エリーズ・ヴォードは無限に生きたい
老いや劣化はどうしようもない。形あるものいつかは壊れる。生きとし生けるものはいつか死ぬ。
それがどうしようもなく変えられないこととされている世界がワタシは好きになれない。
老いることで生きるための機能が衰えるなら老いなければ良い。死ぬことですべてが終わってしまうなら死ななければいい。万人にそれを適用しろとは言わない。老いることを成長と喜べる者、死を救済としている者は勝手に老いたり死んだりすればいい。けれど選択の余地なく老いて死ぬことが決められているなんて間違っている。
永遠の生を望むワタシに旧友ルカ・コールマンは説いた。命とは限りあるから美しいだとか未来には希望だけじゃないとか。寿命を迎える頃にはいろんなことを受け入れられるようになっているよなんて無意味な励ましまで添えて。
仕方がないじゃないか、そういう考え方があると理解した上でそれでもワタシは無限に生きたいのだから。
水を得たら魚だって木々だって喜ぶでしょう? いや、木々は水の量によるだろうけど、まぁいい。ワタシも生を長引かせるために必要な食料なんかをもらえるととてもうれしいのだけど欲を言えばもっと直接的に生の持続に繋がるなにかを得たい。そうね、少々発想が悪魔的だが他のだれかの寿命を吸って自分の寿命に加えられるとか、人に限らず生命を持つものの未来と引き換えにワタシの生を長引かせるとか、そういったことを望んでいるのかもしれない。もしも死を望むだれかと合意のもと寿命のやりとりができたならどれだけ恵まれていたことか。
一生老けることなく、また身体がいかなる最悪の状態に陥ったとしても健康で優良な五体満足の状態に再生する。そんなSFを夢みる。ワタシは不老不死を求めているが、ただ〝老いず死なない〟状態を求めているわけではないことを誤解しないでもらいたい。ワタシは絶対の条件として『動けること、思考できること、感情を表現できること』などは捨てたくない。それらすべてが揃ってこそのワタシだ。それを手放してしまったら肉をまとった人形に成り果ててしまう。それだけは、不老不死になっていつまでも生きたいはずのワタシが「死んでも嫌だ」と言ってしまうほど嫌なんだ。