第1話
四月一日、車の中で目が覚める。丁寧な運転と出発する前に飲まされた酔い止めの効果でボクは寝てしまったらしい。外を見ると車道のすぐに田んぼが広がっていた。それ以外にはぽつぽつと民家があるだけ。こんな景色はテレビくらいでしか見たことがない。今までボクがいた一時保護所はマンションなんかが建ち並ぶ住宅街の中にあった。だからたぶん、眠っている間に結構遠くまで運ばれてしまったのだろう。
後部座席から窓の外を眺めていると助手席に乗っている児相の担当ケースワーカーさんに声をかけられた。彼女の言うところによるとあと三〇分ほどで目的地に到着する見込みだという。運転手の心理士のおじさんも自然の多い良いところだよと笑顔で言っている。
自然が多い……? 本当にボクはどこに連れて行かれているんだろう?
もう一度外の風景を見る。どう見てもボクが今まで生活していた東京ではない。いかにも絵に描いたような田舎である。
それから数分、ただ微動を感じながら、会話もせず外を眺めていた。
しばらくして心理士のおじさんが口を開く。
「あ、見えてきたよ。右に建物があるだろう? きみは今日からここに住むんだ」
ボクは右を見る。たしかにずらっと並んだ木々の隙間に年期のはいった白い建物が見える。
「ここに、住む……? 一時保護所の退所って家に帰れるんじゃないんですか?」
「きみのお母さんと相談して、お家じゃ健全な生活を送るのは難しいだろうって結論になったんだ。大丈夫、一時保護所よりは規則も厳しくないし時間を守ればゲームだってできるよ」
その説明でボクは、お母さんと相談した結果なら仕方がない、とおとなしく納得した。施設に入る前のボクだったら少しくらいぐずっていただろうが、それも一時保護所でだいぶ矯正された気がする。なんて言ったって一時保護所はまるで刑務所みたいに規律が厳しく怖かったから。
車が止まった。ケースワーカーさんと心理士さんの指示に従って外に出る。側には平屋の白い棟が見えなくなるくらい奥までずらっと並んでいた。
一歩一歩ゆっくり棟に近づいてみる。入り口の上に『ぐんじょう』と書かれたプレートが掲げられている。『ぐんじょう』ってあの、青色の群青だろうか。ボクはそれ以外に『ぐんじょう』を知らない。
「あぁ、そこは別の寮だよ。きみが今日から暮らすのはその隣の『しらあい寮』だ」
ぐんじょう、しらあい……その隣はなんだろうと思って見に行くと『あさぎ』と書かれていた。
「ここの寮の名前は色の名前で統一されているようでね、男子寮は青色系、女子寮は赤色系の名前がつけられているんだって」
心理士さんの言葉に、そうなんですね、とすんなり納得する。
件のボクがこれから生活するらしい『しらあい寮』に入っていく途中のケースワーカーさんがこちらに手招きをしていることに気がついた。ボクは慌てて一緒に『しらあい寮』の中に入っていく。
小さな玄関の前には靴箱とスリッパ置き場、その先の右側には職員室というプレートがつけられた部屋、左側にはなにも書かれていない部屋が三つ。
三人揃って玄関先で突っ立っていると一番手前の部屋にいた小学生くらいの男の子が来客であるボクたちに気がついたらしい。その顔はどこか興味津々といったように見える。
「あの!」
男の子がこちらに声をかける。
「新しい子ですよね! 職員呼んできます!」
男の子は「大塚さーん! 新しい子来たよー!」と大声で叫びながらドタドタと足を踏みならして廊下を走って奥に引っ込んでいく。彼が言った〝新しい子〟とは間違いなくボクのことだろう。
それから少しして今度は大人の女性がやってくる。その後ろにはこの寮の新しい子であるボクを見に来たらしいこれまた小学生くらいの男の子が三人。
児相の担当ケースワーカーさんが男の子に呼ばれてやってきた職員さんに話しかける。
「こんにちは。今日からお世話になる――」
「あぁ! はい、こちらへどうぞ」
玄関から廊下に上がるよう促され、大人二人はすんなりその敷居を跨いでみせる。ボクはというと、少々緊張しながら靴をそろえておずおずと踏みしめるように廊下に足を下ろした。
「わたし今日の当番の大塚といいます。それじゃあ寮の説明をしますね~」
簡単な自己紹介だけして大塚さんはボクたちを率いて廊下を先導する。
