照らす、拓く、歩む
身動きが取れぬまま、迫る金槌をただ眺めていた。
走馬灯だろうか、いつか夢で聞いた俺を呼ぶ声がまた聞こえた気がした。もう一度その声が俺を呼びかけたとき、ガキン、と鉄同士がぶつかり合う音が耳を劈く。
鉈を持ったあいつが俺と金槌男の間を立ち塞いでいた。
さして大きくない体で自分の頭上から振り下ろされた金槌を跳ね返す。今度は横から打ち振るわれたそれを去なし、俺を見て無事を確認するとニッと笑ってまた前へ向き直る。
「あ~残念。殺す気でいったんだけど、上手くいかないもんだな」
軽い調子で喋る男は三歩ほど後ろに下がり、俺達から距離を取るとまた金槌を構えた。拍子に強く風が吹き、男の首元に巻かれたストールをはためかせる。途草も服で手汗を拭うと鉈の柄を握り直し体勢を整えた。
「急襲は失敗したけど、相棒が捕まってるんじゃ退くわけにいかねぇわな」
男の目が、次は仕留めると言っている。対峙する途草は相手を見据えて鉈の切っ先を真っ直ぐ持ち上げる。
「それはこちらも同じです。命乞いでもあれば加減はします、そうでないなら――」
途草は一瞬姿勢を落とす。次の瞬間微かな足音と風を切る音が炎に照らされた夜に響く。
「ぅおっ!? あっぶねぇ!」
「死にたくなければ降伏を! 話し合いで解決できる相手に手は上げません。あなたが武器を置き、こちらの話に耳を傾けてくだされば無益な殺生は防げますよ。それでも理解していただけないのなら、ぼくはあなたを殺します」
もう一度途草が切り掛かった、遠心力を用いるように、体を軸にして刀身の長い鉈を大きく振り切る。それを寸でで躱した男は「ちょっとタンマ!」と叫び金槌を捨てて両手を挙げる。
「わかったわかった! 俺は常日頃から話の通じる男を自負してっから! つーか金槌と鉈じゃリーチ的にこっちが不利っしょ、それくらいわかる。俺そこまで馬鹿じゃないから!」
なおも鉈を下ろしていない途草から「今は馬鹿とかどうこうの話はしていませんよ」と辛辣な返答を受けて「ごめんって、とりあえず向こうの眼鏡に状況伝えるから」と今度はこちらに向けて声を張る。男の表情からは先程の殺気は感じられず、困ったように下げられた眉と口角が情けなかった。
「だーす~、正面からいったら勝てそうになかったから話し合いするってことでいいー?」
「つっかえないなぁ。早くしてよね。俺もそろそろ土の上に寝転がってるの飽きてきたところだから」
俺に組み敷かれたままの眼鏡はこの状況を理解していないのかと疑うくらい明るい声色で返事をした。その様子が癪に障った俺が奴の首に添えられた手にもう一度力を込めたとき、柵の外で不安と危機感を煽るサイレンと共に赤いランプがちらつく。
「あぁ、おまわりさんと消防だ。今日はいつもより迅速で、ごくろーさんって感じ。なぁ、もう正門からは出られないけど、裏道って知ってる? 案内しよっか?」
提案された途草は、まさに一触即発の関係だった相手に急に親切にされ違和感があったのだろう。オロオロと、正門で瞬くランプと俺の顔を、道路を渡る子供のように交互に見てから小さな声で「お願いします」と言った。
「ちょっと茶髪のきみ、はよ退いて、邪魔だから」
ムカつく減らず口を叩く眼鏡の上からすくっと立ち上がる。少し離れた方で急げと途草と金槌男が手招きしていた。後を追おうと前へ踏み出したとき、自らの背中に付着した土を払う眼鏡から声を掛けられる。鬱陶しいなと思いながら振り返ると突然顔面に鈍い痛みが走った。俺の顔を殴ったのだ、目の前のこいつが。
殴られた左頬を拭い、正面のそいつを睨みつける。奴は自らの拳を撫でながら笑みを浮かべた。
「人を殴るのって手が痛いだけで全然楽しくないね。知ってたけど」
その一言がとても頭にきて、もう一度殴ろうと拳を振り上げたところで先に行っていたはずの二人が俺達の間に割って入る。終いには、放っておくと殴り合いのイタチごっこになるからと、俺は途草、眼鏡は金槌男に手を引かれて歩く羽目になった。
