潮風吹いて煙炎たなびく
舗装された沿岸を車で走り抜ける。真っ直ぐで平坦な、空いた道というのは楽だ。小難しいことを考えずにアクセルを踏めるのは田舎の利点と言ってもいい。
すぐ側を流れる広い海の薫りが開け放たれた窓から入り込む。潮風は夏場の喧騒なんて思わせないほど静かで、とても涼しい。暗くてなにも見えないが、秋の海も悪くない。
気分転換がてら車にはよく乗る。ドライブは嫌いじゃない、そう、決して嫌いではないんだ。
「風が涼しい、というか若干寒いですねぇ…… 最近めちゃくちゃ涼しくて冬の兆しを感じるのですが十一月上旬はまだ秋ですよね、能代さん?」
ただしひとりの時に限る。何事にも例外というものは存在する。
「俺に二時間近く運転させておいて暢気なことを口走るな。九十九里浜に埋めてやろうか」
「ビジネスパートナーにそんな辛辣でバイオレンスな言葉を投げないでください! 運転はありがとうございます! 帰りも安全運転でお願いします!」
十一月の海に沈めてやりたい。そうすればこいつの呆けた頭も幾分か冴えるだろう。
「おっと、そろそろ目的地につきます。あの屋敷、見えますか? あれが今回の仕事場です」
柵に囲われた林の中に鎮座するやや西洋風の屋敷。質素な田舎に似つかわしい、いかにも金持ちが住んでいますと言っているような風貌。
「今回の仕事はビデオの回収と持ち主の始末ですが、心の準備はよろしいですか?」
「準備もなにもあるか。俺はさっさと終わらすつもりで来ている」
お前もそうだろうと問いかけると、途草は勿論ですとも! と胸を叩いて得意げな顔をする。
「能代さんがやる気になってくれているようで安心しました。回収目標は八ミリフィルム。隠し場所は不明なので購入者に聞き出すしかないでしょう。手間ではありますが、出来る限り最短で最良の行動をとりましょう」
途草が言い終えたところでカーナビの時計が二十時を示す。
さて、時間だな。
◆
家の周りをぐるりと囲む柵は随分と背が高い。俺でもよじ登るのは無理だろう、途草はもっと無理だ。立派な正門は半開きになっている状態で、こんな家に住んでいるのに不用心だなと感じた。
屋敷の近くに設置されている広いガレージにはヴィンテージカーが三台。年代物特有の褪せに負け、輝きが失せている様と積もった埃からかなり放置されていることが見て取れる。反して豪奢な玄関に備え付けられた小さな階段とスロープの手摺りは最近掃除されたように綺麗だった。
「それで、どうやって入るんだ」
「色々手を考えて来たんですけれど、見た限りではこの家はどれも必要なさそうです」
そう言って鞄の中から見慣れない器具を取り出すと鍵穴に細工を始める、そしてものの数秒で解錠してみせた。
「ピッキングか」
「えぇ、本業の鍵屋ではないので腕はいまいちなんですけどね。ここみたいな古いシリンダー錠ならなんとか。……あぁ! 能代さんのご自宅はめちゃくちゃ良い鍵でぼくでは開けられなかったのでご安心を」
開け〝られなかった〟?
「開けようとしたってことか」
まさかと思ったが、こいつの場合無いとは言い切れない。
「もう~違いますよ。ちょっと見ただけで分かるくらいハイテクロックだっただけです」
このしれっとした笑顔は嘘なのか本当なのか全く判断がつかない。これも情報屋の術なのだろうか。
踏み込んだ室内は外観相応で、一見しただけでは計れない部屋数が確認でき、そこそこの値打ちが付きそうな家具が並んでいる。家具の背はどれも低めだった。
「ちゃっちゃと家主をとっ捕まえてフィルムの場所を吐かせ――」
途草が言いかけたとき、一番手近にある部屋から物音が漏れ聞こえる。途草の声で気がつかれたのかもしれない。
途草は彫刻の施された木の扉のノブに手を掛け、俺は以前引き受けたアレを小さく構えた。
勢いよく扉が開け放たれる。中には杖をついた爺さんが一人、こちらに歩み寄っている最中だった。
先手を打つことの重要性は山津のときに嫌というほど学んだ。
射程圏内に入り照準もそこそこに引き金を引く。銃口から放たれた有線電極が首元に刺さり、爺さんは小さく呻き声を上げて倒れ込み床に伏せた。
俺の手元のそれを見た途草は一度驚いた顔をしたあと表情を明るくさせ、大きく口を開けて笑みを浮かべる。
「わぁ! テーザー銃持ってきたんですね!」