「この、職員室って書かれている部屋が職員が仕事をするお部屋です。そして左側にある三つの部屋が玄関側から一室、二室、三室、って順番になってます。一室から三室までは基本小学生までの部屋です。一室二室は三人部屋、三室は五人まで入れます。それ以降の四室から七室までは二人部屋で中学生以上の子が割り当てられています」
「ぼくは何室に入るんですか?」
「たしか七室だったかな。ヒノデっていう高校生と同じ部屋です」
高校生と二人部屋か……。なんだか緊張する。
そのままの流れで七室に連れて行ってもらい部屋の中を見せてもらった。寮の二人部屋というくらいだからあまり広くはないとは思っていたが想像していたよりも狭い。左右に置かれたロフトベッドの左側がボクのスペースらしい。そっちには一切物が置かれておらず、かわりに右側にはヒノデくんというお兄さんの所有物らしくものがたくさん置かれている。
「そして七室の奥が食堂になっています。決まった時間に決まった献立をみんなで食べるのは一時保護所でも一緒だったでしょう? うちも似たようなものだからなにも心配しなくて大丈夫」
大塚さんはそう言って食堂の引き戸を開ける。先導するその背中を追っておそるおそる中に踏み入ると数人の男の子がテレビを見ている最中だった――ようだが、ボクが入室したことによりテレビに注がれていた視線が一斉にこちらに移される。小さく「あれが新しい子?」という声も聞こえる。
そうかなるほど、今は春休み中だから大抵の子は寮にいるのか。なんてのんきに考えながら視線で射貫かれ続ける。
見られるの、気になるなぁ……。
ぼんやりと、そんなことを考えていると、ボクを助けるみたいに鶴の一声が響く。それは声変わりした男性の声だった。
「こらこらお前らぁーあまりに見つめすぎ! そんなじろじろ見ることねぇだろ」
声の主は黒髪で眼鏡をかけたお兄さんだった。発言だけ切り取れば少々厳しさを感じるが、その表情は苦笑している感じで、あくまでやんわりまわりに注意しているようだった。
「大塚さん、この子、俺の同室っしょ?」
「そうそう! 児相の方とお話があるんだけど部屋割りとかは教えたからあと任せて良い?」
「おう! まかせて」
大塚さんは児相職員二人を連れてさっき来た道を戻っていく。たぶん職員室に行ったんだろう。残されたボクには鶴の一声のお兄さんが側についてくれた。
「あの、同室ってことはお兄さんがヒノデさん?」
「お! もう俺の名前覚えてくれたのか。そう、俺がヒノデ。よろしく。そっちの名前は?」
「栢山宙って言います」
「ソラね。覚えた」
そう言うとヒノデくんは食器棚から白と水色の茶碗とグレーのマグカップを取り出してボクに差し出す。
「それがソラ用の茶碗とコップ。油性ペンで底に名前が書いてあるから、分からなくなったら裏見ればいいよ」
言われたとおり茶碗とコップをひっくり返してみると黒い油性ペンでしっかり『ソラ』と名前が書かれていた。
「あとは箸。どれがいい?」
未開封の箸を五種類提示されたけど特別好きな色とかもなくてボクは悩んだ。するとヒノデくんは「真っ白の箸使ってるのは誰もいないから間違えられづらいかも」と助言をくれる。ボクは彼の助言に従って白い箸を選んだ。
「あとは風呂の説明をしなきゃな。そんじゃとりあえずこっち付いてきてー」
ボクはヒノデくんに続いてお風呂場へ向かう。
「ここが脱衣所でこっちがシャワーであっちが湯船。使い方は大体わかりそう?」
大体一時保護所と同じだったからボクはこくっと控えめにうなずく。
「おっけー。あと風呂に入る順番だけど基本は小学生が優先。なんでかって言うとあいつらは就寝時間が九時でそれまでに入らなきゃいけないから。だからご飯の前くらいの時間帯は大体小学生が風呂に入る時間だと思っておいて。そんでそれ以降が中高生の風呂の時間なわけだけど、早くに入りたいなら最後に入っている小学生に「次風呂貸して」って声をかけておけば問題ない。もしそのとき先に予約が入っているようならその予約を入れたやつにまた「次風呂貸して」って言っておけば良い。そうすればそいつが風呂から上がったときに「お風呂どうぞ」って声かけてくれるから、そうしたら入る。ソラのところにも風呂の予約とりに声をかけてくるやつがいると思うから、他のみんなと同じように先約がいるのかいないのか、それと風呂から出たときの声かけはするように」
