prologue

どんな物事にも必ず0が存在する

1になる前の、未熟だが確固たる0が

これはそんな始まりの0周目


 中学生活最後の夏休みまで、残り四十分。教室の最前列に置かれた扇風機の風も届かない最後尾の窓際でわたしはグラウンドの外周を走る後輩たちをぼーっと眺めていた。

 ふいに隣からわたしの名前を耳打ちするかわいい声が聞こえてくる。くるっと首を回して振り向くと長い黒髪を高い位置で結った美少女がこちらに微笑みを向けていた。

 彼女は世命よめいイツカちゃん。今年度のはじめに転校してきたとってもかわいい女の子。

 イツカちゃんは「ノート、あとで写させてあげるね」と囁く。わたしはこくりと頷いてから彼女の手元に開かれたノートをちらりと見た。そこにはパソコンで書いたみたいな丁寧な字の羅列。蛍光ペンを使ったり図をまじえたりしてすごく綺麗にまとめられていることが一目でわかった。

 イツカちゃんに軽く手を振って応え、彼女が改めてノートと向き合ったのを確認したわたしは前を向く。そうすれば青澄あおすみ生然せいぜんくんの背中が見えた。ワイシャツをまとった、しっかり男の子の背中。小四のころにはじめて出会ったときはわたしとそう変わらない体格だったのにな、なんて、随分広くなったその背に思う。

 全開にされた窓から一陣の風が吹き込んで真っ白なカーテンをひらりと舞わす。夏の空気に押された布が、ひらひら、ひらひら。

「瀬戸瀬、カーテン見てる暇があるなら板書を取りなさい」

 ばれてしまった。わたしは「はい」と小さく返してばつが悪そうな顔をしながらシャーペンを持ち直しノートに向かうフリをする。

 また黒板に向かった先生の様子をうかがいながらチラリと時計を見た。

 夏休みまで残り三十分。わたしが授業をうけるふりをするのもあとすこし。

 空は今日も青く高い。梅雨の空気なんてとうに忘れたみたいに振る舞う季節を、今年もわたしはただ「暑いなぁ」と思いながらやりすごすのだろう。



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