利害、始まり
思っていた通り今日も代わり映えのしない退屈な一日だったと、閉めきった窓の向こうに広がる曇り空から目を逸らした。
マグカップに注いだコーヒーにスティックシュガーを二本入れ、自室にある革張りのソファに凭れかかりながら報道番組を眺める。
人を殺してから数日間は常に最新の情報を得るようにしている。報道内容が千葉の放火事件から話題が変わり、速報と添えられたテロップが画面に映し出される。
『都内連続絞殺事件新たな被害者か』
どうやらもう死体が見つかったらしい。少し驚いた。発覚までの期間が今までとは比べものにならないほど早い。大抵は一日から二日、遅いと探索願いが出されてから数日、そのくらいはかかるものだ。今回は普段よりも人気のない場所を選んだ、それなのに二十四時間以内に警察が動いている。
ニュースキャスターが手元のカンペを読み上げる。
『九月十九日の早朝、××区の廃工場で女性が殺害され、身体の一部が切断された状態で放置されているのが発見されました。死亡推定時刻は九月十九日の深夜一時から二時頃、首にはロープ状のもので絞められた跡があり死因は窒息死だとみられています。今までの連続絞殺事件と一部犯行内容に一致しない点があり、別の容疑者の線も含めて捜査を進める方針とのことです』
日付、時間、被害者の性別、映し出された廃工場。俺が殺した女に違いない。
ただ一つ気に触れたのは〝切断〟という二文字。
俺は苛立っていた。どこの誰だか知らないが、何者かが余計な細工をした事実が気に入らない。だが最も気掛かりなのは誰が解体したかではない、始終を見られていたかどうかだ。
嫌な予感が脳裏を過る。もし俺より先にそいつが捕まり俺のことを喋ったら……。
悪い想像が現実化する前に一刻も早く対策を取るべきだったが情報の少なさゆえに最適な案が浮かばない。その現状が俺の苛立ちを助長させた。
「面倒事増やしやがって」
長考の末、俺は深い溜め息を吐いた。ああでもないこうでもないと捏ねくり回した俺の脳髄は観念したように、もうこれしかないと考えることを止め、鞄に財布とスマホを突っ込んで外へ踏み出した。
「野次馬のフリをして様子を見たらすぐに帰る。ここまで気乗りしない外出は久しぶりだ」
舌打ちを交えながらぶつくさと小言を呟いた。
目的地は廃工場。取り散らかった俺の脳から導き出された結果は、呆れ返る程どうしようもなく馬鹿げていた。
◆
廃工場の前は深夜とは打って変わって人で溢れかえっていた。高麗鼠のように動き回る警察とその様子を記録に残そうと群がるマスコミ。それらを遠巻きに眺める野次馬に紛れながら工場の奥を凝視する。
あのとき降っていた小雨は朝方から昼前にかけて激しさを増し先程止んだばかりで俺の足跡なんかはすっかり水溜まりに浸った上、警察の足跡によって上書きされていた。それを確認して今度は建物周辺をぐるりと一周したが、その程度で都合良く有力な手掛かりが見つかるわけもなく、俺はただよく言うように『現場に戻ってきた犯人』でしかなくなってしまっていた。
「……そう上手くはいかないか」
一度自宅に戻って案を練り直そうと踵を返す。当たり前だがここは居心地が悪い。
すぐさまその場を離れようと焦っていたせいで後方にいた小柄な男に気がつかず肘が当たってしまった。小さく驚いた声を上げた男はよろけたわけでもないのに俺の二の腕を強く掴む。俺は不審に思いながらも掴まれた腕を気にすることなく足を踏み出した。
「あの、ちょっと待って下さい……!」
緑色のパーカーを着たそいつはうねりの強い黒髪の隙間から覗く虚ろなようで楽しげでもある瞳で俺を捉える。
直感で面倒な奴に絡まれたと悟ったが目の前にマスコミや警察が山程いる状態で騒ぎを起こすわけにはいかず、咄嗟に申し訳なさそうな表情を作り口先だけの謝罪を伝える。
「すみません、急いでいてよく見えていなくて。怪我しませんでした?」
「いえ! 怪我は大丈夫です! それより、あの」
「大丈夫なようで何よりですそれでは」
目を輝かせて応対する男に言いようのない不快感を抱く。先の嫌な直感が一層増し、自己防衛本能がその場を離れろと警笛を鳴らす。