「わかりました。一時保護所では職員が適当に選んで一気に五人くらい風呂場に突っ込んでましたけどここはそうじゃないんですね」
「一緒に入っても全然大丈夫だけどさすがに中学生にもなってだれかと一緒に風呂入らないとイヤってこともないだろう?」
「たしかに」
「まぁ、面倒かもだけど順繰り巡って風呂の予約とるのはそのうち慣れるから大丈夫だ。あっ、洗濯物はこのカゴに入れておけば職員が洗ってくれて、こっちの洗濯物置き場に畳んで置いておいてくれるから、それを自分でタンスにしまうってことになってる。今までの説明でわかんないことあったり覚えきれないことがあったらいつでも聞いてくれ」
「はい。わかりました」
「そうだ。同じ寮の人間にはタメ口で大丈夫だぞ?」
「年上でも?」
「ああ。年上には名前に『くん』をつけておけばタメ口でおっけー」
なんていうか、思っていたよりもゆるい場所なんだということはわかった。一時保護所ではもっとしっかり、そして厳しく規律が整えられていたけどここはそうではないらしい。
「えっと、ほかになにかルールはあるの?」
ぼくはぎこちないタメ口で追加の質問を投げかける。ヒノデくんはそんなボクを微笑ましそうに眺めながら返答した。
「あー、あとは自分の部屋以外には入っちゃだめとか物の貸し借りは持ち主の目の届く範囲でやるとかかな。物がなくなったりすると絶対トラブルになるからそういう危険性があることは基本駄目だ。当たり前だがその他にもトラブルの原因になりそうなことは禁止になってる。まぁ大体そんなもんかな」
「トラブルってよくある?」
「小学生とか幼児とかそのくらいのちっさいやつらの喧嘩はよくあるけど大きなごたごたは滅多にない。だからそんなに身構えなくても大丈夫」
そう言って笑う彼の姿はボクをすっかり安心させた。少しの会話でわかるくらいヒノデくんは優しいひとで、こんなひとと同室になれてよかったと胸をなで下ろす。
「あ、そうだ。一時保護所から来たばかりなら服とか歯ブラシとか日用品一切無いだろ? ひとまず洋服を二セットくらい出しておこう」
そういえば一時保護所へは着の身着のままで連れて行かれて、そのあとも一時帰宅すら許されずここに来たから今身につけている服以外なにも持っていない。一時保護所で着ていた服はすべて貸し出しだったから退所時に返してしまったし、今着ている服も一月に家から着てきたもので完全に冬服ですって感じの厚手の長袖長ズボンだし、正直桜も散ってすっかり春って感じの現在の気候にまったく適していない。
ヒノデくんは職員室へ行ったかと思うと鍵を手にしてすぐにボクの元へ戻ってくる。そして七室と食堂の間にある扉の鍵を開けた。
「下着以外ここにはお下がりしかないけどとりあえず買い物に行くまでの繋ぎになるようにいくつか服を出そう。都合良く春休み中だし、被服費さえ出てれば明日か明後日にでも服屋に連れて行ってくれると思う」
そう言いながらポンポンと調子よくボクの手に洋服をのせていく。
「歯ブラシは名前を書いてそこの水道の上にある歯ブラシ置き場に置いておけばいいよ。――うん。大体これで必要なものは揃っただろう」
彼は服を抱えるボクを満足げに見たあと「それタンスにしまおうな」と七室の扉を開けてボクを待つ。
「部屋に入って左側がソラのスペースだから自由に使うと良い。あ、でも日頃からきれいにしておかないと監査がきたときに急いで片付けなきゃならなくて苦労するから、整理整頓はしっかり意識した方がいいぞ」
はい、と素直に返事をしてから抱えていた服を畳んでタンスの中にしまっていく。ヒノデくんも畳むのを手伝ってくれたからすぐに片付いた。
丁度服をしまい終えたとき、七室の扉が開かれ誰かが声をかけてきた。
「やぁ。新入りが来たって聞いたから見に来ちゃった」
そこに立っていた声の主は胸くらいある長い髪を垂らした優しげな風貌のお兄さん。
「あぁヨリトおかえり」
ヨリトと呼ばれたお兄さんはボクに手を振るとこんにちはと挨拶をした。
「こんにちは、ソラです」
