入所式(3年目)
中原先生の提案で参加を決めた舞台の稽古も増えて仕事で大忙しになるかなと思っていたが、それは事務所側でかなり配慮してくれたらしく、仕事に追い込まれて何も手に付かないという状況にはなっていなかった。
知らないひとばかりの場所に加わるのはとても緊張した。基本的に同じ劇団内の演者さんばかりで外部から入るのは数名だと事前に聞いていたから余計に……。けれどそんなことは杞憂だったようで、演者さんもスタッフさんもみんなわたしを気にかけて声をかけてくれるし、今回の舞台で主演を務めている劇団所属の伊吹花純ちゃんとは早速友達になれた。
五月下旬の本番まで残り二週間ほどになっていた。今日の稽古を終えて花純ちゃんと軽くお喋りしながら稽古場のモップがけをする。
「詩子ちゃんは本番ご家族とかお友達とか呼ぶの?」
「お母さんとお父さんと、あとLightPillarのメンバーは来てくれるって言ってた!」
「そっかそっか! 初舞台だもん、ファンのひとも関係者もたくさん観てくれるといいね」
「花純ちゃんはだれか呼ぶの?」
「せっかくの主演だし親は呼ぶかなぁ。あとはたぶん来てくれないけど前にうちの劇団に所属してた先輩に声かけたいなって思ってる。真川あざみくんて言うんだけど知らない?」
わたしはううんと首を横に振る。
「こっちではかなり有名だったんだけどまあテレビにはあんまり出てなかったから舞台観ないなら知らないか。業界では天才子役って呼ばれてて、すっごく歌が上手かったんだよ! 超憧れの先輩!」
花純ちゃんがすごく良い笑顔でそのひとを褒めるからわたしもつられて笑顔になりながら「そうなんだ~」と頷く。
「でも辞めちゃったんだよね、結構急に。もう三年くらい経つかなぁ」
「天才って言われて褒められるくらいだったのに辞めちゃったの?」
「うん。歌うことが大好きなひとだったんだけど、最近ちょっと元気ないなとは思ってたら突然稽古来なくなっちゃって。結局劇団抜けちゃったんだ……。決まってた仕事も全部降板になっちゃったし……。だからたぶん劇団のひとと顔会わせるの気まずいかも……」
花純ちゃんは寂しそうに床を見つめながら「でも、来てくれたらいいな……」と呟く。
♪
舞台稽古の後、事務所に寄るため駅で電車を待つ。待ち時間の数分の間に花純ちゃんが言っていた『真川あざみ』くんの名前をブラウザの検索ボックスに入れて軽く調べる。名前を聞いてもピンとこなかったが顔は見たことがあった。きっと彼が出演していたなにかの宣伝でテレビに出ていたのを観たのかもしれない。過去の出演作品がずらっと並んでいて、そのほとんどが太字になっており作品の中でもメインの役柄を演じていたことが見て取れる。
花純ちゃんもわたしより三つほど年上だったから、てっきり真川あざみくんも年上のひとだと思っていたがわたしより一つ下だった。そんなに若くて、加えて才能もあるのに早々に劇団を辞めちゃうなんてもったいないなと少し思った。
事務所の玄関を開けてすぐ靴箱にしまわれていない靴が多いことに気がつく。この時期にこの来客の数……としばし考えて、ああもう入所式の時期かと納得がいく。
一応マネージャーにはこの時間に事務所に来ることは伝えてあるが、入所式で事務室を使ってるだろうときにお邪魔するのはちょっとな……と考えてまずは二階の休憩室に向かうことにした。
階段を上った先の休憩室にはレイちゃんとミチルちゃんと黒さん。
「あ、詩子おはよう」
「みんなおはよう~てぃーぱちゃんは黒さんだけなんだ? 珍しいね」
大抵休憩時のTeaParty!はみんな揃ってるイメージがあったから意外に思う。そんなわたしを見て黒さんは「ああ、一茶さんと姥原さんは入所者の教育係に選ばれたから入所式に同席するために事務室にいるよ」とコーヒーを片手に答えてくれる。
「あ、やっぱり入所式やってるんだ。そうだと思って挨拶後回しにしてきちゃったんだよね」
「一応事務所にもうついてるって連絡入れとけば問題ないんじゃないか?」
「そうする~」
ソファに腰掛け傍らに荷物を置いてわたしはマネージャーに事務所についたことと入所式をやっているみたいだから挨拶はあとにして二階に向かったことを連絡した。
「よし! で、三人とも!」
目をきらんきらん輝かせるわたしにミチルちゃんが「なんだ?」と視線を向ける。
「新しい入所者どんなひとか見た?」
「ああ、見た。レイと黒も一緒に会ってる」
「何人? 靴は四人分あったけど……」
「入所者はふたりだよ。残りの靴は保護者さんのもの」
レイちゃんが答えてくれる。わたしは「女の子いた? 何歳くらい?」と続ける。
「どっちも男の子だったね。歳はたぶん詩子と同じくらいじゃないかな」
今度は黒さんが答えてくれた。わたしと似た年頃の男の子がふたり!
