Epilogue
ソラに最後の頼みをしたとき、その手紙は一生ずっと封をしたままだろうと思っていた。綺麗な空気を缶詰にしただけのものみたいに、閉じたままでも思い出になるものであると同時に開けたらおしまいのものだと思っていた。結局それを閉じたままにしていた理由の八割とちょっとは『開封して終わらせたくなかった』からでしかない。
身に降りかかる理不尽がすこしくらい辛くても閉じられたままの手紙を見れば屈することなく二本の足で立っていられた。だから開けずを貫き通せた。
しかし、世界ってものは理不尽に未来を潰しにかかってくる。誰のものだろうと構いなしに、理由なんてなくても、いつだって命を終わらせる後押しみたいに崖への一歩を動かそうとしてくる。
それに対抗できる俺の持つ唯一の手段は結局あの手紙を開けることだけだった。
俺は擦り切れてダメなりそうな自らの心への救いを求めて、泣き出しそうな顔のまま百均で買ったペーパーナイフで丁寧に丁寧に封筒を開けていた。
二つ折りにされた飾り気のない便箋――だがやけに枚数が多い。
ソラのやつそんなにたくさん書いたのか? と思いながら一枚目から順に目を通す。
『ヒノデくんへ
元気がないときに読む手紙だって聞きました。
好きなことは最近出来ていますか?
忙しくてそう簡単にできないかもしれないけど
寝て楽しいことすれば大抵のメンタルは回復すると思うから
もし本当にやばそうだった三日くらいしっかり休んで。
吉沢 善』
『ヒノデくんへ!
大学とかバイトとかめちゃくちゃいそがしいと思うけど
ヒノデくんがすごくがんばってることしらあいのひとなら全員わかってるから
つらく当たるひとのこととかはあんまり気にしないでね!
いやな上司とか友だちとかいたら俺が呪ってあげる!
ひらがなばっかりの手紙でごめん! これからもずっと大好きだよ!
伊豆町 蘭』
『ヒノデくんへ
一緒に寮にいる間はなにかと世話になりました。
寮の外に出るってことはそれだけ今までの環境に頼れないことだと思う。
十八を超えたら今までの環境とはすごく違うだろうけど
困ったことがあったらちゃんといろんな支援を頼って
なにがあっても生きることを諦めないでほしい。
佐江 瑞紀』
『ヒノデくんへ
たくさんお世話になりました。弟たちとも遊んでくれてありがとう。
ヒノデくんはいつも誰かを助ける側になりがちだけど
自分のことを助けてくれるひとも見つけて、しっかり頼ってね。
ヒノデくんのことを助けたいって思うひとは絶対いるから
そのひとの存在にちゃんと気づいて。ひとりじゃないことを忘れないで。
花笠 イブキ』
『ヒノデへ
まずは手紙の開封おめでとう。
絶対意地でも開けないって思ってただろ? バカ、さっさと開けなさい。
辛いときに自分の心を軽くすることが出来ないやつは早死にするぞ。
誰がおまえの敵だろうと、誰がおまえに悪意を持とうと
俺は永遠にずっと、おまえが望まなくても一生味方だからな。
おまえが何かを諦める必要はない。おまえが遠慮する必要もない。
自分の正義をいつまでも信じて貫き通せ。
それができること俺は知っているし、しらあいのひとは全員知ってる。
他人の幸せより自分の幸せに焦点を当てることをたまには意識しろ。
おまえの人生が明るいものであれば俺もうれしい。
おまえの性格的に寮には連絡しにくいだろうけど
俺にはなにかあったら気軽に連絡しろよ。連絡先書いとくから。成人したら飲みに行こう。未成年でも飯くらいはいけるし、いつでも連絡入れろ。次会う日までお互い元気でいような。
永野 頼人』
『ヒノデくんへ これを読んでるってことは結構辛いことがあったんだろうと思います。
まず先に、ヒノデくんがもっと苦しくなる前にこの手紙を見てくれてありがとう。
ヒノデくんはなにか理由がある上でこれを読まない選択をする気がしていましたけど、ボクの思い違いだったようでよかった。
ヒノデくんがなにで悩んでいるかをボクが知ることはきっとないだろうからそれに対する正攻法で合理的なアドバイスとか一切できないけどそれだとこの手紙の意義をボクが悩み出してしまう可能性があるのでこの手紙はヒノデくんのこれまでを肯定するためのものにしようと思います。と言ってもボクはしらあいにいるヒノデくんしかわからないのであんまり人生の全肯定とかはできなさそうです……。
ヒノデくんがこれまでにボクや寮の他のみんなにしてくれたことは絶対正しかったです。
ボクに助言をくれたことも、寮におもちゃを寄付したことも、ヨリトくんに花瓶を貸したことも、誰かの喧嘩の仲裁をして仲直りのきっかけをあげたことも、他にも全部、全部。
平和ですよ、しらあい寮は今日も。
ヒノデくんの作ったしらあいの未来のように、ヒノデくん自身の未来にも幸が溢れていますように。きみに救われた一人としてずっとそれを願っています。 栢山 宙より』
すべての文に目を通す間に、いつのまにか涙は引っ込んでいた。
「ははは、いやーまさか中高生全員に頼んでるなんて思わないじゃんか」
愛おしむようにまたすべての便箋を軽く見ていく。かしこまったようなゼンの字も、ひらがなが多いランの文も、ミズキらしいアドバイスも、イブキらしい感謝も、ヨリトらしい小言も、ソラらしい願いも。なにもかもが胸を軽くした。
「あーあ! こんなことならもっと早くに見とけばよかった!」
悩んでいた時間がばからしいと前髪をかき上げる。そして携帯電話を手に取った。
しばらくコール音が鳴って、懐かしい男の声が返ってくる。
「はい永野です――」
「明(あけ)日(び)ヒノデです。よっ! 久しぶり。突然なんだけどさ、仕事いつ休み?」
「突然だなぁ……さすがヒノデ。いいよなんか用事?」
「今度さ、しらあいにジュースでも持って遊びに行こうぜ。ちゃんと職員に許可取って」
「いいけど、行ってどうすんの? 気晴らし?」
「確かめるんだよ」
「なにを?」
「平和かって、しらあい寮は今日も!」
しらあい寮は今日も 了