グレース・ホワイトはわすれんぼう

 なにかを記憶しようとするとなにかが頭から抜けてどこかへいってしまう。記憶っていうものは脳が司っているはずなのでわたしの脳は大いにバグっているのだろう。結局わたしは今日も、二年通ったこの学校の校歌を一番すら覚えきれていない。
 
辞書で『覚える』って調べると大体『思い出すこと』に重点をおいた説明がついている。やはり思い出せないと覚えていたことにはならないらしい。思い出せなければいくら記録したって意味などない。そんなもの見返さない手帳と一緒。
 
そんなわたしでもどうにも忘れられないことだってあって、マリー・エリソンだかメアリー・メイソンだか、名前はしっかり覚えてはいないが彼女の描いた特徴的な画風の絵画を見たとき、ガツンと脳に刻みつけられる感じがしたし、小学生のころに同級生の女の子に突然キスされたことも覚えている。やはり衝撃的なことほど脳が刺激を受けて活性化されたりするものなのかもしれない。
 
みんなはたぶん大切なこと以外にもどうでもいいこともなんとなく覚えているのだろうけれど、それってどんな感覚なのかしら。ぶわぁって感じに勢いよく記憶が呼び起こされるのか、それともすーっと忍び寄るみたいに思い出すのか、どうなんだろう? わたしの場合は所々欠けていたりグニャグニャになって読めない文字が暗い部屋の中、気化したドライアイスみたいに充満していて、その文字を一個一個必死に解読して集めるような感じで思いだしているのだけど絶対みんなと違うわよね?
 
嫌なこともすぐ忘れられていいじゃんなんて言われたりもするけれど都合良くそうもいかなくて、うれしかったこととか楽しかったことの方がなぜかすぐ忘れちゃうし、そのかわり嫌なことはなぜか急にフラッシュバックしちゃうし。なんなのかしら? 思い出さなくていいことはそのまま葬り去ってほしい。
 
もしわたしの脳が突然変異でも起こして物覚えの悪さが改善されたとしたら、わたしはさまざまなものをひたすらに、寝る間も惜しんでなにもかもを覚えるだろう。学友の名前とか好きな絵本の著者とか花言葉とか宝石の名前とか、今まで覚えようとしても思い出せなかったものたちをすべて覚えて、それから就寝して、そして夢のなかで起きているときに覚えたものたちとふれあって、それがまるで正夢にでもなったように現実でも同じように接するの。きっと幸せなひとときになるでしょうね。
 
わすれんぼうのわたしの知らない世界を知っているみんながうらやましい。わたしも昨日食べたスイーツとか好きなアーティストの新譜の話をしてみたい。募るのは記憶じゃなくて夢ばかり。わたしってもしかしたら記憶力のかわりに夢想力みたいなものに長けているのかもしれないわね。

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