最後の手紙と望まれた××

 二葉町の伯母の家を訪れるのは今年の誕生日以来だ。俺はその時も遺書の件を持ち出し、そしてあしらわれていた。遺書の話をして煙たがられるのは珍しいことではなく俺は伯母に会いに行く度にどのような顔をしていればいいのか分からなくなることが多かった。だが今の俺の頭の中は結木真希奈のことで殆どが占められていて、そのことで悩む余裕などはなく、先を急ぐようにインターホンのチャイムを鳴らした。

 伯母が応対するまでにさほど時間は掛からず、鍵を開けて俺の顔を見た伯母は一瞬驚いたような顔をしたあと、まるで普通の母親のように微笑み「おかえり」と俺を迎え入れた。突然押しかけたことも、以前会ったときに遺書の件で突っかかったことも、気にしていないようだ。

 伯母は、何が食べたい? と問いかけながら台所へと向かう。シンクの中には皿が片付けられており、彼女自身は既に昼食を済ませた後で、さらに新しく俺の分を作ろうとしていることが窺えた。

「亜利紗さん、俺あんまりお腹空いてないから大丈夫」

「そう?」

 彼女は手に取ったサラダ油を置いて点けてすぐのコンロの火を消した。そして俺の顔を見ると仕方がないといった表情で溜め息をひとつ吐き、棚から取り出した茶葉をポットに入れて紅茶を注いだ。

「お菓子とお茶くらいなら入るでしょう?」

「コーヒーはないの?」

「切らしちゃってるのよ」

 そう言ってリビングのテーブルに茶とクッキーを置くと椅子を引いてテレビがよく見える位置に腰掛けた。反対側の椅子を俺に勧めて、まだ飲める程冷めていないであろう自身の茶を啜る。案の定かなり熱かったらしく彼女は熱いと一言呟いて顔を顰めた。

「猫舌なのに熱い物を飲みたがるからだよ」

「熱い方が美味しいんだから仕方がないじゃない」

「火傷した舌じゃ美味しいかどうかなんて分からないだろうに」

 彼女はそれもそうねと笑った。

 もう一度伯母から座るように促されたため、俺は黙ってそれに従い、どうぞと押しつけられたクッキーを勧められるがまま一枚口に運んだ。

「美味しい?」

「……うん」

「それならどうしてそんなに浮かない顔をしているの。ずっとよ、玄関で顔を見たときから、いえ、多分うちに来る前からそんな顔をしていたんでしょう?」

 そんな気がする、と曖昧な言い方をしつつもハッキリとした口調で伯母は言った。それはあまりに図星を指していて、俺はもう黙っているのは止めようと意を決し、クッキーを茶で流し込んでから一息置いて彼女の目を見つめた。そしてその視線を逸らすことなく、言葉も選ばず口に出す。

「母さんの遺書って、一枚じゃないんだろう。亜利紗さんは二枚目以降の遺書をどこかに隠しているか、または破棄したはずだ」

 彼女はまるで耳元で虫の羽音を聞いたような表情を浮かべて眉間にしわを寄せた。

「またその話? 何度も言っているでしょう。真希奈の遺書は渡した分だけよ」

 そして宥めるように続ける。

「能代が納得出来ないのも分かるけど、あれしかないのよ。腑に落ちない理由だって、遺書の最後が読点で終わっているとかそんな些細なことなんでしょう? それで疑われていたらこっちも困るのよ」

 彼女は困ったような顔なんてせず、真っ直ぐ俺の目を見つめ返しながら、それでいてきっぱりと否定してみせた。

 今までと同じだ。彼女は嘘を吐いているはずなのにまるで悪いといった表情をしない。だがしかし、彼女は決してポーカーフェイスが得意な女性ではない。彼女は俺に嘘を吐くことに全神経を注ぎ、慎重にあの表情を作っているのだ。

