Epilogue:結木能代
自己確立とは第三者から見た様相に依存するものであろう。
結木能代の確立もその例に漏れない。結木能代を確立するにあたって不特定多数の第三者が抱いた俺への認識というものは非常に重要である。死体が発見されなければ絞殺事件は途絶えたのと同義。それは第三者の認識の中から
連続絞殺魔
が薄らいでいくことを意味している。
前述のことを踏まえながら途草に、死体の完全な隠滅は俺の求めるべき結果を招かないと伝えれば奴は思いのほかすぐに納得した。
代わりに途草の提案で俺が都内で殺した死体は関東各地へ遺棄されることになった。間違いなく都内連続絞殺魔が殺した死体が別の県で見つかる。それは世間を震え上がらせた。俺は短い期間で都内連続絞殺魔を改め〝関東連続絞殺魔〟と呼ばれるようになっていた。
だが呼び名が変わったところで俺は何一つ変わりはしなかった。深夜帯に女を誘いロープで絞め殺す。ただそれだけ。それが結木能代であるのだから変わる必要などなかった。
車内から外に目をやれば大きなクリスマスツリーの元で辺りを見渡す制服姿の人影が散見できる。私服姿の人間の中にもおそらく同業者が紛れていることだろう。
「クリスマス前に暢気に過ごすカップルとは打って変わって警察は大慌て。関東全域の警察官が総動員して巡回にあたっている。煌めくイルミネーションの下でせっせと働く紺色の人影はなかなかにご苦労な様子で」
「総動員しているにも関わらずあんなザル警備なら世話無いな。単純な虱潰しで取っ捕まえられると思われているのなら心外だ」
無能共に届きやしない小言を吐いて後部座席の足下に視線を落とす。そこにはビニールで何重にも巻かれた俺に比べれば随分と小柄な物体が転がされている。
「クリスマス目前に立て続けに事件を起こすなんてよくやりますねぇ。クリスマス一週間前に一件、四日前に一件、そしてクリスマスイブの今日に一件。いえ、文句を言いたいわけではありませんよ。お陰でぼくたちの関係を継続できているのですから喜ぶべきことです」
「他人の認識があって初めて自己は確立される。俺に至っては連続絞殺魔がいると世間に認知されなければならないのだから、放置する遺体を用意しそれを遺棄するのは理に適っていると思うが?」
「言いたいことは分かりますよ? 世間一般の認識が結木能代=連続絞殺魔にならずとも一握りの人間の中では確かにあなたは連続絞殺魔だと認められている。その認識を継続させるには殺しも遺棄も継続する必要がある。解体が叶わないのは残念ではありますが、こちらが提示した死体のチェックや遺棄の手配には同意をいただけていますし、今の所ぼく達の関係は良好です」
関係は良好、ね。
よく言えたなと軽蔑の視線を向ければ、にこぉっというような粘り気のある嫌な笑みを返される。
久安明に赴いたあの日。須田達を茂原で降ろしたあと俺が連れられたのは東京の自宅ではなく神奈川にあるあまり綺麗とは言えない重苦しい雰囲気の立ち込めるビルだった。
踵を返すことも許されず嫌々踏み入った中には〝いかにも〟といった容貌の男性が数名。中には途草了の姿もあった。
すぐさま口に出した拒否が聞き入れられることはなく「今後はここが職場になります。自称投資家ご卒業おめでとうございます、これからは自営業を名乗れますよ!」とまるで嬉しくも無いことをハキハキと伝えられながら免許証のコピーを取られるなどした。
そのコピーは何に使うと問えば「仲良くしていただいている限りは悪用しませんよ」と慰みにもならないことを言われた。側に控える途草了の顔は同情をはらんでいたが手助けしない奴に同情する資格はないとあの時ほど感じたことはない。
「まだ怒ってらっしゃるんですか? そんな顔をしています」
「怒るどうこうの話じゃないがお前に伝わるように言うならば怒っているという言葉を用いるべきなのだろうな」