「二期生はお兄さんばっかりだったけど今度は年近い子が入ってくれたんだ! どっちの子もアイドル好きかなぁ?」
「どうだろうね。好きだったらうれしいね」
レイちゃんの言葉に「うん!」と元気よく返す。
それからしばらく四人で談笑して時計の針が三十分くらい進んだころ休憩室のドアが開く。入ってきたのは社長と一茶さん姥原さん、そして新入所者のふたりとその保護者さんだった。
わたしはすかさず入所者のふたりに注目する。ひとりは山吹色っぽい明るい髪色のかわいい男の子。そしてもうひとりは──
「ん⁉ 真川あざみくん⁉」
驚いて大きな声を出してしまったわたしに彼も驚いた様子でびくりと肩を揺らしてすかさず目を逸らす。
「ああ、百瀬くんも知ってるんだね。じゃあせっかくだからあざみくんから自己紹介をしてくれるかな?」
「ああ……えっと、ダリアプロダクション三期生として所属することになりました。西園寺あざみです。真川という姓は本名で、昔はそっちの名義で舞台俳優として活動していました。よろしくお願いします」
西園寺と姓を改めて名乗った彼はやっぱり今日花純ちゃんから名前を聞いたあざみくんだった。わたしはすごい偶然だ! とちょっとどきどきしながら「そうなんだ! よろしくお願いします! 西園寺ってオシャレだね! かっこいい! 自分で考えたの?」と声をかけた。あざみくんは恥ずかしそうにこくんと頷く。
「あざみくんありがとう。それでは次はキャロルくん自己紹介をお願いします」
社長に促されて一歩前に出たかわいい子はチャーミングな笑みを浮かべながらハキハキと話し出す。
「関口キャロルです! 前はお父さんの経営していた芸能事務所でモデルをメインに活動しながらちょっとだけソロでアイドル活動もやっていました! ぴよ助っていうアヒルのキャラクターが大好きです! キャロルのこともぴよ助のこともよろしくお願いします!」
「キャロルくん……! かわいい! ぴよ助って子の分も挨拶してくれるくらい好きなんだね! これからよろしくお願いします!」
「はーい! あざみも先輩たちもみんなよろしくお願いします!」
そう言いながらわたしたちとあざみくんを交互に見てキャロルくんはにこにこと好感の持てる笑みを浮かべている。
「では少しだけ僕はあざみくんとキャロルくんの保護者さんと話があるから、すこし所属者たちでお喋りして待っててくれるかな?」
「はーい! わかりました! あざみと先輩たちと喋ってます!」
張り切っている様子のキャロルくんとは対照的にあざみくんは困ったように軽く目を伏せたあと小さく頷いた。
社長たちが退出したあと残った所属者たち八人でテーブルを囲む。
「ふたりとも芸能経験者なんだね~俺たち二期生はみんな未経験スタートだからすでに経験があるなんて素直に尊敬しちゃうな」
一茶さんがいつも通りのなごやかな雰囲気のまま言って、それに黒さんと姥原さんも頷いている。
「芸能経験って言っても本当に一応……って感じですけど」
「いやいや、キャロルはかなり一応だけどあざみは全然一応じゃないでしょ! だって業界でも前線で活躍してたじゃん!」
「いや、でも芸能界は三年前に辞めてるし……」
「そんなことないよぉ! あざみはずっとずっとすごいよ!」
「キャロルくんはあざみくんのことがもう大好きなんだね?」
レイちゃんの問いにキャロルくんは「うん! うん!」と何度も首を縦に振る。
「あざみはね、キャロルにとってはじめての憧れで、はじめての相棒なの! 一緒にがんばるんだ!」
「…………」
キラキラの目をしているキャロルくんとは違いあざみくんは浮かない顔をしている。
「相棒ってことはもう二人はデュオで決まりなのか?」
ミチルちゃんが聞けばキャロルくんはうれしそうに「そうなんです!」とひまわりが花開いたような笑みを咲かせる。
「あざみとキャロルのユニットの名前ももう決まってるんですよ! 『BAROQUE』っていうんです! かっこいいでしょう! お歌でたくさんのひとを魅了させる高貴なるものってコンセプトなんですよ! あざみにぴったり!」
「俺は……そんなんじゃ……」
「いや、あざみはすごいよ! キャロルはあざみのことずっと見てたから知ってる! あざみは天才です!」
「……っ! 天才じゃない! 俺はそんなに手放しで言われるような本物じゃない!」
さっきまで小さな声で自信なさげだったあざみくんが大きな声で否定する。しかしすかさずキャロルくんが「そんなことないよ!」と上塗りする。