屋敷の裏の柵には男がひとり潜れるほどの大きな穴が開いており、破損具合を見るに人為的に壊されただろうことが窺えた。推測通り、事前に壊したと話す眼鏡は、逃げる術があって良かったね感謝してねと偉そうに笑いかけ、真っ先にその穴を潜っていった。
「君達は地元の人間じゃないの?」
「そうですね、県外から来ました」
俺達の手を引く途草と金槌男は何事もなかったかのように会話をしている。どうやら馬が合ったようだ。そこへ今度は眼鏡が加わっていく。
「その物騒な荷物担いで県外から。ってことは車で来たわけだ? 丁度いいや、俺達も乗せて」
途草は躊躇したが「俺達はきみらを逃がせない、きみらも俺達を逃がせない。この場合の頭の良い選択は?」という眼鏡の問いに、俺の顔色を窺ったあと、申し訳なさそうな顔をして渋々了承を口にした。
◆
運転席に俺、助手席に金槌男、後部座席には残りの二人。カーナビより楽な道を知っているからと金槌男が道案内を申し出て、お互いの見張りも兼ねてこの座順に落ち着いた。ナビを買って出る様子からして少なくとも金槌男は地元の人間らしい。
「それで、どこ行けって言うんだ」
「とりあえずハイノ……あぁ、助手席のやつの家」
「えぇ!? なんで俺ん家!?」
「もしものときはお前の家ごと燃やすって手段が使える」
「酷いよだーす!」
一連の会話で助手席の金槌男がハイノ、眼鏡がだーすと呼ばれていることは分かった。俺と途草とは違い、二人はただの共犯ではなく、あだ名で呼び合う仲だということも知れた。
途草がおずおずと「ハイノさん?」と話しかける。名を呼ばれた当人は背もたれ越しに覗きこむように振り返ると声の主と目を合わせる。
「なぁに」
「あまり聞かないお名前だなと思って」
「あぁそうかも、俺も同じ苗字の人に会ったことないし。灰色の灰に、野原の野で灰野。うん、珍しい方なんじゃないかな。そっちは?」
返しに名を尋ねられた途草は困ったように言い淀む。当たり前だ、一度気が合ったからといって、またいつ鈍器を振りかぶるか分からない相手に易々名乗る方がどうかしている。
「へぇ、黒髪のぼくは他人様に名乗らせておいて自分は黙秘とかやっちゃう子なんだ?」
煽るように嘲るように言う眼鏡に、灰野はなんでそういう言い方するんだよと不満げだ。
「別に気にしなくていいよ。俺が勝手に自己紹介しただけだし、困ることなら無理に言わなくても――」
「いいえ、大丈夫です。今のはぼくが失礼でしたから。等価交換は基本ですしね。ぼくはトグサです、途中の途に草花の草で途草」
灰野は小さく「トグサ」と復唱してからにこにこと笑う。
「で? 茶髪のにいちゃんは名前なんていうの?」
途草の次に突っかかるのは俺か。灰野はまた、そういう聞き方で答えてくれるわけないじゃんと抗議している。
「いいじゃん名前くらい。免許証よこせとかじゃないんだし。ていうかきみ、どっかで俺と会ったことない? なんか既視感ある顔してるんだけど」
「あ? ナンパなら女にやれ。……灰野次どっちだ」
話を逸らすために助手席に声を掛けると、灰野はぱぁと顔を晴れさせ分かりやすく嬉しそうにする。
「えっとね、右に曲がったらアパートの駐車場があるから、どうせ誰も使ってないし適当に止めちゃっていいよ」
そう言うとまた照れたように微笑んで俺を見た。もしかしたら、何かの手違いで懐かれたのかもしれない。駐車している間も後部座席に向かって「この兄ちゃんたぶんイイヤツ!」と報告していた。それに対し途草は「彼がイイヤツだったら大抵の人間はイイヤツですよ」と怪訝な顔をする。
◆
「ようこそ! 大したものはないけどゆっくりしていってね。でも壁が薄くて良く声が通るから静かにね!」
そう軽く注意をして、ドアを大きく開け俺達を迎え入れる。
