努力への羨望
生まれてから十五年間、ほとんど努力をしたことがない。頑張ったとか努力した記憶よりもなんとなくやってみて成功した経験の方が遙かに多い。そんな努力しない成功ばかり得ていたから〝努力しないといけない環境〟への憧れが強い。
俺よりできるひとたちがわんさかいる状況で、俺よりできるひとたちに「もっと頑張って」とか「もっと努力して」って言ってもらえる場所が欲しかった。
だから俺はこのオーディションを受けた。
♪♪♪
最終審査の合宿の参加者は七人。その中に俺と二次審査で知り合った五十嵐くんもいた。
三泊四日の合宿では歌唱とダンスのレッスンやバラエティー研修を兼ねたレクリエーションなどを三日間行い最終日の四日目に歌とダンスの審査を実施し同日の夜に合格発表をするらしい。合格できるのは最大四人だが場合によっては一人だけの可能性もあると説明された。審査員は最後に「見るのは技術だけではありませんのでそのつもりで」と付け加えて説明を終えた。
参加者はでかでかと名字がプリントされたTシャツを身につけさせられさっそくボーカルレッスンに向かわされる。
「技術以外も見るってなに見るんだろうねぇ」
レッスンルームを目指す途中の廊下で地上と印字されたTシャツを着た俺と同い年くらいの子が呟いた。それに「人間性とか社会性を見られるのかも?」と今度は獅子と印字されたTシャツの子が応える。
俺はTシャツに名前が書いてあるのわかりやすいな、なんて話題からずれたことを考えながら固い表情を浮かべている五十嵐くんに話しかける。
「緊張してる? 顔こわばってるよ」
「うん……歌あんまり得意じゃないから……」
二次審査でとても良くしてもらったからなにかアドバイスができればと思ったけれど意識して歌を上手く歌おうと思ったことがほとんどなく気をつけていることも思い浮かばなかったから、俺は無責任に「きっと大丈夫だよ」と言うことしかできなかった。
♪♪♪
歌唱レッスン一日目は指導者からの「下手くそ!」という怒号の嵐だった。
「どうしてこんなにも歌が下手なんだろう……」
主に怒声を浴びせられていた五十嵐くんは涙を浮かべてすっかり落ち込んでしまっていてその背中を地上くんと獅子くんが撫でてなだめている。
「怒鳴られるのもきつかったけど無言で溜め息吐かれるのもめっちゃきつかったな」
そばにいる二魚くんと天駆くんもげっそりした顔をしていてさきほどの場の惨状が思い起こされる。
そんなみんなを眺めている俺はといえば発声も滑舌も今回の参加者のなかでは良い方だとむしろ褒められ、ほとんど自主練ばかりで直接の指導時間もあまり取ってもらえなかったため拍子抜けしているくらいだった。俺は『他よりマシ』という微妙な褒めよりも『まだまだだから努力しろ』って言葉の方が欲しかったのに。
「とりあえず昼飯まで時間あるけどどうするー?」
地上くんからの質問にいち早く応えたのは水無瀬くんだった。
「俺は昼ご飯まで歌の練習を続けるよ。頑張らないと合格厳しいかなって思ったし、やれる努力をしておかないと後悔するのは未来の自分だしね」
その言葉に、あぁこいつは『頑張れる』タイプなのかと、そう思ったらどうにも彼の存在と発言が胸に刺さってしまって、俺の中で彼への羨望が芽生える。
「俺も一緒に練習していいですか……?」
遠慮がちに五十嵐くんが声をかけている。それに水無瀬くんは「もちろん」と微笑んだ。
結局俺たちは全員仲良く歌の練習を続けて一日目の午前を過ごした。
♪♪♪
それから午後のダンス練習とバラエティーパートのレクリエーションを経て一日を終えた。その間もずっと俺のなかでは『頑張れる存在』として水無瀬玲の名前が輝いていた。
水無瀬玲という男は歌もダンスも指導者の反応を見る限り特筆して秀でてはいなかったし、レクリエーションでも面白い発言を自ら発信するより会話のパスを投げて他者の発言を引き出す方に徹している印象で主張の激しくない人物だと思った。
しかし『努力』という分野においてはおそらくこのメンバーで右に出る者はいないだろう。俺にできなかった『頑張る』という行為を息をするように自然に行う姿はとても目を惹いた。
水無瀬くんと話がしたいな……。
明日話しかけてみようかな。水無瀬くんはなにを話したらよろこんでくれるかな?