「だってキャロルはあざみの歌すごくかっこいいって、すごく響くって知ってる! あれは紛れもなく才能だし、ファンのみんなそう思ってるよ!」
「……急にいなくなったんだ、ファンだってもう俺の歌声も忘れちゃってるよ」
また「そんなこと──」と言いかけたキャロルくんを遮って、あざみくんは俯いたまま「やっぱりまた芸能界に戻るなんてもっと反対すればよかった」と呟くと席を立って荷物をひっつかみ休憩室を出て行く。
「あ⁉ あざみ……⁉」
追いかけようとすかさず立ち上がったキャロルくんの手首をつかんで止めたのは一茶さんだった。その間にあざみくんは出て行ってしまう。足早に階段を駆け下りる足音が聞こえる。
「なんで止めるんですか!」
「きみが今すぐに追いかけて行っても悪い方にしかいかないよ」
「でも──!」
「きみたちに必要なのはどちらも冷静なときにしかできない会話だ。だから今じゃない」
「あざみはキャロルの相棒になるひとですよ! キャロルが今引き留めなきゃ……!」
「それがあざみくんをもっと苦しめても?」
「…………」
「キャロルくんがあざみくんの味方でありたいように、ここには彼の味方になりたいひとしかいない。もちろんだからといってキャロルくんのこともないがしろにしたくない。これは俺も、黒や姥原やLightPillarのメンバーも同じ気持ちだと思う」
一茶さんの言葉に、キャロルくんはすんと鼻を鳴らした。そして涙でうるんだ瞳で「どうしたらあざみとBAROQUEやれますか……?」と聞く。
「なぁに俺に任せなさい!」
一茶さんは力強くて眩い笑みを見せながらトントンと自身の胸を叩いた。
♪
キャロルくんをなだめて保護者さんの元に返したあと、わたしたちは今度は社長や事務所職員も交えて作戦会議を開くみたいに休憩室で話していた。
「任せなさいって言ってたけどさ……」
話し出したのは黒さん、
「なにか案があるのか?」
続けて問うたのは姥原さんだった。
同じくどうするの? という顔をしている一同に対してただひとり一茶さんだけが笑顔を浮かべている。
「もちろん! 考えてるよ!」
「ほんとうですかー?」
「黒は疑り深いなぁ」
「納得できる説明を受けられるまではみんなこんな調子だと思うよ」
レイちゃんの発言に「それもそうかぁ」と軽い調子で呟くと一茶さんは一口お茶をすすってから改めて姿勢を正して話し出す。
「まず前提として、俺はあざみくんにアイドルになる気がないならやらなくていいと思っている。これは多分水森さんとかも同じ気持ちかなって思う」
「そうだね。だから俺は無理に引き留める必要はないと思っている。仕事としてやっていくならある程度の前向きさはいるから、それがないなら入ったところで長続きはしないし」
「そう。引き留めるっていうのは復帰後のアフターケアも含めて俺たちがしっかりサポートできる自信があって、本人にも前向きな「やってみようかな、挑戦してみようかな」って気持ちあるのが大前提。このふたつが揃ってないなら引き留めるのは無責任だと思う」
一茶さんは身振り手振りを交えながら続ける。
「まずサポートはできる。ダリアプロは少数精鋭型だし一人一人のサポートの手厚さもしっかりしてる。問題はあざみくんにやる気があるかどうかだ」
「うーん……詩子が見た感じはあんまりやりたいって感じには見えなかったけど……」
「そのあたりは社長から見てどうですか?」
レイちゃんが社長に問う。社長は少し考えてから落ち着いた様子で話し出した。
「あざみくんの芸能界にいたいって気持ちはかなり消極的と言っていい。……──しかし、」
一拍おいて、笑みを浮かべる。
「ファンのみんなにまた歌を届けたいって気持ちは強くあるようだったよ」
一茶さんうれしそうに微笑む。
「実は俺もそれをわかってたから引き留められるって思ったんだ」
「なんでそう思ったんですか?」
「ひとつは彼の教育係として入所式直後に彼と少し一対一で話させてもらったときに歌メインでの活動というところに興味を持っていそうだったところ。ふたつめは業界や制作側に不満はあれどファンには後ろめたさを感じるくらいには今も大切にしていそうだったところ。それになんと三つ目もあったりしちゃうんだ」
「それってそんなに確信を持てるほどのことなんでしょうか?」
黒さんの疑問に一茶さんは「まあ一番は元教師の勘ってやつ!」とウィンクをひとつ決めた。