憧れ
休憩中のレッスンルームにマネージャーさんの元気の良い声が響く。
「おはよーモーニングにゲスト出演が決まりました!」
『おはよーモーニング』とは平日朝にやっている子供向けバラエティ番組であり小学生を中心に絶大な人気と知名度を誇っている。
「おはモニかぁ懐かしいなぁ。俺が小学生のころにはもう始まっていたよ」
「俺も。見終わってから家出ると丁度いい時間に学校に着いたからほぼ見てたな」
レイちゃんとミチルちゃんが口々に懐かしいと口にしている。マネージャーさんまで「僕が小学生のころにももう始まっていましたよ」なんて笑っている。改めておはモニという番組の歴史の長さといかに小学生を虜にしてきたかがうかがえる。
「詩子たち本当におはモニに出られるんですか!?」
食い気味にそう聞くとマネージャーさんは笑顔で「そうですよ! 番組プロデューサーさんから直々の指命をいただきました!」と嬉しそうに答えてくれた。
「詩子はどう? おはモニ見てた?」
「……る」
「ん?」
「実は、今も見てる。決まった曜日だけだけど」
「なんでそんな神妙な顔をしているんだ」
「だっておはモニって小学生が見るやつでしょ? みんなもさっき〝小学生のときに見てた〟って言ってた。高校生になっても見てるのたぶん詩子くらいだし……」
いじけたようにそう言うとレイちゃんは「気にしなくてもいいのに」と優しく声をかけてくれる。それでも私は高校生になっても小学生向けの番組を見ていることがどこか恥ずかしく思えてしかたがない。
「今でも見てるってことは詩子はおはモニが好きなのか?」
ここでそのまま頷いてしまうと「百瀬詩子はおはモニが好き」という間違った認識を植え付けてしまいそうだと察知した私はすぐさまミチルちゃんの言葉に否定を返す。
「おはモニが好きって言うよりおはモニのレギュラーが好きなの! 鵯巣ヒヨリちゃんっていう詩子の好きなアイドルグループに所属している子が水曜日のレギュラーで、ヒヨリちゃんは詩子の大好きな推し神山ロッテちゃんと仲良しだからたまに話題に出てきたりすることがあってレアな話とか聞けるときがあるの! それにゲストアイドルの出演するライブパートもあるし、とにかく詩子はおはモニ自体が好きってわけじゃなくて――」
「おいどんどん言い訳じみてきてるぞ」
「ふふ。でも良かったじゃないか」
なにが良いの? とレイちゃんの方をうかがうと、彼はいつの間にかなにやら用紙を手にしていた。その紙をのぞき込こみ内容を確認する。どうやらおはモニ出演に関する書類らしい。
「ほらここ、見てごらん」
レイちゃんの指で示された場所に視線をスライドさせてその文字を認識したとき、私は思わず声を上げた。
「えっ!? 詩子たちがゲストで出る日って水曜なの!?」
「そうみたい。だからそのレギュラーの子にも会えるんじゃない?」
ちょっと待ってと言いたかった。いきなり好きなアイドルに会えるって言われたって心の準備をする時間くらいほしい。というか今回は握手会やお渡し会で会うのとはわけが違う。私も相手もアイドルとして、同じ仕事に臨む同業者として接することになる。そんな心得持ってないよ!
