オーディション(百瀬詩子)

「またかぁ……」

 うわぁと嘆き頭を抱える。自分の髪の柔らかさすらもなんだか気分の良いものではなかった。

 目の前には二週間前に受けた芸能事務所からの不合格通知。これで何社目だったか。私のちんけな記憶力でも一つ一つ社名まで正確に思い返すことができてしまって、頭痛が増す。

「今回はいけると思ったのに……」

 目に見えて落胆する私にお母さんは優しいとも厳しいとも言える声色で話しかけてくる。

「詩子、そろそろ止めといたほうがいいんじゃない? 受験だってあるし、いつまでもアイドルになるためのお稽古させられるほど詩子もうちも余裕ないでしょう」

 わかってる、わかってる。わかってる。お家のことも自分の限界もタイムリミットが近いことも。

「次でダメだったらほんとに諦めるから!」

 ちょっと前も同じこと言ってなかった? とお母さんは呆れている。覚えてないけどたぶん言ったんだと思う。仕方ないじゃない、どうしてもやりたいんだから。

 でもお母さんが言うように来年度は高校受験もあるし、家が特別お金持ちなわけじゃないことだってわかっている。

「……全部わかってるよ」

 誰にも聞こえないように小さく呟いた。自覚がある分、声に出して発したことにより一層心が重くなる。

 別にとても小さな頃からアイドルを目指していたわけじゃない。それでも八歳くらいにはもうアイドルになるための習い事をサボらず続けるくらい真剣にアイドルになりたがっていた。アイドルになるためには事務所に所属しなければいけないことを知ってからは普通のボイトレやバレエだけではなくちゃんと養成所にも通わせてもらった。

 その結果がこれだ。

「これは本当に才能がないってことなのかなぁ」

 目の端にじわりと涙が滲んだけれど、なぜだか泣いちゃいけない気がして、零れる前に袖で拭った。

「ねぇおかあさん。詩子、次でダメだったら本当に諦めるね」

 消え入りそうな声でそう残して足早に自室へ戻る。なんとなくお母さんには今の姿を見せたくなかったから。

 さてこれからどうするべきか。どうするもなにも、次の事務所を決めてオーディションに申し込んで当日までレッスンするしかないんだけど。

 早々に立ち直れるほど私の頭は都合良くは出来てはいないようで、まだやる気が湧いてこない。かれこれ三十分はベッドにうつ伏せになっている。

 でもウジウジしている暇があるなら動かなければいけない。そうじゃなきゃ次の挑戦をする前に時間切れになってしまう。タイムアップが最後なんて、そんなの胸を張って夢を諦めきれないじゃない。

 私は意を決して体を持ち上げるとパソコンで芸能事務所のサイトを片っ端から見てまわる。

 ここは落ちた。ここも落ちた。

「……あぁここはさっきの不合格通知のところだぁ」

 こうして改めて芸能事務所の名前を見てまわると大手から中堅にかけてははほぼ全滅している事実を実感せざるを得ない。

 ここも落ちた、ここも落ちた、ここはなんか……ちょっと胡散臭いなぁなどと繰り返しているなか、まだ見たことのないサイトを見つけ私はすぐさまそのリンクをクリックした。

  新規タブに可愛らしい濃いピンク色の花の写真が使われたトップページが開かれる。

「だりあぷろだくしょん――?」

 企業概要やサイトの更新日を見るに開設したての事務所のようだ。そして丁度良く第一期生として新入所者を募集しているらしい。

 私は何の変哲もない白を基調としたそのサイトに釘付けになっていた。  このサイトになにかを感じたのは確かだ。今はその〝なにか〟に運命という名前を授けよう。私は今、この事務所に運命を感じている。

「よし、詩子のラストをこの事務所に賭けよう」

 善は急げと言わんばかりに私はメールフォームに必要事項を記入し始める。緊張で何度も打ち間違えをしてたった数個の記入欄を埋めるのもやっとで、時計を確認した時には結構な時間が経過していた。

「間違いの確認もした。電話番号やメールアドレスもあってる。よし、送信!」  意を決して送信ボタンを押した。画面には送信確認メールを送ったという旨の一文が書かれており、記入したアドレスにもちゃんとそのメールが到着していた。メールの中身は登録された電話番号に電話をかけますという内容だった。それから電話が掛かってくるまでの数時間を胃のざわつきを耐えるために部屋中を歩き回ったり好きなアイドルのことを考えながら耐えた。