俺はその警告に従って人混みを掻き分け走り気味に、けれでも走っていることを周りに悟られないように歩を進め、その場を離れた。
後ろから聞こえる軽い足音。廃工場からいくらか離れたあたりでそれに気がつき首を回して振り返る。
向こうには緑色が揺れていた。
何も得られないばかりか面倒な奴に絡まれるとはとんだ厄日だと、今まさに緑色の厄がついて回っている状況に舌打ちをして、まだ乾ききっていないアスファルトを蹴り進む。
どんな手段でもいい、どうにかしてあの男を撒こうと裏道を使っているうちに閑散とした全く人気がない場所にまで来てしまった。次は右に曲がるか左に曲がるか、この際塀でも越えるかと、そんな俺の思考と足を止めたのは背後から降ってきた一声。
「やっぱり! 現場に戻ってくるんですね!」
挑発とも取れる言葉が発せられた方向へ身を向ける。そこには急に立ち止まった俺に驚いて蹴躓くそいつがいた。
「うぉっ! 止まってくれて嬉しいですけど、出来ればゆっくり立ち止まってもらいたかったです!」
にこやかに要望を伝えるそいつへ、同じようににこやかな笑顔を貼り付け話しかける。
「よくわからないけど、あまり見ず知らずの他人を追いかけ回すのはよくないよ」
当たり障りのない台詞。第三者が見ればいたずらをした子供に対して常識的な注意を施す大人に見えるはず、そんな口調で白を切る。
しかしにこっと笑みを浮かべたまま首を傾げる様子を見るに、こいつは俺がしらばっくれているだけのことに気がついているのだろう。それを証明するように、声変わりしつつも高い、少年のような声で子供っぽい笑い声を上げる。
「あはは、もしかして冗談がお好きなんですね? 工場でもちょっと冗談めかしたこと言ってましたよね。輪廻転生でしたっけ」
自信ありげな顔で人差し指を立ててクルクルと指先を回す姿に様々なことを確信した。
こいつは俺が工場に足を踏み入れた段階から始終を見ていたこと、死体に細工したこと、俺が再度あの場に戻ることを想定していたこと。
そこまで理解出来れば十分だ。好青年を演じるのも面倒になってきたところだから都合が良い。
俺はそいつに躙り寄り胸倉を捻り上げ、凄むために低い声を出した。
「話が早いなクソガキ、こっちも探していたところだ。お前はなんだ? 目的は?」
「えっと、こういう取り引きは等価交換が原則です。お互いに同等の情報を出し合いながら時に折り合いを付けつつ進行すべき事柄です」
詰め寄る俺に怖じ気づいた様子を見せながらもそいつは一丁前に口答えをしてみせる。立場が逆なら俺も似たようなこと言っていただろうよ。
「素性どうこうの前に殺すか」
「待って待って! 落ち着いて下さいよ、ぼくはあなたに協力的である者です。これはほんと。内容が内容ですし、せめて個室に移動すべきです! そうは思いませんか?」
死体を解体した分際で協力的などよく言う。だが確かに、人気がないにしても外で話す内容ではない。こいつの言う通りなのが非常に癪に障るが個室に移動すべきと言う申し出に同意せざるを得なかった。
放り投げるようにしてパーカーの襟から手を放し、俺の顎の高さと丁度同じくらいの位置にあるそいつの目を見下ろした。
「個室って、具体的にどこだ」
「近くに監視カメラが全てダミーのカラオケ店があるのでそこでどうでしょうか」
「どうしてそんなことを知っている」
「職業柄、神奈川近辺の事なら結構自信がある、それだけです」
さぁ参りましょう! と元気よく踏み出す背中を追う。聞かなければならないことを問い質すまでこいつの処遇はひとまず保留だ。
◆
男の指定したカラオケ店、その九号室に通された俺達は五畳程度の室内に設置されたソファへ腰を下ろした。俺は先に席についた奴からなるべく遠くに座ろうと斜向かいのスピーカー近くに座った。絶えず垂れ流される歌手の喋り声を煩わしく思い、デンモクで全ての音量を程々に下げた。
「ああ、うるさいのは分かりますけれど少しは音を出しておいてくださいね。廊下に聞こえたら厄介ですから」
「言われなくてもわかっている。一応聞いておくが、ここまで歩かせておいて何も言わないなんてことはないだろうな」
