自立心
優勝は叶わなかったがWdF準優勝の反響は思っていたよりもずっと大きかった。大会終了後から劇的なまでに増えた仕事に取り組む日々は二月に入っても続いていた。次のコンサートライブも決まりライブリード曲の収録されたシングルも近々発売される。
仕事が増えてうれしい。ライブができてうれしい。CDが出ることもうれしい。そんなたくさんのうれしいより大きくあるのは未だ消えることのない『わたしの力不足で優勝できなかった』という傷のような自分への失望だった。
♪
某日ダリアプロダクションレッスンルーム。ライブで披露する曲を当日のセトリに沿って踊るわたしたちLightPillarの様子をダンス講師の上條先生が鏡の前にあぐらをかいて鋭い視線で眺めている。
「はいストップ。佐倉と水森は休憩に入って、百瀬はこっち来て」
前半の確認を終えたタイミングで名前を呼ばれ先生のもとへ小走りで駆け寄る。
「ライブやる気ある?」
険しい顔で放たれた第一声に「あります」と答える。
「でもライブに意識向いてないよね」
「……」
「前のレッスンから気にかかってたけど今日は特に目に余る。何にそんなに引っ張られてるの?」
投げかけられた問いに目が泳ぐ。なおも刺すように向けられる先生からの視線にわたしは怒られるのを承知で「……まだ、WdFのことを……」とぽつりと短く溢した。
上條先生は呆れたように大きなため息を吐く。そして声色は静かなまま言葉を続ける。
「このライブにWdFは関係ないでしょう。あなたは誰にそれを見せたいの? いるかもわからないWdFでαIndiに投票したひとに見せて見返したい? 違うでしょ。それを見せたいのも、見せるべきなのも、ライブ当日、目の前にいるひとでしょう。あなたは何公演かするかもしれないけどそのうちの一回しか来られないひともいる。百瀬詩子を生で見るのが最後でそれっきり会えないひともいる。わざわざ遠方から何時間もかけて、宿取ったりして見に来るひともいる。他にも様々な理由を持ちながらあなたのパフォーマンスを観るのを楽しみにして来るひとが山ほど来る。その目の前に存在するひとに意識を向けられないならステージに立つな」
上條先生の叱責に情けなく涙が滲む。
「今日はもう百瀬は終わり。このあとのボイトレまで頭冷やしなさい」
「……はい」
返事をして荷物を持ってレッスンルームを出る。逃げるように休憩室に向けて階段を上ろうと段差に足をかけた──が、男性の声に呼び止められる。顔を上げれば中原先生がわたしを見つめていた。
「まだダンスレッスン中だよね?」
「……あ……えっと……怒られて……」
そこまで聞いて中原先生は「そっか」とどこか納得したように呟く。いつも通り長い前髪で目元は隠れているが口元と声からわたしを心配していることが伝わってくる。
「じゃあちょっと早くボイトレやりますか?」
「いいんですか?」
「うん、いいですよ」
そんなこんなでボイトレルームに入ってライブリード曲である新曲の自分のパートを練習することになった。
「うん。仕上がってきましたね」
「そう……ですかね……? まだ頑張れませんか?」
「なにかひっかっかる? それとも単純にもっと上手くなりたいってことかな?」
わたしは言うかすこし悩んでから意を決してさっき上條先生に怒られた内容について中原先生に話した。
「なるほど。上條先生の言うことは一理あります。正直僕から見ても集中できてなさそうだなって思うときはありました。今日の段階で叱ってくれたのはむしろよかったのかも」
「当たり前のことで上條先生に怒られたことも、それで傷ついたみたいに泣きそうになったことも不甲斐ないです」
「悔しいと思う気持ちは大事にしてほしいけどそれで目の前の大切なことにまっすぐ向き合えないのは良くないね。気持ちを切り替えて改めて前を向けるに越したことはないけど、じゃあどうしたら切り替えられるだろう?」
どうしたら切り替えられるか。わたしも何回か考えたけど結局余計悩むだけで改善策をずっとは考えてられなくて保留にしたままだった。
「……改善策はわからないけど、この前のWdFで負けたのは詩子の実力不足だと思ってます。詩子がもっとひとりでなんとかできる力があれば各審査でもっと柔軟な選出ができたし、点数も上がった。決勝が終わった直後でもうそう感じていました。ミチルちゃんとレイちゃんのがんばりを詩子が全部無駄にしちゃった。詩子がもっと上手くやれたら勝てた」
その後しばらく黙るわたしを見て中原先生は「じゃあ……」と切り出す。
「ちょっとだけ佐倉さんと水森さんと離れてお仕事してみたらどうかな?」
「ソロでってことですか?」
「そう。個人の力を身につけるには適度に甘えられない環境に行ってみるのもありだよ」
「やりたい……けどお仕事あるかな……」
「そんな百瀬さんにお知らせです」
お知らせ……? と首をかしげる。
「舞台の演出とか脚本とかやってる知り合いがいて、そのひとが歌って踊れる舞台に立った経験のある十六歳前後の髪の長い女の子を探しているんだ」
「……!」
「条件、ぴったりでしょう? 実はさっき百瀬さんに会う前に社長にも話を通してあって、百瀬さんのやる気次第なんだけどやってみる?」
「歌と踊りってことはミュージカルなんでしょうか? 台詞もありますか?」
「あるって聞いてるね。どんな役かは詳しくは知らないけど、でもそんなに多くはないみたい。演技の経験はある?」
「演技で舞台に立ったことはないけど通ってた養成所のレッスンでやったことはあります」
「今以上にハードスケジュールになるけど、やってみますか?」
思えばずっとアイドルのレイちゃんはもちろんだけどミチルちゃんだって早々にソロでテレビに出演した経験を得ている。対してわたしはソロでインタビューを受けたりした経験はあっても大勢の人前に出る機会はなかった。
ひとりでもいろんなことが出来るようになりたい。ふたりに追いつきたい。足手まといはいや。頼りになりたい。
「やります……!」
これはきっと好機だ。個人としてのスキルを成長できる機会なら絶対やりたい。
「それじゃああとで社長とマネージャーに話を通しにいきましょう」
中原先生は話がまとまってよかったと口元を笑顔にしている。
「いろいろありがとうございます。なんか前向きになってきました」
「うん。自分の力で出来ることを増やしたいって気持ちはすごくわかるから。上條先生もきっと前向きな百瀬さんであったほうが心配も少ないと思う。──あ、そろそろダンスの方も終わりそうだね。こっちも一度休憩してまた集合しようか」
「はい!」
臨時レッスンを切り上げて、わたしは気合いを入れ直した勢いで隣のレッスンルームに急ぐ。
「失礼します」
そっと扉を開けて中をうかがう。そうすると真っ先に先生と目が合った。
「落ち着いた?」
「はい」
「じゃあ次から気を取り直して練習しましょう」
「はい!」
わたしの返事を聞いた上條先生は「よろしい」と少し口角をあげて笑った。