私が頼れる相手はひとりしか思い浮かばなかった。
「レイちゃん!」
「ん? なにかな」
「プロとして好きなアイドルに接するにはどうすればいいですか!? 詩子はきっと緊張しちゃって上手く喋れなくなってしまうと思うの」
アイドルとしてちゃんとできない気がする不安で、すがりつくように私はレイちゃんに詰め寄った。この答えを知ってそうなひとを私はレイちゃん以外に知らない。
「そうだなぁこれと言えるほど俺はそういう経験は多くないのだけれど、強いて言うならまず相手は業界の〝先輩〟だって意識すること」
先輩……と私は小さく復唱する。
「そう。もちろん推しの前で失礼なこともできないだろうけど先輩にだっていろんな意味で失礼なことはできないよね? 逆に言えば推しの前でも先輩の前でも失礼な事さえしなきゃいくら緊張していたっていいんだ。俺たちの仕事を一生懸命やり通して節度を守ればたとえ同じ仕事に打ち込む同業者でも愛でていいんだと俺は思うよ?」
何事も挑戦だと私の肩をぽんと叩いて「頑張ろう!」とレイちゃんは笑いかけてくれる。
「うん。わかった、頑張ってみる」
幸か不幸か、好きなアイドルではあるけれど私の一番の推しではない。だから緊張もある程度は抑えられるはず……。
あー、でも、ちゃんとアイドルらしくやれるかなぁ。
♪♪♪
ダンスレッスンとボーカルレッスンの間の隙間時間に休憩室でトークの練習をみんなでした。けれど話す相手は普段から会話し慣れている社員さんやマネージャーさんだからどうにも本番通りにはいかない。
「俺たちの今の弱点はトーク力が弱いところかな。WdFでもトークが重要になってくる。トーク力を底上げできるようにバラエティー番組の出演を増やすことを課題にした方がいいと思う」
「たしかにトークの実践的な練習を身内でやってもいまいち手応えないもんな。これからは今までの歌番組主体の活動と並行してトークバラエティーにも積極的に出られるようにしないと」
歌とダンスは養成所でもやっていたけれどトークとなると面接対策用のものしかやったことがなかった。しかも面接に落ちまくっていたあたり、私はトークが下手な部類なのだろう。
「会話を広げることは基本司会者さんやレギュラー陣がやるからゲスト出演が主な俺たちはいかに面白いコメントをしてどれだけ発言を拾ってもらえるか、どれだけ発言を使ってもらえるかにかかっている」
「まぁたしかに面白いこと言えなきゃカットされるし、そもそも発言しなきゃ少しも映れないだろう」
「そういうこと。ただし一切話を広げることを意識しなくてもいいわけではないよ。ラジオとかいつか俺たちがレギュラーの番組ができたとき様々な対応ができているように今のうちからいろんな共演者さんんたちのことを見て勉強するんだ」
「今思うとクイズ番組みたいなゲーム性のある番組は結構やりやすかったのかもな」
「あれはあれで難しいと思うんだけどミチルは上手くやったよね。クイズバラエティーとトークバラエティーは似て非なるものだけど、ちゃんと事前アンケートやその回答を元にした台本なんかも用意してもらえるから安心して、できる限りの最善を目指そう」
そんなことを話しながら引き続きトーク練習をしていると休憩室の扉が静かに開く。入室してきたのは一茶さんだった。
「おぉ……Light Pillarに職員までみんな揃って今はなんの練習だい?」
「トークの練習をしています! 上手に面白い受け答えが出来るように話にオチを付ける練習をしたりとか、会話の間の取り方とか、あとはメンバーのことを聞かれたときに答えられるようにお互いの意見交換とかをしています!」