「さっさと終わらすつもりで来たと言っただろう」
使う機会があるものかとあれ以来持て余していたが、思いのほか遅かれ早かれ使い時というものはくるらしい。電極を垂らすそれは相応に役目を全うして見せた。
流石ですと俺をおだてながら途草は突っ伏す爺さんに寄り、手首を結束バンドで固定する。
あとはフィルムの場所を吐かすだけだが……。
………………。
数分経っても動きを見せない爺さんに途草は痺れを切らし足先で小突く。だがそれでも一向に目を冷ます気配がない。途草も怪訝な顔をしている。
「起きないですねぇ」
どうにかしろと急かすように腕を組んで見下ろすと、途草は横たわった体の傍らにしゃがみ込み、爺さんの頬を軽く叩いた。そこでサッと青ざめる。振り向いた目が「やばい」と焦りを浮かべていた。
「おい、なんだその顔は」
「えっと、あはは……、ご臨終ぅ……」
尻すぼみに消えていく声を聞き逃しはしなかった。
途草を払いのけて爺さんの顔をよく見る。脈を確かめなくとも、異様に血色の悪い唇からこの爺さんが正常ではないことは明らかだった。
さて、望みはゼロではないが――。
「まさか護身用具で死ぬとは……」
「一応聞くが、人工呼吸をするつもりはあるか?」
「不謹慎ながら、見知らぬヨボヨボの爺さん相手に口付けるのは抵抗があるってのが一般的な十九歳の心境だと思います。勿論ぼくもそうです」
「奇遇だな、二十三歳でもそんなもんだ」
俯きがちに爺さんを見下ろしながら出した俺の返答に一般的な十九歳は乾いた笑い声を漏らす。望みがゼロになった瞬間だった。
大なり小なり助けられる側の都合があれば助ける側の都合ってものもある。今回は俺達の都合が付かなかったんだ。
二人揃って爺さんから目を逸らし、横目で視線を交わす。「助ける奴がいないのなら仕方がないな」「じゃあお互いに協力して頑張って探しましょう」と視線だけで話が丸く収まる。
最初からこの爺さんは殺すつもりだったのだから、少々死ぬタイミングが早まっただけのこと。手間が増えたことに俺達自身が納得しているのなら、「仕方がない」と唱えて次の行動に移した方がより建設的だ。
「それにしてもどこにあるんでしょうね。ただの二階建てですが部屋も家具も多いですし、隠す場所はいっぱいあるでしょうね。なかなか骨が折れそう。……とりあえず、自分ならどこに隠すかを考えながら探してみましょう」
自分ならどこに隠すかと言われ、なんとなく棚の前で屈んで隅を漁ってみる。だがそんなに易く見つかるわけもなく、めぼしい物はなかった。
一方途草は壁に飾ってある絵画を一つ一つ外してまわっている。
「うーん、ないですねぇ。ぼくが自分で隠すんだったら額の裏かなって思ったんですけど。こう……ちょっと長めの鋲をいくつか刺して乗っけとくと薄くて軽い物はいい感じに収まってくれることが多くて……」
「なにお前、私生活で風紀上良くないものを額の裏に隠してんの」
「いや――っ! 仕事上人目につかないようにしないといけないものをそう隠しているだけであって、断じて能代さんが想像しているようなものではないですよ! 誤解無きよう!」
俺が言ったこともあながち的外れではないのではと感じる動揺の仕方にガキだなと冷ややかな視線を送った。
◆
思春期が抜けきっていないと思しき者に冷ややかな視線を投げてから二時間が過ぎた。終了予定時刻はとうに過ぎ、普段は飄々と構えている途草にも焦りが現れ始めていた。
「ないなぁ! ほんとにない! 一階は無駄にだだっ広いし、二階は同じ広さで尚且つ物置と化していてごちゃごちゃと物が溢れかえっている! 全室くまなく探したはずなのに八ミリフィルムどころかVHSもUSBも、記録媒体が一切みつからない!」
「情報屋の経験から言って他に考えられる要素は?」
「何かあるとすれば隠し部屋ですが、外観の構造的に屋根ではないでしょう。あるとするならば地下です。ただ入り口が見当たりません、上に登るにしても下に降りるにしても、どこかに移動手段があるはずなのに」
さて、そうなってくるとあとは設置されている家具を軒並み退かして床を晒すしかないということになる。面倒ではあるが不幸中の幸いと言ったところか、ここの家主はかなり歳がいっている上、足腰も弱そうに見えた。そうなると重たい家具なんかは選択肢から除外して……
――待てよ、足腰が弱い?