 その神経を揺さぶる術を今の俺は持ち合わせている。

「――九院」

 発した一声は伯母の瞳を大きく揺らすには充分だった。やはり一瞬でけりをつけるのにはこれが必要不可欠だったのだ。けれど尚も彼女は俺から目を離さなかった。

「知らないわよ、そんな人」

 彼女の声は依然として芯があった。だが瞳はみるみる潤んでいく。

「俺が知っていて亜利紗さんが知らないわけがないんだ」

「なんの――」

「父親だろう? 俺の引き取りについて何度か話したであろうことも、変な組織に所属していることも知っている。その人の名前だって、俺はもう分かっているんだ」

 彼女はひどく狼狽えていた。怯えているんだ、俺に全てを暴かれることに。

「今日はいつもとは違う。俺は全部わかった上でここに来ている。遺書のことも、父親のことも、亜利紗さんが何をしたのかも」

彼女はついに俺から目を逸らした。

「あの遺書はきっと、本来白い封筒ではなく、遺書と明記され九院宛てであることも分かる状態になっていたはずだ。それを開封し、細工をしたのは亜利紗さんだね? いや、亜利紗さんであるはずだ。……九院宛ての遺書の続きはどこにある?」

 そう問えば彼女は静かだがヒステリックな声で悲痛な戯言を呟く。

「どうしていつまで経っても遺書のことを諦めないの? そればかりかあの人のことまで調べてきて。私の育て方が間違っていたの?」

 彼女は涙を流しさえしなかったが酷い苦痛を与えられたようにか細い声を漏らした。

「違うんだ亜利紗さん。亜利紗さんにしてもらったことに不満はないし感謝だってしている。俺はただ真希奈が死んだ理由が知りたいだけで、そのためだったら亜利紗さんが相手でも配慮が出来ない。本当にそれだけなんだ」

「どうして? ちゃんと育てられていたのなら能代がそこまで真希奈に固執する必要はないじゃない。私の育て方に満足しているのなら、真希奈のことなんて気に掛けないでしょう。どうして、私の方がちゃんとお母さんらしかったじゃない」

「頑張って育ててくれたことも、色んな事に気を遣ってくれたことも知っている。だけど、それとこれとは話が別だ。俺は真希奈の自殺の理由が知りたいだけ。俺は一生、自分のせいで真希奈が死んだって思い続けながら生きたくないんだ!」

 柄にもなく大きな声を出すと伯母は虚ろな瞳を携えてふらふらと椅子から立ち上がった。そのままおぼつかない足取りで玄関付近の納戸を開けると、中から二枚の便箋と一枚の封筒を取り出した。九院宛ての遺書の続きは確かに存在したのだ。

「……全ては私のエゴだって目をしている。耐えられないのよその目、真希奈に見られているみたいで。だけど――、いいえ言い訳はするべきではないわね。結局あなたの母親は真希奈だったというだけ」

「亜利紗さんも母親みたいなものだよ」

「違うわ、違うのよ。能代には分からないわ」

 伯母はそう言ってまた椅子に座った。傷愴しきった顔で俺が遺書の中身を見るのを待っている。その視線を気にしないようにしながら、九院宛ての便箋に目を通した。





『 認知届や戸籍の変更はどうかお早めに。そうでないと姉さんや母さんがあの子を取り上げに来るでしょう。少なくとも姉は母親というものに憧れてあの子を欲しがっていますから、なるべく早く彼の親権を確保して下さい。もうほとんど彼は九院能代です。あとは少し公的な手続きを行うだけ。

 あの子には何も伝えていませんが、大人の言っていることをしっかり理解出来る子に育っています。能代さんが父親であり今後一緒に暮らすことになると伝えればそれで納得出来る子です。あの子は若い頃の能代さんと同じで偏屈ですけれど頭の良い子ですし、能代さんのように偏食気味ですが食の好みも同じなので食べ物で喧嘩することもきっとないです。あの子はしっかりしていますから能代さんがおっとりしていると何か怒られてしまうかもしれませんが、それは彼なりの優しさなので大目にみてあげてください。突っぱねるような物言いをする子で気難しいところがあるけれど十四歳の自分に接する気持ちで話しかければそれもきっと問題ありません。

 今世のトラウマに縛られてもなお足掻き、誰よりも救われたいと思っている能代さんにならきっと十四歳のもうひとりの能代さんを救ってあげられると私は信じています。どうかあの子の心の傷を癒やして、能代さんの心の傷もあの子に癒やされますように。私はそのための材料であり、私の死はその下準備でしかありません。

 遺書は謝罪の場ではないのでそのようなことを記すつもりはありませんが、全てはわたしのせいだから、誰の罪かをはっきりさせなければいけなくなったらまずは私の、結木真希奈の名前を出して下さい。

七月十九日 結木真希奈 』



 その内容から俺の馬鹿げた仮説は殆ど正解に近かったということが確認できた。

 文面から察するに、確かに結木真希奈は俺を九院能代にしようとしていたのだろう。それも〝十四歳の九院能代〟に。彼女が首を吊る七月十九日の時点でそれは及第点に達し、彼女は命を絶った。