わたしは元気よく今やっていることを説明してから「一茶さんは休憩ですか?」と問いかける。彼は自分の目的を思い出したようにほんの小さく「あ」と呟いて改めて口を開く。
「休憩もそうなんだけど、たしかLight Pillarはおはモニの生放送に出演するんだよね? 社長と先方の計らいで撮影の様子を二期生全員で見学させてもらうことになったから報せておこうと思って。おはモニ以外に新譜のレコーディング、衣装合わせ、ジャケ写やMV撮影なんかの見学もさせてもらえることになったんだ」
「まぁデビュー前にいろいろ知っておくのはいいことだよな。俺たちは本番中にレイに教えてもらっていたけど事前に流れや雰囲気を把握できるだけでもかなり安心感を得られるだろうし」
「そーいうこと! ってなわけでよろしく頼むよ先輩たち! かわりと言えるほどではないと思うけど俺も付き合える練習は精一杯お供させていただくよ」
一茶さんは爽やかに歯を見せて笑う。その笑みに私たちは元気づけられた。
♪♪♪
いよいよ生放送当日。楽屋入りしてメイクとヘアセットを済ませて衣装に着替え台本を受け取って、とうとう出演者さんへ挨拶回りをする段階にまできてしまった。
おなかの上の方が変な感じがして、緊張で寝不足なこともあり私の頭はまったく働いていない。
「ぅう……う……」
胃を押さえて小さく唸る私を見たミチルちゃんは「おまえ本当にそんな調子で大丈夫か?」と心配と呆れを交ぜた顔で見下ろす。
「失礼なことさえしなければ挨拶回りでいくら緊張したって問題ないとは思うのだけど、俺から見てもちょっと心配だな」
やや前屈みになった状態でおなかに両手を当て、まるでおなかの中に何かを隠しているみたいな姿勢で廊下をとぼとぼ歩く私の背中を、ミチルちゃんはほんのちょっと力を入れてペシッと叩いた。
「しゃんとしろ」
「そうだよ詩子。好きなアイドルとか以前に業界の先輩だって話ししたでしょう? そんなへにょへにょで挨拶なんてしたら失礼だろう?」
「はい……そのおりです……」
とぼとぼゆっくり一部屋ずつ挨拶していっていたはずだけれどテレビ局の廊下の長さなんてたかがしれていて、とうとう三つ目の楽屋の前までたどり着いてしまっていた。
そろそろヒヨリちゃんの楽屋かなと考えながら楽屋前に張り出された名前を見た。
私は固まる。そこに『鵯巣ヒヨリ』ちゃんの名はなかった。代わりに張り出されていた
【神山ロッテ 様】
の文字のあまりの威力に私は気絶しそうになる。
頭にガツン! と衝撃を与えられてなにも喋れなくなっている私に変わってミチルちゃんが口を開く。
「あれ、この神山ロッテさんって詩子の最推しの――」
そう、彼女『神山ロッテ』ちゃんは私に夢を与えてくれた大好きで大好きでしかたがないとても素敵なアイドルの女の子。
「時間押してるし、いつまでも突っ立ってるわけにはいかないからそろそろ心の準備をして」
レイちゃんは私に向けて一言そう言うとロッテちゃんの楽屋の扉をノックした。中から返ってくる「はーいどうぞー」という声ですら大好きで、私の心臓はもう壊れてしまうのではないかというほど激しく脈打つ。
レイちゃんとミチルちゃんに少しだけ背中を支えられながら、私は扉を開けて中に踏み入った。
「おはようございます!」
元気良くを意識して出された3人の挨拶の中、一際緊張して揺らいでいる私の声は憧れの彼女に届いただろうか?