お前が一番うるさいと灰野に言いながらいの一番に眼鏡が中へ入り、次に途草、俺、最後に灰野が部屋へ収まりドアが閉められた。
他人の家が物珍しくてぐるりと部屋を見渡す。先程豪邸を見たあとだからか、それとも自分の家がそれなりのものだからか、若い男の独り住まいは質素に思えた。
眼鏡は「この家クッションとか座布団とか特にないから、そのまま床に座って」と俺達に見向きもせずに言うと、自分は部屋にひとつしかない二人掛けのソファのど真ん中に脚を組んで陣取る。
「……お前には来客に椅子を勧めるという考えはないのか」
「? 俺も来客だし」
話にならない。俺は悪怯れる様子のない眼鏡に舌打ちをして、黙って床に正座した途草の隣に胡座をかく。二リットルペットボトルに入った茶と四つのグラスを持って台所から戻ってきた灰野は「え、なんでだーすがソファ使ってんの」と驚いていた。
結局、皆平等にと灰野が眼鏡を引きずり下ろし、全員が床に座ることになった。
「そんで? トグサと兄ちゃんはあそこで何やってたの」
灰野の質問に答えられるはずもなく、二人して押し黙る。
「なに黙ってんの? きみらが悪いことしてたってことくらい見当がついてるよ。どうせ強盗かなにかでしょ」
素っ気なく言い放つ口元を睨みつけるとヒラヒラと手を振って茶化される。如何にもなめられている状況に、俺はいい加減我慢が利かなくなりそうだった。
「んー、まぁ強盗目的でもなんでもいいよ。ちょっと興味があって聞いてみただけだからさ。俺もだーすも人のこと言えるような立場じゃないし」
物分かりがいいのか、掘り下げるほどでもないと思っているのか。サッパリ話を切り上げる様は都合が良かった。
「二人とも他県から来たんだよな? このあとはすぐ帰るの? 犯罪行為したあとで変な話だけど観光とかでどっか寄ってくとかさ、県内で行きたいところがあるなら案内するし、こんなところ行きたいなぁってのがあれば紹介するぜ。千葉のことなら任せろ」
どう答えようか非常に悩んだ。途草の方に目をやると俺と同じ心境らしいことが窺えた。
地元の人間なら、もしかしたら――。
「……んめい」
「ん?」
「久安明って……」
その名に逸早く反応したのは灰野ではなかった。
「きみは何?」
噛みつくような勢いに空気のピリつきを感じる。この雰囲気、こいつは何かを知っている?
「知っているのか?」
俺が畳み掛ける様子を灰野が不安げな眼差しで見守る。眼鏡は何を考えているのか読み取れない瞳で「知ってるよ、知ってる」と口角を上げた。
睨み合う俺達を見兼ねたように灰野がおそるおそる間に入り俺に話しかけてくる。
「割って入ってごめんね、えっとさ、久安明のなにが知りたいの? 場所? それとも他のこと?」
何から説明するべきか悩んで口を噤んでしまった。それを見逃さない奴がいた。
「何故黙る? なにを聞きたいのかも分からないの? それとも、それがきみ流の教えを乞う姿勢?」
「……いい加減にしてください」
静かに、だけど棘のある声を出したのは途草だった。見たことのない形相で、半分ほど満たされた手元のグラスを見下ろしている。
その姿を見て、何故だか話す決心がついた。
「九年前の久安明の様子について」
ぽつりと呟いたそれに灰野は姿勢を正す。
「九年前、そこに結木真希奈って女がいたはずなんだ。心当たりは――」
話の途中軽く伏せていた目を上げて二人の顔を見た。結木真希奈の名を聞いた奴らは一層顔を曇らせていた。
そんな顔をするほど、あの人は久安明とやらに関わっているのか。
「知ってるんだな?」
「…………、……もう分かっているけれど、あえて聞くよ。きみはその、結木真希奈のなに?」
瞬間、心臓が強く脈打つ。その鼓動を感じながら、まるで自分に言い聞かせるようにゆっくり、〝息子〟だと絞り出した。
「俺は、結木能代だ」
レンズ越しに俺を射貫く瞳孔が見開かれ、黄緑色の瞳が小さく揺れる。そして奴は、大きく項垂れた。