 九院を助けるために俺や自分を犠牲にしたと受け取れるその文章は今の俺の否定に等しく、俺の存在も真希奈の死も所詮トラウマを抱えた九院能代を救うための道具に過ぎず、その役目を果たさないまま生き続け、結局九院能代になれなかった俺という『能代』は無意味なものだということに他ならない。

 伯母が何故九院の引き取りを拒んだのかも概ね理解した。それを隠滅するために遺書に細工をしたのかもしれないが、このような文面だ、少なからず伯母なりの気遣いもあったのかもしれない。この件に関して俺はもう伯母を責めるような発言はしないだろう。

 もう一つ渡されていた便箋は意外にも俺宛の物であったが、それはとても手短だった。



『 能代さんへ。私が死んだらまず、この電話番号に連絡して下さい。あとのことは全てその人がしてくれるから、安心して彼に任せてください。それと衣裳箪笥の一番下の一番奥に日記があるの、それを彼に渡してほしいです。 』



 たったそれだけ。九院に宛てられた便箋三枚と俺に宛てられた三行に明確な差があるのは歴然だった。

 恐らくだが俺にも見つけられる場所にこの短い手紙を置いていたのだろう。だが俺はひどく動揺していてそれに気がつかず、伯母に連絡を入れてしまった。結木真希奈の計画ではこの手紙を見た俺は真っ先に九院に電話を掛け、そして保護される手筈だった。順調に事が進めば晴れて俺は九院の姓を名乗る二代目九院能代になっていたわけだ。

 遺書の件は俺とは無関係で、最初からなにも知らなかったと思っていたがそうとも言えないらしい。俺は少なからずこの手紙の在り処を伝えられていたはずで、この内容に従い箪笥の中にある日記とやらを発見していたはずだ。だがその場所について一切心当たりがない。その伝達の不行き届きが今回の一連の出来事の発端であることは明らかだ。けれど今となってはそれを悔いるつもりにもなれん。

 この手紙の内容で気になることと言えば衣裳簞笥に隠された日記であるが……この日記とはまさか――

「亜利紗さん、この日記にも心当たりはあるの?」

「奥の部屋の押し入れに他の遺品と一緒になっているわ。九院さん宛ての遺書もそのノートに挟まれていたものよ」

 伯母は視線を落としながら言った。

 俺は遺品置き場と化した奥の部屋に足を向け、書籍がまとめられた段ボールの中身を全て床に並べて目当てのそれを一つ一つ探していった。

 手紙に記されていた日記を見つけ出すのにはさほど時間を要さなかった。油性のマジックペンで三桁の数字が書かれたノートの表紙を捲り、最初に書かれている文面に目を通す。日付は結木真希奈が首を吊る前の年の十二月二十五日が記され、結木真希奈のものではない文字が連なっていた。



『 クリスマスですね。この時期は風邪を引きやすいと思うので能代も真希奈も温かくして過ごしてください。俺も気をつけます。毎年思うのだけど謎のサンタからという触れ込みでこっそり能代にプレゼントをあげることって出来ないかな? 真希奈ならいくらでも誤魔化せると思うのだけれど、それもぜひ検討していただけたら嬉しいです。駄目ならお年玉をあげさせてください。奮発します。何度でも言うけれど俺は君と能代と年を越すことをまだ夢見ているから、能代と真希奈が嫌がらないようであればみんなで過ごしたいです。 』





 それは紛れもなく九院能代の文であった。彼は父親相当の価値観を持っているらしく、また俺に会うことを切に願っているように読み取れた。次のページに書かれた結木真希奈の返事も俺が知るようなのらりくらりと躱すようなものではなく、譲歩しようとする意思が見受けられる、そんな変な感じがする文だ。





『 謎のサンタですか。それは難しいと思います。彼はもうサンタさんを信じていませんし、我が家のクリスマスプレゼントは現金を手渡して自ら買いに行かすものという認識が以前より定着しています。けれどお年玉ならきっと喜ぶのではないでしょうか。大人っぽい子だと思われがちですが年相応に欲しいものはきっと沢山あるはずですし、私の行いのせいで親戚からはあまり貰えませんもの。しかし一緒に年を越すのは難しいです。来年の年の瀬にはすでに私はいませんから、あの子と能代さんの二人でのんびり過ごしてくだされば私も幸せです 』



