いつかその日を高らかに

 これは俺がまた一歩踏み出せた日のこと。



 柊さんと二人きりの部屋の中でその日も俺はいつもと変わらず彼を讃えていた。

「昨日柊さんのデビュー五周年ライブの映像観ました! 観たいって言ったら事務所に保管してあるやつを見せてくれて、それを観てやっぱりソロの柊さんは最高にかっこいいなって」

 いつも通りのテンションで今日も変わらず俺のヒーローについて話す。しかし話を聞いている柊さんはあんまり楽しくなさそうに雑誌に目を落としていて、普段とは違うその様子にすこし違和感を覚えた俺はおずおずと「柊さん……?」と話しかける。

 彼は深い溜め息を吐いた。柊さんは呆れたときなんかはよくわかりやすく溜め息を吐くけどそれとは違う、どこか苛立っているような怖さを感じる溜め息。

 その溜め息のあと凄むように睨みを利かせながら俺を見やる。

「なぁ、ソロのときソロのときってよう言うけど、おまえからしたら今の俺はなんや?」

 その睨みと問いかけに俺は言葉を詰まらせた。

「αIndiの俺はソロアイドル柊千景の死体の上に咲いた別の植物か? 立場や肩書きがなんであれHairuだろうがソロだろうがαIndiだろうが俺は俺やけど?」

 柊さんは言い終えると俺を見据える。その視線にただ射貫かれる。

「……まぁそのつもりなら一生昔の俺を追ってればええよ。そうしたらそのうち行き着く。もう動かないソロアイドル柊千景の死体がおまえの終点にはお似合いや」

 吐き捨てるように言って彼は雑誌のページを捲る。そして自身が座る椅子を回して体をこちらに向けると「返事は?」と目を細めた。

 ここで「はい」なんて答えていいはずがない。だれがそれで満足しても、俺自身が納得できないのならそれは〝俺の答え〟ではないから。

「…………――別の植物なんかじゃない……です……」

 最初の一言目をなんとか絞り出した。そして俺を射貫く視線にアンサーを返す。

「今も昔も変わりません。過去も今も変わらず、たくさんの意味で、俺にアイドルを教えたのは〝柊千景〟です。あなたが過去のなにを黒歴史だと思おうが、どんなに性格が悪かろうが、未来でなにをやらかそうが、生涯においてただひとりあなたこそが俺のアイドルです」

 柊千景を終わったものとして扱ったことなんて一度もない。彼は今でも根を張って幹を伸ばす生きた存在だ。立場や肩書きが変わるのはただの転機であり、人生の中に区切りが増えただけに過ぎない。彼はずっと彼で、これからもそうなんだ。

「過去から未来にかけて途絶えることなくずっと、あなたは俺のアイドルでヒーローです」

 柊さんは俺の答えに笑い声をもらすが目が笑っていない。

「おまえの俺に対する憧れがこれからもそのままなことはわかった。じゃあおまえに成長の見込みはないわ、やめてしまえアイドルなんて。結局プロジェクト:αでおまえを推薦した俺がバカやったってことでしまいや」

「いくら柊さんに言われたからってやめたりしません。せっかくαIndiになれたのに〝尊敬しているひとに言われたから〟ってだけで俺は今からも未来からも逃げたくない」

「逃げる逃げないの話とは違う。ソロアイドルの柊千景しか見えてないやつにはそもそも逃げる対象すらない。過去のだれかを追うだけで生き残れるほどこの世界が甘いわけないやろ」

「そうです、この世界はそんなに甘くない……! だから俺はずっと悩んでて、あなたからしたら俺は柊千景への憧れだけの存在かもしれない。だけど……、だけど――」

「だけど?」

「俺はなにがあったってあんたを越えていく存在になる! なによりも最高にいるあんたを超えた先に他のだれでもない俺がいる世界を現実にする!」

「随分と一丁前な口やな」

「……あんたはいつまでもそうやって俺を見くびっていればいい! 気がついたときには俺はあんたみたいなクソメガネよりずっと高みに立っていて、その瞬間をあんたに自覚させたときこそが俺がやっと口だけじゃなく『五十嵐ネオン』として一人前になる時だ!」

 そこでバンッと勢いよく扉が開く。

「よく言った五十嵐!」

 突然のことに俺は驚きのあまり身を跳ねさせる。

 入室してきたのは新堂さんとカメラを構えたれいくんとガンマイクを持った瀬川くんの三人だった。なにがなんだか状況が飲み込めずに険しい顔のまま固まる俺のことなど放って新堂さんは下げていたボードをぱっと上げる。