ややこしい物言いですね~と暢気に呟きながら途草も後部座席の死体に視線を落とす。そして気を取り直したように脱線した話題を持ち直した。
「話を戻しましょう。能代さんが殺し、ぼくが処理する。その関係を構築出来ている今の状態はぼくにとって喜ばしいことです。ですが捜査攪乱の意図もなく一週間の間に三人は多いと思います。それともぼくの頭じゃ足りないような考えがあるのでしょうか?」
嫌味な言い方だったが途草の言うことは尤もだと思った。だが俺には途草の勘ぐるような込み入った思惑などない。
「意図なんてものはない。一週間の間に丁度良く三人引っ掛かったってだけだ」
「知ってますか能代さん。魚はね、針に餌をつけて下げるひとがいるから釣られるのです」
「それ程までに理由が必要か? ただそうしたかったという以外に説明は不要だろう。それに、正月は休みたいからな」
「正月に休むならクリスマスに働かなきゃって? 就業に関してそんな思想を持っていたなんて意外です」
日に日に途草が調子に乗ってきているのをこういうときほど実感する。
海外ドラマの皮肉屋みたいな顔で、これまた表情に合った皮肉交じりな言い草をする奴に苛立ちを感じながら、俺はなんとでも言えと投げやりに吐き捨てた。
「そんなわけで、正月は絶対に事務所に顔を出さないからな」
「ご安心ください。高良さんだって正月くらいは休ませてくれますよ。その理由が十数年ぶりに再会した親元への帰省だっていうのなら尚更ね」
驚いて、知っていたのかと呟けば、途草は「えっ、知りませんでした。当てずっぽうで適当に言ってみただけだったので」と、まさか当たるとはといった顔で口を開けていた。
「帰省するために正月は休むから殺し溜めをしておくなんて本当に変わっていますね」
途草は声を上げて笑った。笑いながらフロントミラーを動かして後方の警察官を監視する。
「帰省に行く程度には九院さんとの間にあったわだかまりは解消されたのですね」
「そうでもない。これはお前と俺の関係に似ている。俺と九院は提携してるってだけだ」
「そうなんですか? てっきりぼくは柄にも無く親子の親睦を深めたのかと……。ぼく達は互いの利害の為に提携していますが、お二人は何のためにそんなことを?」
あぁそうか、こいつに分かるわけがないな。あの二人の何も知らない奴に分かってたまるものか。
俺は内心誰にもこの事を教えたくはなかった。だが聞かれたのだから答えるのが提携者としての務めであろう。
だから極めて小さな声で囁いた。
「――の――の持続」
「え? もう一度伺ってもよろしいですか?」
「いやだ」
俺はそっぽを向いて窓の外を見た。どこもかしこも木だろうが建物だろうがお構いなしに電飾で装飾された町並みは黄色く光っていた。赤いライトも青いライトも白いライトも、その黄色には負けていた。
ショッピングモールの外の噴水近くにそびえ立つ無駄に大きなクリスマスツリーにぶら下がる雪だるまの飾りを見て、ふと天井の梁から伸びるロープを思い出した。
ただ、思い起こされたのはロープのみで、そこに結木真希奈の姿はなかった。
きっと九院能代も結木真希奈もハングマンズノットに吊られた死体のように、誰かに降ろされるか腐敗して崩れるまでその場に無力にぶら下がり続ける存在なのだろう。
彼らの時は止まっている、互いの幸せを妄信したまま。彼らはそれを誰かに打開してもらおうなどとは考えていないし、それは俺ですら救えないほど極限に達していた。彼らにとっての幸せはただ変わらずそこに吊られていることなのだ。永遠に、ずっと。
それが彼らの幸福の持続に繫がるのなら好きにすればいい。そうやって、今後もあのノートに綴られた言葉に縋って呪い呪われていれば良い。