「おはようございますー! 今日は鵯巣の代理で出演させていただきます、神山ロッテです。よろしくお願いします」
深々と頭を下げる彼女のその姿はいつも舞台上でしている挨拶と違わない。新人にも分け隔てなく深く頭を下げて挨拶するところを見てより一層彼女への尊敬の念を募らす。
頭を上げた彼女と目が合う。私の顔をしっかりとみた彼女は元から大きい目をまんまるに見開いていて、とても驚いているように見える。
「あっれ!? 詩子ちゃんかな!?」
「は、はい! 百瀬詩子です! いつもお世話になっております……!」
この挨拶は果たして正しいのか? そんなことを考える余裕すらなかった。
「アイドルになる夢叶ったんだねー! おめでとー!」
ロッテちゃんは私に向けてパチパチと拍手を送ってくれて、私は嬉しくて照れ笑いを浮かべる。
「ロッテちゃんのおかげで夢が叶いました!」
「そんな~全然わたしのおかげじゃないよ。詩子ちゃんが頑張ったからだよ」
「でもロッテちゃんが教えてくれた魔法がなかったらこんなに頑張れなかったです。だから、ロッテちゃんのおかげです!」
なにもなかった私にアイドルを目指すきっかけとアイドルを目指し続けることを諦めない希望をくれたひと。心から大好きなそのひとは私の返答を聞くと「も~! かわいいな~!」と私を抱きしめた。本当に短い、ほんの一瞬だったそれに私はドギマギと気が動転する。
ぱっと私から離れたロッテちゃんはLight Pillar三人を視界に入れると「今日はよろしくお願いします! 偉そうなことを言える立場ではないですが、みんなで良い生放送にしましょう!」と元気よく微笑んだ。
自分たちの楽屋に戻った私がまずしたことは深呼吸だった。憧れの相手との会話を終え、私の緊張のピークはかろうじて通り過ぎたように感じる。それと入れ違いになるように緊張に抑えられていたやる気や気合いみたいなプラスのエネルギーがみるみる湧いてくる。
「本番大丈夫そう?」とレイちゃんは私に聞く。その顔はもう平気であることを確信しているようだった。
「うん! 大丈夫!」
「それじゃあ元気に楽しく、テレビの前のひとたちも他の演者さんも、もちろん俺たちも、みんなが楽しい生放送にしよう!」
私達は円陣を組む。三人の中心に集められた各々の手が重ねられて、それに向けて三人揃った声を発する。
「今日も輝きましょう! Light Pillar――オー!」
♪♪♪
MCパートではロッテちゃんがたくさん会話のパスを渡してくれた。おかげで今までにないくらいテレビに映れていたことをあとになってマネージャーさんに聞いた。ライブパートでも、いつも以上に入れた気合いが空回りすることもなく全力を出せた。
放送終了後ほんの少しだけロッテちゃんとふたりでお話しする時間があった。私はとても緊張していて返事をするのでいっぱいいっぱいだったけれど、それでもロッテちゃんは優しくお話ししてくれた。
「ねえ詩子ちゃん」
「はい!」
「アイドルを目指したきっかけ、わたしなんだよね?」
簡単に壊れてしまうくらい繊細なものに触るみたいにロッテちゃんは私に問いかけた。彼女の表情は優しくてあたたかなのにどこか寂しそうな、そんな不思議な雰囲気の笑みだった。
「はい! 六歳でロッテちゃんのファンになって、七歳のときに初めて握手会に行って、そこである魔法を教えてもらいました! 私はその魔法を信じて今まで頑張ってきたし、これからもその魔法は私の力になり続けます!」
そこまで言い切って、聞かれてもないことまで長々と喋ってしまったと青くなったがロッテちゃんはそんなこと気にしてはいない様子で、またあの不思議な笑みを浮かべている。
「そっか。ありがとうね」
「んん!? いえいえ! ありがとうって言うのは詩子の方で――」
「ううん。神山ロッテが言うべき言葉がそれなんだよ。とても不思議な感じがして、上手に今の気持ちを言えないと思うんだけど、詩子ちゃんがアイドルになってくれて良かったって、心から思ってる。――ありがとう。神山ロッテに憧れて、その夢を叶えて、本当にアイドルになってくれて」
芯のあるまっすぐな声だった。
スタッフさんがセットの片付けなんかであちこち動き回っている。レイちゃんとミチルちゃんは二期生のみんなと少し離れた場所にいる。別に壁みたいなものがあって周りと隔絶されているわけではないのに、なんだか周囲のざわめきが遠くに感じる。
そのとき、その場所は、たしかに私とロッテちゃんだけの空間だった。
「詩子は――」
「ねえ詩子ちゃん」
私の声を遮ったのは、たぶんわざと。
「神山ロッテをアイドルにしてくれてありがとう」
ロッテちゃんは、私がファンになる前からずっと、ずっとアイドルだよ。
そんなことも言えないまま、わたしは、どこまでもどこまでも眩しい彼女の笑顔に見惚れることしかできなかった。