「滅相もないです! あなたがぼくの質問に答えてくださる限り、ぼくもあなたの質問に必ず答えます。ですからお兄さんも一度飲み物でも飲んで落ち着いてみてはいかがでしょう?」
「こっちは落ち着いてる暇ねぇんだよ。さっさと吐くこと吐け」
どうにもこいつとは合わない。移動中も何かと話しかけられてうんざりした。
「そんなに怒らないでください~……もう、それじゃあ今後のために自己紹介からしましょう。ぼくは、トグサ。途中の途に、草花の草と書いて途草といいます」
そう言って一緒に免許証を提示してみせた。どうやら途草は苗字のようだ。
そして、あなたは? と俺にも名乗るように促す。
「たなか」
「えぇ……絶対うそですよね……」
うーんと唸った末、途草は続ける。
「あのですね、今から話すことの前提として、ぼくは情報を売る仕事をしています。例外はあれど、『相手が情報を開示したら釣り合いの取れた情報か金を自分も出す』、逆も然り。これが情報取り引きをする上で鉄則だということを留意していただきたいです」
「だからなんだよ」
「このルールに則っていただかない限りぼくもこれ以上の情報を出せません。意固地になっているわけではありません。これは円滑な取り引きを行うための最低条件です。気に入らなければ取り引きが終わったあとに殺すなりしてチャラにしてください」
そう説教をかますクソガキを俺は足を組んで見下した。
俺も途草も沈黙したまま数分が経った。これ以上互いに黙っているのは頭が良い選択とは言えない。
痺れを切らして俺の方から話を切り出す。
「……ユイキ。結ぶに木で結木だ。お前みたいに免許証を見せるつもりはない」
「結木さんですね! ちなみにぼくの名前は終わると書いてシュウです!」
「あ? 下も言えってか」
沈黙していたときより一層険しい顔をして睨みつける俺など気にもせず途草は話を続ける。
「冗談ですよ。では本題に入りましょう。まずは結木さんの犯行をどこからどこまで知っているか、から話しましょうか。見始めたのは最初から、もう少し詳しくいうと二階に上がってきてからです。ぼくの方が先にあの場にいました。あとは最後、あなたが退室するまで」
「死体を解体したのはお前だな? 何の目的があってそんなことをした」
「気が早いですね。まだ『どこからどこまで見ていたか』と同等の情報を頂戴していませんよ」
面倒なやり方しやがって。
「お前が求める情報なんぞ持っていない」
「あぁ、失礼しました! うっかり伝え忘れていました、ごめんなさい。ぼくには結木さんのことを教えていただければ大丈夫です。さしあたっては、なぜあの女性を殺したのかが気になりますので、そのあたりをぜひ」
そんな事が気になるのか、こいつは。殺した理由なんてそもそもない、あれは所詮暇つぶしと欲求の解消でしかないのだから。
「偶然、あの女が目についたから」
それだけ言って途草に目をやると、それで? といった様子で首を傾げている。……これで同等の情報とは流石に言えないってことか。
「……偶然目について、趣味で殺した。相手にこだわりはない、ただ欲求に従っただけ」
付け加えた言葉になるほどという顔をして、それではと次の話題に移ろうとする途草の言葉を遮る。
「待て、このやり方ではテンポが悪くて話が一向に進まない。やり方を変えるべきだ」
「う~ん、そうですね……、なら先にぼくが結木さんに三つ質問をしますので、その返答と結木さんが聞きたい情報を交換という形にしましょうか」
途草は指で三を表しながら、俺としっかり目を合わせて質問を提示する。
「まず一つ目はいつから人を殺しているのか、二つ目は都内で起きている絞殺事件の犯人は結木さんか、最後に、犯罪を行ってお金を稼ぐ所謂お仕事に興味はあるか。以上の三つをお願いします」
ひとつひとつの詳しい意図は計れないが、本当に俺のことが知りたいだけらしい。それならばと俺は渋々口を開く。
「殺し始めたのは三年ほど前。都内連続絞殺事件だかって呼ばれているものは殆ど俺がやったものだろう、だが気に食わないことに模倣犯なんかもいて全てがそうってわけじゃない。その括りになっていても俺が手を出していないものもある。……最後に金稼ぎだが、俺の利益次第だ。報酬に魅力を感じ、同時に都合が良ければ請けるだろう。そうでなければ関わるのも御免、その程度だ」