「薄々感づいてはいた。そうかもなって思ってた」
ぽつりぽつりと言葉を吐き出していく。
「はぁ……、きみは結木能代くんで、九年前久安明にいた結木真希奈について調べていて、ついでに久安明のことは何もしらない。溜め息が出るな、全く」
独り言が徐々に大きくなっていったかと思えばふと頭を持ち上げてこちらに目を向ける。酷くバツが悪そうな視線だった。
「具体的に何が聞きたいんだい? 話をまとめてくれないと、こちらも答えようがない」
そう言うとまた、溜め息と共に頭を下ろした。どうにも俺を直視できないらしい。俺としては、これ以上は無駄だとすら思っていたものだから、態度が軟化したことは喜ばしかった。
「お、だーすが喋る気になったんなら俺も分かること教えるよ。といっても、そんなに詳しくないと思うけど」
そこで先程まで殺気立っていた途草がバッと顔を上げて眼鏡の方を睨む。伸ばした人差し指で相手を差し、普段の営業的な礼儀正しさを感じられない砕けた口調で声を上げる。
「っていうか、そっちの人だけ名乗ってない! なに『だーす』って!? 等価交換は基本、能代さんが名乗ったんですからあなたもお名前をどうぞ。それともなんですか、人に名乗らせておいて自分は――」
「ハイハイ、元気のいい部外者だこと。俺は須田明道、能代くんと同じ二十三歳。趣味は放火、特技も放火だ。ずっと昔に能代くんと一緒に遊んだことがある。能代くん、さっきは冷たい態度とってごめんね」
そう言って右手を差し出し、俺に握るよう促す。
態度の変わりように途草は顔を顰めた。俺は眉間にしわを寄せ、薄く開かれた途草の目に向けてどうにかしろと訴えかけたが、「ぼくはその人とあまり会話したくないです」とあっさり切り捨てられた。
「おい、なぜ俺の年齢を知っている」
「昔会ったときに同じ歳だったから。まさか時の流れが違うなんてことはないだろう? それはそれとして、途草が言うには等価交換は基本なんでしょ? 俺はもっと色んなことをきみに教えたよ。他に言うことあるでしょう」
先程出した手をずいっと、より前に出すものだから、握手でもしたいのかと問う。
「仲直りの握手ってよく言わない? 俺はやったことないけど、さっき冷たいこと言っちゃったから一応」
もう一度、手を握るよう催促される。仲直りもなにも、喧嘩をしたつもりも、ましてや直す仲もありはしない。そう須田の手を払いのけると、しゅんとした様子で灰野の隣に移動し膝を抱えていじけ始めた。
「ごめんな~のっしー、こいつ俺以外と触れ合うことがあんまなくて、どうしていいか分からないことが多いんだわ。許してやって」
突然悪意のない笑みから放たれたやけに慣れ慣れしい呼び名に面を食らう。なんだのっしーって。須田を許すように言われたことより、そちらの方が俺には重大だった。
「その呼び方やめて」
「いーや、もう決めたからずっとこれでいくぜ。個人的に能代ってめちゃくちゃ呼びづらいんだわ。それにしてものっしー、めっちゃ親に似てるね。あの親にしてこの子ありみたいな顔立ち」
「ほんとにね。髪が短かったのと目つきが悪かったせいで分からなかったけど、息子ならそりゃ既視感あるわな」
「二人ともなに言ってるんだか」
わいわいと談笑する二人を見て途草は呆れている様子だった。そんな三人を気にもせず俺は、そんなに似ているだろうかと疑問に思った。自分ではどこが似ているのか分からないし、妙なこそばゆさを感じる。
談笑はそこまでにしてそろそろ本題に入りましょうと途草が壁掛け時計を指差す。もう日付が変わるころだった。
「そうだね。だが安心してくれよ。今俺は、主人公一行を導くNPCの気分だから、きみが進むべき道について、きっと有益かつメタい助言が出来るはずさ」
そう言って眼鏡のブリッジを持ち上げ笑う表情は、何か、微かな後ろめたさを感じているようだった。