすぐ俺を見ていた。浮かべられた笑みはすこし寂しげだ。

 あるはずだって言われても、かつて存在したことしかわからない。それすら捨ててしまったことしかわからない。

「はは……あるといいなぁ」

 曖昧な返事には飢えきった心から出る切望ばかりが満ちていた。

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