最低限、いや不本意ながら親切なくらいの返答はした。十分だろうと視線を送った先で、途草は目を伏せながら小さく頷いている。そして、ぼくの番ですねと口を開く。
「ぼくが結木さんの犯行を目撃し始めたタイミングは先程述べた通りです。あなたが去ってからすぐあの女性の解体を始めました。何故そのような行動に出たかですが、結木さんの言い方を借りれば趣味……ということになります。お察しください。その後現場を離れ、自ら警察に通報しました。発見を早めるためにね。発見や報道が早いほど、あなたがぼくの存在に気付きやすいと思っての行動です。あの場に居たのはこんな特異な趣味に適した人目に付きにくい場所を探した結果行き着いただけで、鉢合わせてしまったのは本当に偶然です」
やはり異常に報道までが早かったのは解体した本人が通報したからか。それもわざわざ、俺に自らの存在を報せるために。
「こうやってあなたとコンタクトが取りたかったんです。これが三つ目の質問の真意みたいなものですね」
そこで途草は一呼吸置く。少しの間がもどかしかった。
「実は廃工場で結木さんの犯行を目撃して、ぜひぼくと協力関係を結んでいただけたらなぁと思いまして……。それで自分にとってもリスキーな通報をしたり、もしかしたら現場の様子を見に来るかも、とあの廃工場前で野次馬に紛れていた次第です」
協力ってなんのだよ、と睨みを利かすとすぐさまそれを察知した途草は「ぼくは人を解体するのが趣味ですし、情報屋以外にもアングラなお仕事をしてるんです。けど体力も無いし、生き物を殺すこと自体はあんまり好きじゃなくて。良ければ結木さんが趣味で使い終わったものを処分するついでに解体させていただいたりとか、ぼくの体力じゃ問題のある仕事のお手伝いとかをお願いしたいです。どうですかね?」と上目遣いで様子を窺ってくる。その様子に苛立ちより呆れが勝り、俺は溜め息を吐いた。
「俺の利益は?」
「死体は一体二百万で買い取らせて頂こうと思っています。仕事の手伝いはそれに見合った額をその都度お支払いいたします。それとぼく、こう見えて胸を張って自ら情報屋を名乗れるくらいには腕もノウハウもありますので、結木さんが求める情報はなんでも全力で掻き集めます!」
この自称情報屋は自分の技能提供が報酬に足り得ると本気で思っているらしい。「腕は上司のお墨付きなんですよ!」と力こぶを作るように片腕を曲げると空いたもう片方の手で二の腕を叩いてみせる。
「集める情報のジャンルは」
「問いません! なんでもどうぞ、お任せください!」
「俺に渡される金の出処はどこだ」
「ぼく自身のポケットマネーは勿論ですが、一応パトロン的なものがいまして、そこから持ってくることが可能なので支払いが滞ることはないとお約束できます。ですが正直に申しますとあまりクリーンなお金ではありません」
「何故そこまで俺にこだわる」
「私事ですが最近趣味にも仕事にも手助けがいると感じる出来事がありました。いえ、実際には協力者は前々からほしかったんですけどね。だけど平然と人を殺せる知り合いなんて、心当たりはあっても、あまり近付きたくない方々で。そんな時あなたの犯行を見かけ、なんだか不思議な魅力を感じて、この人だったら大丈夫……と直感的に。ほら、現に今ちゃんと会話が成立していますし」
勝手な直感で執着されるなんて勘弁願いたいものだな。
数度にわたる問答の末、これ以上は無駄だと思ったが、一つだけ、途草の質問の中にどうしても気を引かれるものがあった。
――俺が望む情報を、何でも。
「結木さん、もしかして情報提供に惹かれていませんか?」
口角を上げ気味に発せられた言葉に図星を指され、狼狽えた俺は、どうしてそう思う、と返すのがやっとだった。
「先程いくつかぼくに質問したじゃないですか、お金の話より先に調べられるジャンルに食いつくひとって珍しいなって思ったんです」
情報屋って結構物事よく見てるんですよと笑ってみせる奴を見て、俺はかなり疲れてしまったのだろう。一旦この申し出を受けて話を終わらせてしまおうなどと自棄を起こしていた。