「ヨリトです。よろしくね。今年中一だっけ? 俺はヒノデと一緒で今年高二。あと高校生は今年高一のイブキってやつとミズキってやつがいる。あ、中学生もちゃんといるから年上ばっかりって不安にならなくて大丈夫だよ」
「はい。えっとヨリトくんと、イブキくんと、ミズキくんと……?」
「ああ、今覚えなくていいよ。そのうちなんとく覚えていくと思うからね。うん、中一ならゼンと同い年だ。いやー初々しくてかわいいね! わからないことあったら俺にも頼ってね。これでもしらあいに一番長くいる大先輩だからさ」
自己紹介を済ますとヨリトくんは満足げな顔で「じゃあね」と残して去って行く。なんだか風のようなひとだった。
「さっき会話に出てきたゼンってのが四室にいるソラと同じ今年中一。中学生はもうひとりランってのがいる。中学校への通学路なんかはゼンかランが教えてくれると思う。どっちも癖が強いが良い子ではある」
「癖が強い……?」
「ははは。そこ気になっちゃうか。大丈夫、なんかソラとは仲良くやれる気がするから。――っとそろそろ夕飯の時間だから食堂に戻るか」
***
食堂には二つテーブルが置いてあり入り口から向かって右側が小学生、左側が中高生が使用するものになっているらしい。みんなそれぞれ座席が決められているという。ボクの席は中高生用のテーブルの一番奥のいわゆるお誕生日席だった。
「ではいただきますをする前に新しくここに住むソラくんに自己紹介をしてもらおうと思います」
職員の大塚さんが声を張ると皆の視線が一斉にこちらへ向く。自己紹介ってなんて言えばいいんだろと考えていると、ヨリトくんが「名前と年齢と好きなこと言えばいいよ」と助言をくれる。
「えっと、ソラです。今年中一で、ゲームが好きです。よろしくおねがいします」
席に座ったままお辞儀をするとところどころからよろしくーと声が聞こえてくる。ひとまず当たり障りなく自己紹介を終えられたようだ。
「ソラ、おまえから見て左側にいるのがゼンで、ゼンの奥に座ってるのがラン。そんで右側がヨリト、俺、イブキって並びになってる。そんで今はいないけどソラの向かい側のお誕生日席にミズキってやつが座る」
ボクは今紹介されたゼンくん、ランくん、イブキくんの三人に改めて挨拶する。
「あ、ソラです。よろしく」
「あぁ、よろしく。――おいランくんも挨拶しろよ」
「うん? あーよろしく」
「それで俺がイブキです。あっちの小学生の方に弟が三人いる。よろしくね」
ゼンくんはクールな印象で、ランくんはのんびりしてそうな印象を受ける。ヒノデくんはどっちも癖が強いって言っていたけど、ボクの第一印象的に、癖が強そうなのはランくんの方だけに思えた。イブキくんのことはまだイメージを掴み切れていないけれどきっと三人も弟がいるなら面倒見がいいのだろう。
「悪いな。ランくんはよくぼーっとしていて話を聞いていないことが多いけど性格は悪くないから仲良くしてやって」
「なんでゼンが俺の保護者みたいになってんの。俺の方が年上だし俺の方がしらあい歴長いんですけど」
「嫌ならしっかりしてくださーい」
どうやらゼンくんとランくんは仲が良いらしい。会話の端々からそんな雰囲気が漂っている。
「見ての通りゼンに限らず小学生でも年上にタメ口を利くから、ほんとうに気にせず喋っていいからな」
「ヒノデ、ソラのこと気にかけすぎじゃない?」
「気にもなるだろー? まだまだ初日だぞ?」
「それもそうか。俺にもヒノデにもランにもゼンにもイブキにも、もちろん年下連中にも気軽に接して大丈夫だからね。ゼンもここに来て一年くらいだけど見ての通りあれくらい慣れてきてるから、ソラもきっとすぐ慣れるよ」
ゼンくんに「そうなの?」と聞けば、「正確に言えば俺が来たのは六月だったからまだ一年経ってないけどね」と澄まし顔で答えてくれた。
「あの、今居ないっていうミズキくんは? みんなとご飯食べないの?」
ボクの問いかけにヒノデくんは「あー……」っとちょっと気まずそう。そんな彼に変わってイブキくんがすごく呆れたような顔で答える。
「アイツは問題行動を起こしすぎて春休みの間は児相に強制送還されてるんだ」
「きょ、強制送還……。悪いことしたらそうなるんですか……?」
「大丈夫! 普通に生活したらならないから! マジでソラは大丈夫だから! 大丈夫!」