   ♪

 かくしてオーディション当日を迎えた私は大きめの一軒家のような風貌の建物の前に立ち尽くしていた。

 事務所の前に着いたらインターホンを押して応対したひとに名前を伝えるようにと言われているけれど、やっぱりちょっと緊張していて伸ばした指を引っ込めたり、また伸ばしたり、チャイムを鳴らすのを躊躇う。そんなことをもう何度も繰り返していた。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。オーディションは初めてじゃないし、むしろ何度もやっているから、緊張はするけど慣れているくらいだし。ほんと、今度こそ大丈夫」

 鼓舞するように独り言を呟いて、改めて目の前のボタンに指を添え、今度は軽い力で押し沈める。

 ピンポーンという呼び出し音が心拍数を跳ね上がらす。ちょっとだけこのまま逃げたくすらなった。

「はい」

 インターホンのスピーカーから聞こえたのは電話で話したのとは違う声。

「面接に来ました、百瀬詩子です!」

「百瀬詩子さん、お待ちしておりました。そのまま門を通過して玄関へお越し下さい」  指示に従って私の背よりうんと高い門を押した。見た目のわりに重くない門を開け玄関の方に目を向けると黒いスーツを着た私のお父さんくらいの年齢の男性が玄関のドアを開けてこちらを眺めていた。私は急いで門を閉めると小さく駆けながら男性の元へ向かう。

「こんにちは、百瀬詩子さんですね?」

「はい! よろしくおねがいします!」

 よし、挨拶は元気に出来た。これはとても幸先が良い。

 男性はドアを大きく開けて私を中へ通してくれる。建物の中は昔ちょっとだけ嗅いだことのがある不思議な木の香りがした。これは新品のお家の匂いだ。この事務所の建物はとても新しい物らしくまだお引っ越しも済んでいないようで玄関やそこから見える廊下にもちらほら段ボールが積んであるだけでまだ家具は置かれていなかった。

 私はそのまま真っ直ぐ応接室というプレートが掲げられた部屋に案内される。室内には硝子張りのローテーブルを挟むように二つの黒い二人掛けソファが几帳面に並べられている。ここにも部屋の隅に段ボールが積んであってもう少し手が加えられることが見てとれた。

「そちら側にお掛け下さい」

 促されるまま私は片方のソファに腰をおろす。革製の座面はまだ人が心地よく腰掛けられるほど馴染んでいないらしく少々固い。

 男性は向かいに腰掛けると白い紙が挟まれたバインダーを手にして私に視線を向け直す。

「それでは早速面接を始めさせていただきます。本日担当させていただきます、ダリアプロダクション代表取締役社長の天城暁です。よろしくお願い致します」

「よろしくお願いします」

 社長という言葉に肩が強張るのを感じたが偉い人と一対一の面接はこれが初めてなわけではない。むしろ大勢の審査員に囲まれるより余程気が楽だ。

「それではまず二分程度の自己PRをお願いします」

 自己PRだって慣れている。オーディション対策講座や本番で散々やったから。

 膝の上に乗せられた手のひらがじんわりと汗ばむのを感じながら、私は口を開いた。

   ♪

 着々と面接は進行していく。社長が笑わせてくれる場面もあり緊張はかなりほぐれてきているはずだし、しっかりした受け答えもできていたと思う。

「そろそろ最後の質問にしましょうか」

 社長の一言にどんな質問をふられるのかと身構える。

「芸能活動の分野って沢山あって、女優やモデル、タレント、歌手、お笑い芸人、それにアイドル。ざっとあげただけでもこれだけある。百瀬さんはなぜ多くある芸能分野の中でアイドルを志しているのですか?」

 アイドルを夢見た理由――。そんなの私にとっては一つしかない。

「大好きな……、大好きなアイドルがいて。六年くらい前にその子の握手会に行ったんです。その頃の私はとても男の子っぽくて、それで、その好きなアイドルにも男の子だと思われてしまって、当時の私はそれがすごくショックだったみたいで泣きそうになってしまって、あの子は狼狽えましたし私は泣くのを我慢するのに必死でした。結局頑張って集めた握手券の半分くらいの時間をそんな空気で過ごしてしまったんですけど、最後の最後に『あなたみたいに可愛くなるにはどうしたらいいか』って聞けたんです。彼女は「それならアイドルになりな。アイドルになればイヤでも可愛くなるから。ステージの上から客席を見ると魔法がかかるんだよ」って教えてくれました」