「そうか。それならある程度は協力しよう。一応言っておくが、これは利害の一致で成り立っている。それが破綻したらお前とは手を切る。それを忘れるな」
俺の返事を聞いた途草は今日一番の笑顔を見せた。あぁこの顔がどこまでもむかつく。
「やったぁ! ありがとうございます! 実は契約書のような物も用意してきたので記入と拇印をお願い致します!」
気持ちの悪い用意の良さだ。ここまで見越していたのだろうと思うと尚更気味が悪い。
舌打ちをして手書きらしき契約書を受け取り目を通す。
『乙が用意した死体の引き取り時、甲は一体につき二百万支払う』『報酬として乙が望む情報を甲が仕入れる』『上記二つと引き換えに甲は乙に協力する』
先程話したことが申し訳程度に契約書らしい体裁を取っている。差し出されたゲルインクボールペンを手に取って、用紙の下部に設置された日付氏名連絡先の記入欄にペン先を滑らせる。
「あまりにお粗末で法的効力に欠けていると思うが」
「いやぁ~とりあえず形だけとっているだけなので。そもそも法に触れることの契約書に法的処置取ろうとするのも可笑しな話でしょう?」
それもそうだな、と変に納得してしまった。数時間でかなりこいつに毒されてしまったようだ。
用紙を投げるように突き返すと途草は上から下まで軽く読み直してからそれを透明なハードケースに仕舞った。
「やっとお互いフルネームが知れましたね、結木能代さん。これからよろしくお願いします、能代さん!」
「よろしくするつもりはねぇよ、うざいから名前で呼ぶな」
解体した張本人とコンタクトを取る目的は果たせたが、どうにも面倒な方向に行き着いてしまった。早くこいつから離れたい俺の心境など意に介さず、途草はそうだと声を上げる。
「それで、能代さんはどのような情報を求めているんですか? そこを伺っておかないとぼくも動けないので」
そうだ。様々な話に振り回されて最も重要なことを言いそびれるところだった。この件ばかりはもう、こういった奴に任せるしかない。
「ユイキマキナという人物について出来る限り詳しく調べろ。詳細であればあるほど良い」
そう言って、丁寧に『結木真希奈』と記したメモを手渡す。
「ユイキマキナさん……お姉さんとかでしょうか」
「……情報屋なんだろ、調べていれば自ずと分かる」
「はーい、わかりました。全力で調べますけど、能代さんのプライベートな事情とか一切考慮せずに調べるので、気に障る真似しても大目に見てくださいね」
メモを先程のハードケースに仕舞い終えると途草は席を立った。部屋のドアを開け、俺の方に顔を向けると左手の指先を揃えてドアの先に見える廊下を指す。
「今日はお開きにしましょう、お先にどうぞ。何かあったらこちらから連絡いたします」
大人しくその声に従って廊下へ出た。振り返ったすぐ側で途草は静かに九号室のドアを閉めていた。
かくして二時間以上続いた話し合いは、お互いの利害に基づいた気持ちの悪い協力関係を結ぶことによって終結した。
◆
自室のベッドがいつもより心地よく感じた。それだけ疲れているということだろう。
力を抜いて横になりながら今日のことを思い返した。
どのようなスパンで仕事がくるのか知らないが、それにしてもどう見たって俺より歳下のまだ子供っぽささえ残っている年頃のやつが二百万を支払うと軽く言ってのけるのは異常だ。
神奈川一帯に詳しくて、金に余裕がある、情報屋、アングラな仕事……。パトロンがいるとも言っていたか。これに当てはまる業界と言ったら、ヤクザやら暴力団、その小間使いってところか。
……まぁいい、結木真希奈の手掛かりが増えるのならなんだって。
今までも他人に調べさせたことはあったが、ここまで投げやりにその役割を押しつけたのは初めてだ。特になにも告げなかったのは吉であったと思っている。下手に俺の口からあの人の事を説明して、奴の持ってくる情報に偏りが出たら困る。俺はただ、何も知らない第三者が得た結木真希奈の姿があの日の真相に近付く手掛かりになると、そう思っている。
精々働いてくれよ、情報屋。