 それ以降も交互に止まることなく続く返事の数々に、俺はやっとこれは結木真希奈の日記ではなく〝結木真希奈と九院能代の交換日記〟であることに気がつく。

 いつまでも他愛もない会話を読み続けるのは時間の無駄だと、須田の言っていたアドバイスに相当する事柄を知らねばと今度は裏表紙からページを遡る。交換日記の後半は結木真希奈が死んだ年の六月に記されたものが殆どだった。一部の文面から察するに結木真希奈と九院能代は直接顔を見合わせ会話を交えながらこのノートに文字を綴ることもあったらしく、六月に交わされた多くのやりとりからもその様子が読み取れた。

 該当ページはすぐに見つかった。そのページには付箋が貼られており『お父さんにこれを渡す前に能代がこの文面を読んだのなら、お父さんに読んだことを伝えた上で、これを渡して下さい。 母より』と残されていた。

 頑なに自らを真希奈と呼ばせていた女がこんな時に限って都合良く母親を名乗る様子に胸が苦しくなった。この付箋の文が俺へ〝俺の母から〟宛てられたものだと勘違いしてしまいそうになるのを抑え、付箋の下に書かれた文字を追う。

 ノートの後ろに数ページの白紙を残して最後に書き記されていたのは結木真希奈の九院に対する想いであった。それは遺書とは違う。まるで懺悔のような文面だった。



『 遺書に謝罪や世迷い言を書くのはどうにも気が引けてしまいましたのでこちらで失礼致します。能代さんとの大切な思い出の最後をこのような纏まりのない文章で締めてしまってごめんなさい。

 輪廻転生はないのです。だからもう二度と私と能代さんが出会うことはないです。久安明の理念通り、来世などはなく、今世救われなければそれは永遠に救われないことと同義。だが逆もまた然りであり、私は今確かに幸福を身に感じていますから、この状態のまま死ねば私は半永久的な幸福を得ることになります。ですがこの幸福はあまりに脆弱で、能代さんの幸せが実らなかったときに砂の城のように崩れ去る壊れやすい代物です。

 結局のところ私は能代さんに幸せを与えられる女になりたかったのかもしれません。いえ、正しく言い換えると、私が能代さんに与えられた幸せ以上のお返しを能代さんに捧げたかった。能代さんが私に与えた幸福は即ち救いで、私も同じ物をそれ以上でお返ししたかったのです。ですがその方法は間違っていて、結果的に能代さんの最も近くにあった家族三人で暮らすという幸せを遠ざけて、私が望んだ二人目の能代さんを用いた能代さんの心の救済を押しつけてしまった。能代さんの幸せを第一に考えていたはずなのに、いつの間にか求めるものがすり替わって、あの日の能代さんと一寸たりとも違わないもう一人の能代さんを作ることに力を注ぐようになってしまった。

 あの子は私が望んだとおりに育ちました。母親が死ぬ日の夕飯に作ったハンバーグの感想を問われて「普通」と答えるほど、あの日の能代さんと変わらないのです。それは結果的に私は能代さんがこれまで何十年も背負ってきた呪いの元凶である能代さんのお母様に成り、その母親のまま死んで永遠になるということに他なりません。それは後悔でもあり未練でもあります。わがままを言えるのであれば私は能代さんに愛された結木真希奈という女として永遠になりたかった。そんな後悔を胸に抱いてもなお、私は完璧な九院能代を作れた幸福も感じています。

 詰まる所、幸せになったのは私だけで、能代さんを私の手で救うことは叶わず、九院能代の母として新たな呪いを上書きしただけになってしまった。

初めて病院の待合室で出会ったあの日から今日に至るまで、比喩ではなく本当にずっとあなたのことを想ってきたと自負していましたが、実はそれは私の都合の良い解釈に過ぎないのではと死ぬ直前になって思い始めてしまいました。思い始めたというよりも、最早気がついてしまったと言うべき程それは事実に等しいことに私自身が納得しかけています。全ては私のエゴだったのでしょうかと自問するたび、その通りだと肯定する能代さんとあの子の声が聞こえる気がします。

 何年も掛けて私の望む未来のために私自身の未来を潰し、能代さんの幸せのために能代さんを不幸にした、そして最後はあなたが最も怯える存在として幸福を抱いて永遠になる。そんな私は一体何者なんでしょうね。私は誰なんでしょうか。