「百瀬さんは可愛くなりたいからアイドルになりたいの?」

 私は首を横に振る。

「私はあの子が信じている魔法を信じています。だからあの子をアイドルにしている世界をこの目で見たい。それが同じように見えるか違うように見えるのかは分からないけれど、大好きなあの子が教えてくれた魔法に私もかかりたいんです!」

 語りながらあの日の握手会のことを思い出していた。涙を流すまいと堪える私、机上の箱ティッシュを差し出して必死に謝るあの子。声を震わせて質問を投げる私、少しずつ私にも分かる言葉を考えながら答えてくれるあの子。『ステージから客席を見ると魔法がかかる』、大好きな あの子 アイドル の言葉が頭の中で響く。

「百瀬さんはステージに立ちたいですか?」

「立ちたいです」

「わかりました。それではこれから一緒に頑張ってみましょうか」

 頑張ってみましょうか……?

 今までの経験でいくと「面接はこれで終了です」とか言われる場面のはずだと思うんだけど。聞いた事のない返答に私は微笑んだまま固まってしまう。

 理解が追いついていないことに気がついてくれたのだろう。社長は言い回しを変えて「百瀬詩子さん、合格です。後日合格通知を郵送致します」と私がずっと欲しかった言葉を口にした。

 ぽかんと素頓狂な表情を浮かべる私へ向けて社長は「おめでとう」と拍手をおくる。 「あ、ありがとうございます!」

 やっとのこと状況を理解した私は口元をにやにやさせたまま深々と頭を下げる。真新しい床に反射する私の顔は幸せに満ちていた。

 社長、合格って言った? 合格ってことはこの事務所でアイドルできるってことだよね。そっか、私アイドルになれるんだ!

 混乱していたのも落ち着き、冷静になってくると現状がすとんと胸に落ちてくる。色んなことが頭の中を駆け巡ったけれど、やっぱり私にとっては『アイドルになれる』という事実さえあれば問題ないみたい。

 姿勢を正して社長を見れば彼は変わらずの笑顔で私を見ていた。

「合格通知には入所に関することやお給料のことなど今後のことも記載するので保護者の方と目を通してください。保護者のサインが必要な書類がほとんどだから必ず渡してね」

「はい! わかりました!」

 うちに合格通知が来るんだ。いつも不合格通知だったから初めてのことだ。

「それでは面接を終了します。本日はありがとうございました」

「ありがとうございました!」

   ♪

   自宅についた私は妙に落ち着いていて、それを落ち込んでいると誤解したお母さんをとても心配させてしまった。珍しくお休みで家に居たお父さんからは「また落ちたのか」と茶化されたけど、どうやって今の気持ちを伝えたらいいか分からなくて、

「ううん、受かった。三日後までに合格通知が郵便でくる」

 それだけ言って自室に足を向けた。お父さんとお母さんがなにか言っていたけど、よく聞こえなかったからいいや。

 部屋のドアを閉めそのままベッドへ進み、きっとお母さんが干してくれたのであろうふわふわなお布団に顔を埋める。近くにあった名も知らないキャラクターのぬいぐるみを抱きしめたあたりでふいに涙が溢れてきた。

 あぁ、私アイドルになれるんだ。あの子が見た世界を私も見れるんだ。

 不安よりも安堵が勝っているあたり私は思いのほか心が強いと思う。そのくらい暢気な方がアイドルに向いていたらいいのだけど、どうなんだろう。

「はぁ~……なんかどっと疲れた……」

 心も涙も落ち着いて口元ににやけを浮かべることさえできているがやっぱり体はとても疲れているみたいでとても重い。張り詰めていたものが解けたのかな。

「合格通知、早くこないかなぁ」

 うとうとしていた私はその言葉を最後にぐっすりと寝入って、それから朝になるまで起きることはなかった。



 ふわふわと心地よい夢の中、私は沢山の未来を思い描いた。そのうちのどれが現実になりどれが夢で終わるのか、今の私には見当もつかないけれど、きっとこれから起きることの全ては夢なんかじゃなくて、他ならぬ私のための物語なんだ。

一覧に戻る