大丈夫を連呼するヒノデくんは「新入りをびびらすなよ~」イブキくんを軽く小突いた。
***
時刻は夜の九時。小学生達はみんな自室の布団に横になっていた。
ボクとヒノデくんも七室に戻ってお互い自分のロフトベッドに上ってのんびりしていた。
「小学生の消灯時間は九時、中学生の消灯時間は十時だ。一時保護所の生活に慣れているならそのくらいに寝るのはだいぶ馴染んでるか?」
「うん。一時保護所では全員九時就寝だったから」
「もう眠いか?」
「ううん。まだちょっと周りが新鮮で、緊張もしてるし眠くない」
「そっか。じゃあ十時になるまでちょっと駄弁ろうか」
そう言ってヒノデくんは開いていた漫画を閉じてボクに向き直る。
「ここは一時保護所より楽そうだろ? 規律もそんなに厳しくないし、きつい運動も課せられない。他の寮はもうちょい厳しかったりするらしいけど、しらあいはわりと良い子ちゃんの集まりだから緩いんだ」
「そうなんだ。なんか雰囲気というか、一時保護所よりみんな仲が良さそうでびっくりした」
「あそこはお互いに深入りしたり詮索しあわないように結構線引きをしっかりしている場所だもんな。でもここもそう変わらないぞ? 〝家族のような友達のような他人〟と一緒に暮らすのが児童養護施設だ」
家族のような友達のような他人……。
「寮のみんなのことを家族って認識していてもいいし、友達って認識でもいいと思うけど結局は他人だ。好ましいやつもいるだろうし気にくわないやつも絶対いる。でも俺らの今の居場所は間違いなくここだから、退所が決まるまで居続けられるよう礼節を心得ていかなきゃならない」
「ねぇヒノデくん」
「なんだ?」
「ここには、どんな理由で入る子がいるの?」
そう問われたヒノデくんの顔はすこし困っていて、ボクの質問に答えあぐねていることがすぐにわかった。
「どんな子がいると思う?」
「えっと、親と仲が悪くて上手くいっていない子がいるのかなって」
「そうだな。一般的な保護児童の印象はそんなもんだろう。俺はそのタイプ。親と上手くいっていないからここにいる。親のことが憎くて恨んでいる。だから面会もしないし帰省にも行かない。けどみんながみんなそうじゃない。親と仲が良いやつもいる」
「なんで仲がいいのに施設に入るの? 親が育児放棄したからくるんじゃないの?」
「育てたいけど育てられない親もいるんだ。病気になってしまったり、金がなかったり、いろんな致し方ない事情があって施設に預けるひともいっぱいいる」
ヒノデくんはずっと優しい語り口だった。ボクはあまり聞くべきじゃないことを聞いている自覚をもってそれを問うていたから怒られるくらいは覚悟していたけれど、彼はそうはしなかった。
「どうしてその質問を聞こうと思ったんだ?」
どこまでもどこまでも優しい声に、ボクの口は自ずと開く。
「ボク、なんで施設に入ったかわからないんだ。一時保護所に入るときも突然家に児相のひとが来て、有無を言う前に酔い止めを飲まされて車で連れて行かれたし、お母さんもそれを止めなかった。それで一時保護されたわけだけど、きっと一時保護が終わったら家に帰れるんだと思ってたのに結果は違かった。児相のひとはボクをここに連れてくるときにお母さんと相談して決めたって言ってた」
「それで見捨てられた気分になっちゃったか?」
「たぶん、そう。ボク小学校全然行ってなくてずっと家にいたから邪魔になっちゃったのかもって思った」
「その推測が正しいかそうじゃないかは残念ながら俺には判断がつけられん。だけどソラみたいになんで施設にいるのかわからないやつは多い。虐待を受けていてもそれが虐待だと認識できていないほど小さい子とか、乳児院から施設にいるやつとか。だからあんまり気にしない方がいい」
「……うん」
「そんな不安そうな顔すんなって。大丈夫大丈夫! おっとそろそろ十時になるな。電気消すぞー」
彼の『大丈夫』には不思議な力がある。今日何度かその言葉を向けられたがなぜだか本当に大丈夫なように思えてくる。それは一種の才能だとさえ思う。
「ヒノデくん。今日はありがとうございました。おやすみなさい」
「おうよ! おやすみ」
明日も明後日もその次も、こうしておやすみを言う日は続く。それに慣れた頃にはボクも、なにか変われているだろうか――?