ルカ・コールマンと旧友

 ねぇ不老不死になんてならないでよ。だってそんなのになっちゃったらアンタの死に顔が見られないじゃないか。わたしはアンタより長生きすると思うけど長生きにも限度ってものがあるんだ。百歳までならたぶん余裕だけど百五十歳はきっと無理だろう? だからほどほどに死んでくれ。そうしたらわたしはアンタを追って死ぬことができるんだから。

 旧友の某氏の発言はいつも通りで、まるでそれに恋でもしてしまっているかのような執心っぷり。体を持たぬものに嫉妬なぞしないが、こうも毎日楽しそうにそれを話す様子をみるとなんだか一言もの申してやりたくもなる。外部に伝わってしまうほどの恋をする者なんてのはキャロライン・フローレスがいれば十分だろう。アンタまでそちら側の人間になることはない。

 といっても心底執心するものがある友人というものは見ていて面白いと思うところもあって、不老不死になりたいと言い始めた当初なんかは秦の始皇帝の最後なんかを話してあげたらそれはそれは真剣に「水銀は飲まないでおこう……」とメモをとっていたり、人魚の肉を食べると不老不死になるらしいと吹き込んだときは海辺で「人魚はいるかー!」と叫ぶ奇行をおこなったり、やはりアイツは面白い。

 わたしは某氏の興を醒ます説教じみたことを言うことがたまにある。命とは限りあるから美しいだとか、未来には希望だけじゃないとか。寿命を迎える頃にはいろんなことを受け入れられるようになっているよなんて言って、彼女の希望を否定する。そんなときアイツはいつだって馬鹿正直に現実に目を向けてしまって、この世に不老不死ってないのかなぁと肩を落としてぼそりと呟く。その姿をみるとふわふわと夢を見続けさせているのが正しいのか、自分が地に足着けている現実を直視させたほうがいいのか、わからなくなる。

 興を醒ますこともあるが、大切な旧友の気持ちを考えて気の利いた台詞を吐くときだってある。「アンタが、アンタの望む不老不死になる方法を見つけたらわたしも同じ方法で不老不死にしてくれ」ってそれだけのことなのだが、某氏はそれを聞くと毎度「不老不死仲間だな!」と目をキラキラさせていた。本当はわたしよりはやく死んでほしいと思っているなんて知ったら彼女はわたしのことを嫌いになってしまうだろうか。いや、たぶん、嫌いには〝なれない〟だろうな。それだけわたしたちはともに時間を過ごしすぎた。うれしさも悩みも幸福も辛酸も共有してきた仲だ。そう易々と嫌いになれちゃうわけがない。これはわたしの慢心か? そうでないことを祈る。

 わたしが某氏より先に死ぬことはないと思いたい。わたしが死んだあとの世界にアイツの相手をする人間がいるとは思えないから。わたしがいなくなったらきっとアイツは孤独感や閉塞感を抱く。そんな寂しい想いはさせたくない。
 アイツの死に顔が見たいわたし、対、無限に生きたい某氏。神はどちらに味方するか。それは神にしかわからない。

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