「なるほどな」
「え?」
途草の理解を放置して一人で納得する。そのまま吸い込まれるように玄関へ歩を進めると途草はきょとんとした顔で後ろをついてくる。
「何がなるほどなんですか?」
「この家を一通り見て回ったがどう見ても生活スペースが一階に集中している。物置状態の二階からしても家主はほぼ上の階を使っていないはずだ。理由は単純、足腰の貧弱さ故、不可能とは言わずとも階段での移動はなにかと不便なのだろう。この推測からいくと家具の下に入り口はなく、地下への移動も階段を用いていない可能性が高い」
途草はうんうんと頷きながら先を促す。離れた位置にいた途草はもうほぼ真横に来ていた。肩の後ろで跳ねた黒髪が揺れている。
「階段が使えない場合高低差のあるところではエレベーターまたはエスカレーター、そして玄関にもあったスロープなんかが用いられる。――この屋敷でそれらが設置できそうな場所は」
パチン、とキレの良い音が俺の言葉を遮る。
「ガレージ、ですね!?」
元気の良い声に引かれ途草の方を振り返ると、指を鳴らす際に伸ばされた人差し指で俺を差し、自信ありげな表情を浮かべていた。……その顔は俺が言い出すまで気がつかなかった奴がしていい顔じゃない。
「そうだ。ガレージの車には埃が積もっていたのに玄関先は最近掃除された痕跡があった。ホームヘルパーなりを雇っているがガレージ周りは手を付けないように言ってあるんだろう。なんせ隠してあるんだからな、例のフィルムが」
◆
予想通り地下への入り口はガレージ奥にあり、申し訳程度の施錠は途草がこじ開け、せっせと室内を探し回った俺が馬鹿みたいだ。
非常に緩やかなスロープをくだった先にもう扉はなく、ぽっかりと広がる白い空間には小さな棚が一つと年期が入ったブラウン管テレビが一台、そして八ミリフィルムがセットされた映写機が設置されていた。
「あぁ~! ほかの電子媒体もある!」
途草は歓声に近い声を上げ、棚に駆け寄る。
「とりあえず八ミリフィルムは回収するとして、他の物も全て持ち帰りましょう」
嬉々として棚の中身をごっそり抜き出し持ってきた鞄に詰め込み始める様子を尻目に、俺は映写機にセットされていたフィルムを外し途草に手渡した。それを受け取った途草はハキハキと礼を言い、最重要と印字されたテープの張られたケースに仕舞い込む。
一通り鞄に仕舞い終わった途草は最終確認と称して室内を隅々まわって点検を始める。
その時だった。外へ通じるダクトから突然熱風が吹き込み、室内が地獄と化したのは。
室温が急激に上昇し呼吸が苦しくなる。なんとか息を整えようと反射的に空気を吸い込むと、熱気で喉が焼けそうになった。
途草は苦しそうに噎せ返りその場に座り込んだが、這いつくばってでもここから抜け出す気でいるらしい。もがきながら、なおも出口へ進もうとしている。力なく身を擦る姿を見て、俺は地面を這い進む途草を有無も言わさず背負い、出口へ向けてすぐさま駆け出した。俺の背中に乗せられたそいつは驚いた拍子に熱気を吸ったのだろう。また噎せていた。
緩やかなスロープを駆け抜け、ドアを蹴破り出た先で目の当たりにしたのは燃え盛る屋敷と、立ち尽くしてそれを眺める赤いセーターの男。既に大きくなった炎の塊はその場の気温と俺の心拍数を著しく高めた。
俺達に気がついたらしいそいつは驚いたように体を揺らすと生い茂る林の中へ一目散に逃げていく。
背負っていた途草を地面に置いて、炎に照らされる赤いセーターの後ろを追いかける。後方で叫んでいる途草が何を言っているのかも聞こえないほど、俺はなり振り構わず疾駆した。
息が上がり脇腹に痛みを覚え始めたとき、前へ突き出された俺の指先がそいつの後ろ襟に届いた。
掴んだ襟を力強く引き寄せ地面に叩き付ける。
地面に転がって噎せ返るそいつに跨がり、顔に握りこぶしを一発打ちつけ喉仏のあたりを握る。殺す気ではなかったが、苦しめるつもりで力を入れた。
だがそいつは首を絞められても動じず、炎を閉じ込めたようにギラつく瞳を眼鏡の奥で見開き、酷く不気味な笑みを浮かべた。
その表情に気圧され一瞬手が緩む。奴はその隙に俺の腕と襟首を掴むと口元を三日月の如く歪めた。
ギリギリと、潰すように握りしめられた腕に痛みが走る。まるで万力で絞められているようで、手を振り解こうにも上手く身動きが取れない。
「アハハ、逃がさないよ、お楽しみはこれからだ。……さぁて、上から来るぞ、気をつけろ!」
楽しげな笑い声とともに発せられた忠告に応えるよう、ゆらりと揺れる陰が背後から俺に覆い被さる。襟ぐりが引っ張られるのも気にせず、反射的に空を振り返った。
――だけど、もう遅いのかもしれない。
燃え盛る焔を背に振りかぶる何者かを、振り下ろされるそれを、ただ呆然と見つめる。
最後に俺の鼓膜を揺らしたのは、弾ける火花の音だった。