 もし、能代さんが私のことをまだ結木真希奈として愛し、能代さんの幸せがまだ叶えられるのなら、それが例え私を忘れることであったとしてもあなたの望みを優先させてください。自分勝手な女の最後の自分勝手です。このようなことをしてもまだ能代さんに愛されようとしてごめんなさい。私に幸せを教えてくれてありがとうございます。沢山幸せを頂いたのに、何も返せないどころか能代さんの幸せを正しく理解することすら出来なくてごめんなさい。あとはあの子と二人で互いの傷を癒やして下さい。それが一番の望みです。 』



 結木真希奈は酷く愚かだ。ここまで自分の行いの問題点を自覚しているにも関わらずその間違いを正すことなく遂行してしまった。本当に自分勝手で、それでいて手の施しようのない馬鹿だ。

 ノートには彼女が口にも出さず遺書にすら書かなかった謝罪の全てが詰まっており、その存在は九年間ずっとこのほこり臭い押し入れの中に仕舞い込まれていた。それはこの謝罪が誰にも受け入れられていないことに他ならない。

 結木真希奈は最後まで俺に九院能代であることを求めた。結木真希奈としての特性を捨て九院能代のトラウマの原因であるその母親になり果ててまで、俺を九院能代にしようとした。そんな概念的に九院能代の母親である結木真希奈が最後に〝結木能代の母親〟として書いた付箋の内容がこのノートを九院に届けることである。ならば俺はそれを実行に移すしかないだろう。それが俺に、結木真希奈の計画を破綻させた者に出来る唯一の罪滅ぼしだ。この最後の日記と遺書は必ず俺が九院能代の元へ届けなければならない。

 遺書とノートを鞄に仕舞いリビングに戻ると伯母に謝罪を入れた。彼女は全てを見た俺をとても心配していて、けれど何かを言うことも出来ずにただごめんねと呟いた。

「大丈夫、用事が出来たからまた今度、日を改めて来る。その時はちゃんと連絡入れる」

「うん、またおいで」

 伯母はくしゃりとした笑顔でそう言うと手を振って俺を見送った。



   ◆



 第二の実家を後にした俺はすぐさまアイツに電話を掛ける。次の目的を伝えるために。

 一度目に掛けた時は通話中で繫がらなかったが、二度目に掛けた時は一度コール音がなり終わった後すぐさまあの溌剌とした声が耳を劈く。

「のっしろさーん! 早かったですね!?」

「うるせぇ死ね」

「えぇ……開口一番にそれですか……。そんなことより、遺書の件どうでしたか? 片付きました?」

「あぁ、問題ない。六月に久安明への出入りが増えた理由もおおよそ見当がついた。おそらく結木真希奈は久安明へ交換日記の受け渡しに行っていたんだ」

「交換日記?」

「まぁいい、お前が気にすることじゃない。次の目的も定めた。そのために久安明に向かう」

 途草はそうこなくっちゃと随分乗り気だ。

「実は先程まで生世くんと話していたんです。電子ロックの件で折り返してくださって。それでついでに久安明の所在地についても聞いておきました」

 準備が良いのはいつものことだが俺の思考が手に取られているようでやはりいつになっても好かん。

「迷いやすいところにあるらしいので久安明にお邪魔するのであれば生世くんと須田さんが付き添ってくださるそうです」

「灰野だけで充分だろう」

「いえ、ぼくもそう言ったんですがね。「遺書の件で一番貢献したのは誰だ」と言われてしまってはぼくにはどうにも出来なくて……。そういうことで久安明に行く際はお二人も一緒に着いてくることになります」

 面倒事を増やしやがって。仕事が出来るんだか出来ないんだか。

「仕方がない。余計なことをするなと念入りに釘を刺しておけ、わかったな」

「え、それぼくの役目なんですか? ちょっとのし――」

「日付については後ほど連絡する。俺は帰って寝るから今日はもう掛けてくるな」

 それだけ伝えて一方的に通話を切る。

 俺は鞄の中身を見下ろした。その中にはスマホと財布、ファイルに仕舞われた遺書と便箋とノート。そしてロープが入れられていた。

 結木真希奈の件は全て解決した。九院を幸せにするために周囲の人間の足を不幸へ引きずりながら死んでいった彼女のことを俺はもう人殺しの理由にはしないだろう。





 その日の空に雨雲はなかった。

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