だが俺は違う。俺は自力で首に巻かれた縄を解き、地に足を付けて、今生きている。その選択をあの日した。彼らと俺は決定的に違う生き物でなくてはいけない。俺は幸せとは対極でいるべきなのだ。
俺が幸福と対極であれば自然と俺が歩んだ道に絞殺死体が並ぶだろう。関東連続絞殺事件は止まらない。俺が結木能代であるかぎり。
「それじゃ捨てに行きましょうか。クリスマス直前連続絞殺事件スペシャル第三弾を」
「特番みたいな言い方をするな」
◆
テレビを点けた。俺は事件を起こしてから数日は常に最新の情報を得るようにしている。その習慣は途草と関わってからも変わっていない。
報道内容が千葉の毒物混入事件から変わり、目当ての速報が映し出される。
『ついに三人目の遺体 終わらない連続絞殺』
男性アナウンサーが手元のカンペをチラリと見る。それを読み上げる声は非常に厳かだった。
『昨日の午後八時頃、神奈川県で女性の絞殺遺体が発見されました。死亡推定時刻は深夜零時頃、犯行内容が関東連続絞殺事件と酷似しており同一犯の犯行と見て捜査が進められています。クリスマスイブに行われた残忍な事件、今日は専門家の○○先生をお迎えしてお話を――』
短い期間で連続して繰り返される犯行に専門家は、犯人はクリスマスに嫌な思い出があるとか他にもメッセージ性があるとかほざいているが見当違いも甚だしい。
かすりもしていない見解を聞きながら、こういう奴がいるから俺の望む像から著しく逸れた関東連続絞殺魔が世間に浸透するのだろうと思うと悩ましかった。これが現場に馬鹿馬鹿しい痕跡を残してしまう犯人の心理なのかもしれない。ただの承認欲求とはまた違う、正しき認識を求む欲求。それなら俺にも幾分か理解が出来た。
鏡を見た。自分の姿を確認するために。
似てる部分を潰していくと言ったっていくらなんでも顔を変えるつもりにはなれず、憎いことに今日も俺はアイツに似ていた。
ただ一つ違う短い襟足を握って長さを確かめる。少々固い毛先が掌に当たる感触がする。
溜め息をついた。やはり髪が短いという相違点だけでは物足りなかった。見た目にももう少し変化が欲しい。いっそ髪を染めるか?
思考がおかしな方向に向かっていることに気がついて頭を振った。気分転換にいつも通り街を出歩きたかったが昨日途草に釘を刺されたばかりだ、あまりやるべきではないだろう。
――いや、〝やるべきではないからやらない〟のか?
違うな。違う。俺はそうしたいから殺す犯罪者であるはずだ。そう誓ったんだろう。あの日、あの車内で、それが結木能代だと定めたのだろう?
俺はロープを引っ掴んだ。ポリエステル製の質感に触れると安心できた。九院はきっとこのような感情は抱かないだろう。これは結木能代特有のもの。俺はこれからもずっとこの感触と九院能代とは違うことに安堵を抱く。
玄関に置かれた鏡でもう一度自身の顔を見た。その表情は邪で不穏な雰囲気に満ちていて、あの日見た慈愛に満ちた彼とは似ても似つかなかった。それを見て俺はロープを握った時以上に胸が軽くなった。
「お前は誰だ?」
鏡問いかけて、数秒間を開けてまた口を開く。
「今日も俺は
絞殺魔
だ」
鏡の中の俺の口角がやや上がった。
自問自答の末に鏡に残った不気味に笑う俺から目を離し、玄関を開けて家を出た。
夜道を歩きながら途草に電話を入れた。片手は鞄に突っ込まれロープを弄ぶ。
「今からあの廃工場付近で行動する。折角だから鉈を持ってこい。あの日の再現をするぞ。何故かって? 決まっているだろう。〝そうしたいから〟だ。……――なに? 昨日聞いた事を忘れたのかって? 勿論覚えている、殺しすぎだって話だろう。今日で年内は最後にする。仕方が無いだろう絞殺魔は絞殺して然るべきだ、そういう性分なんだから、俺が結木能代である限り俺は他人を殺す。結木能代の確立の為にな」
ロープは変わらずザラついていた。その感触は今日も俺を絞殺魔たらしめる。