♪♪♪
翌朝起きてからずっと俺は彼に話しかけるタイミングを見計らっていた。しかし――
「みな――」
「ギャー! 助けてぇ! 部屋にくっそデカい蜘蛛出たんだけどー!?」
と朝っぱらから廊下にまで響き渡る地上くんの叫び声に水無瀬くんはいち早く虫退治に駆けていってしまったり……。
「みな――」
「水無瀬くんトマト好き? 俺の分食ってくんね?」
「自分で食べなよ」
と獅子くんに遮られてしまったり……。
「み――」
「水無瀬くんさっきの歌めっちゃすごかったじゃん。昨日より一気に上手になってる」
「そうかな?」
「さっき水無瀬くんが歌ってるとき天駆くんもぼそっと「うま……」って言ってた!」
「おいバラすなよ」
「天駆くんも二魚くんもすごく歌がうまいから、なんか照れるな……」
と俺が言おうとしたことを先に言われてしまったり……。
そんなこんなで挑戦はしてみたものの俺は夕食時まで声をかけることすらできずにいた。
もうちょっと積極的に行った方がいいのかな……。でも無理に話しかけて空気読めないやつだと思われたら心外だな……。
俺はう~んと悩む。どうにかしてチャンスを掴みたいけど、今日は諦めて明日に回すって手もあるか……いや、でもやっぱりとっかかりは今作っておいた方が――
「隣、座ってもいいかな?」
頭上から降ってきた声に顔を上げると優しげなたれ目が俺を見下ろしていた。
声の主は水無瀬くんだった。
「あ……! うん! どうぞ」
「お邪魔します」
突然舞い込んできた幸運に言いたかったことがすべて吹き飛ぶ。なにか言わなきゃとしどろもどろになりそうな自分に驚きながらもなんとか話かける。
「水無瀬くんって食事の席順は獅子くんの隣じゃなかったっけ?」
「あー、初日にきらいな野菜引き取ってあげたら苦手なものを俺に寄越すようになっちゃったから天駆くんに言って席を交換してもらったんだ」
俺は心の中で問題を起こした獅子くんと席を交換してくれた天駆くんに感謝を送る。
「あと、実は瀬川くんと話してみたくて」
予想外の発言が飛んできて俺は思わず口元ににやけを浮かべてしまう。
「えっ、な、なんで?」
「二次審査のときの組み分けも違ったし、今回の合宿も部屋割り違うでしょ? 挨拶するくらいで全然交流ないの瀬川くんだけだったから」
「俺も、実は水無瀬くんと話してみたくて……!」
それから俺は水無瀬くんを質問攻めにした。どうしてオーディションを受けたのかとか、アイドルになったらやりたいこととか、他にもいろんなことを聞いたけど水無瀬くんはそのすべてに快く答えてくれた。
どうやら彼は自分を好きになれる行動を取るようにしているらしい。オーディションに参加したのも『自分のことをもっと好きになるため』だったようだ。とても頑張り屋なのも『頑張る自分が好きだから』だと言っていた。
「結果がついてくる確約みたいなものはないけれど、それでも頑張った分だけ得るものはあって、そうして得たものが自分のこれからを愛する材料になるって思ってる」
未来の自分を愛するために今の自分が努力する。そう話す彼を見て俺は『彼の得意分野、すなわち努力で彼に勝ちたい』と思った。水無瀬くんより努力できるやつになれたら彼はきっと俺を努力の手本にする。そうなったら俺も水無瀬くんみたいに自分を好きになれる。
「水無瀬くんのおかげでなんだか新しい目標が持てた気がする。話してくれてありがとう」
「うん。どういたしまして」
♪♪♪
とうとう迎えた四日目の夜。俺たちは宿に併設された会場に並んでいた。
これから合格者のみが名前を呼ばれる。
審査員の隣には事務所の先輩たちもおり俺たちの合格発表を見届けようとしている。
「一人目――」
厳かな声が静まりかえった場内に響く。
「五十嵐ネオン」
五十嵐くんは緊張した足取りで一歩前に踏み出す。その表情はとても感極まっている。
「続いて二人目、水無瀬玲」
水無瀬くんも五十嵐くんと同じく緊張している様子で一歩踏み出した。
「次が最後の合格者です」
審査員の言葉に心臓が急かされ、他の参加者の顔色を窺う余裕もないくらいの緊張が走る。
俺の人生で滅多にないくらい祈った。いつもなら合格より「次回頑張って」って言われる不合格の方が欲しかったかもしれないのに、今は違う。
今の俺は『水無瀬玲の一番側で、水無瀬玲に努力で勝つ未来』がほしい。
「最後の合格者は――――――瀬川才智」
安堵を得てもなお緩まない緊張を感じながら一歩踏み出す。
「以上三名がプロジェクト:αオーディション合格者です」
まだ『頑張らなければやっていけない世界』に入ったことへの実感が湧かない。
しかし、それでも、努力してこの業界に入った彼らの光に触れていたら努力して得たものをなにも持たない自分でも輝ける気がするから、俺は俺を頑張って輝く存在にしたいって心から願っているから、だからここにいよう。
俺だって、生まれ持った才能以外の後天性の光を放ちたい。生まれ持ったものだけがすべてのつまらない存在じゃなくて、水無瀬玲みたいな、自力で輝けるまぶしいものになりたい。
了