 新堂さんの両手に持たれたボードには『ドッキリ大成功!』の文字。

「は、え? ドッキリ……?」

「うん! 大成功! いぇい!」

「は? ……え?」

 ピースする新堂さんの笑顔はとても眩しいけどその笑みは俺の焦りまでは取り除いてくれない。

 ♪♪♪

 カメラを止め、機材をスタッフに返却して俺たちは五人揃って席についた。

「ど、どこから?」

「柊と一緒の部屋にしたときから」

「入(い)りから!? じゃあこのひとがなんかめちゃめちゃ不機嫌だったのも?」

「そう! ぜーんぶ演技! めっちゃ怖かったし圧力ヤバかったでしょ? 柊もさすが元子役って感じの演技をありがとう!」

「どーも。ま、子役の頃こんな役しいひんかったけどな」

 柊さんもさっきまでの張り詰めた雰囲気を和らげて雑誌に目を落としている。俺はその本の内容にやっと興味を示す。

「あ! それもしかして……!」

「そうそう! その雑誌、実は台本で中身はこんなふうになってたの! 気がつかなかったでしょ?」

「空気がピリピリしててそれどころじゃなかったです……!」

 みんなは俺の発言に笑っているけど俺はまだ心臓がバクバクしている。

「初ドッキリはどうだった?」

「最初の方はめちゃめちゃ怖かったけど最後の方はもう「なんだこの意地悪ばっかりいうクソメガネは!」ってなってました」

「 あ゛!? おまえそれさっきも言うとったけど生意気口にもほどがあるやろ!?」

「れい聞いた? クソメガネだって! ひひひ」

 俺の発言を聞いた瀬川くんは笑うのを堪えきれないといった様子で引き笑いをしている。「発言者の五十嵐より瀬川の引き笑いの方がムカつくんやけど」

「まぁまぁ。これで五十嵐も一皮むけたんだからよかったじゃん。五十嵐に発破をかけるためにわざわざ柊が自分で台本書いたんだよ?」

「自分で書いたんですか!? じゃああれもこれもあながち嘘でもないってこと……?? やっぱクソメガネじゃん!」

「キンキン大きい声出して元気やなぁ。まぁ制作サイドからのディレクションはあったけど大部分は本心や。ええやん成長の糧になったんやし」

「はぁ~? っていうか俺がマジでドッキリに気がつかずに信じちゃった理由が一個あって」

 新堂さんは「なになに教えて?」と興味津々な笑みを浮かべて聞いてくる。

「あの「今の俺は昔の俺の死体の上に咲いた別の植物か?」的なこと言った瞬間、めっちゃクソメガネの書いた歌詞に出てきそうって思って! それでこれ絶対言ってる本人の言葉で本心だって思ったんですよ! だからもう、めちゃくちゃ信じちゃって」

「信じた理由が〝語彙が柊千景だったから〟なのが五十嵐らしいっちゃらしいが、俺としてはかなり恥ずかしいんやけど? 歌詞以外でもワードチョイスがアレってことやん。ってかクソメガネって呼ぶな」

「柊さんの言葉選びが癖強いのは持ち味だからいいんじゃないですか?」

「そうだよ、クソメガネ」

 れいくんが軽くフォローを入れ、それに瀬川くんがちゃちゃを入れに行く。

「でも良い経験をありがとうございました。おかげで自分なりの答えをまた一個見つけた気がします」

 柊さんが「答え?」と俺を見る。

「これから俺はみんなに遠慮しないです。名前に敬称をつけません。敬語もつかいません」

「えーやだーこれからも敬語のかわいい五十嵐がいい」

「だめ! 決めたの! ってことで今から新堂って呼ぶし、瀬川って呼ぶし、れいって呼ぶし、あんたのことはもちろん柊かクソメガネって呼ぶから!」

「は? じゃあそれでもええけど、おまえ敬語使ったら罰ゲームな?」

「え!? じゃあ柊さんだけそのままで……」

「それは俺だけめちゃめちゃ距離あるみたいになるやん!」

「俺たちは別にいいよね、れい?」

「うん。年下だからといって五十嵐だけ俺たちにも敬語なのはちょっと違和感あったし」

「瀬川もれいもありがとう!」

 俺は心の中ではまだ『くん』をつけて呼んでることを内緒にしながら二人にお礼を言う。

「じゃあ僕も新堂でいいよ! あとなんか五十嵐だけ特別なのは良くないと思うから瀬川とれいも五十嵐と同じく僕と柊のこと呼び捨てにすることを許可してあげる」

「はぁ? おまえはなにを勝手に許可してるん? 俺にも確認せや」

「じゃあ新堂のお言葉に甘えさせてもらうね。柊もごちゃごちゃ言ってないで慣れなよ」

 さっそく生意気口を叩く瀬川くんを柊さんの足が小突く。

「なんか一気に距離が縮まった感じがして馴染むのに時間がかかりそうだけどこっちの方がなんか好きだな」

 れいくんの言葉に俺は頷く。

「なんか好きって理由だけで後輩から生意気な態度取られる俺の身にもなれや」

「いいじゃん。僕だって柊の後輩だけどずっと呼び捨てタメ口なんだからさ」

「そうだぞ。ごちゃごちゃ言ってないで切り替えろクソメガネ」

「おまえ……! 俺にそんな口の利き方しとると「五十嵐が反抗期になった」って四方八方のファンが泣くで」

「一番泣きたいのは柊のくせにね。ねぇれい?」

「瀬川の言うとおりかもね。なんだかんだでかわいい後輩に一番未練があるみたい」

 ふたりの会話を「アホ抜かすな」と一蹴した柊さんはそれでもやっぱり「五十嵐がグレたってブログでファンに報告したろ。えらい悲しむでみんな」とまだ言っている。

 俺も俺で実は『かわいい後輩ポジション』に未練がないとは言えないけれど、それでもみんなとの関係に進展があったことの方がうれしかった。

 これから俺はきっとどんどん生意気になって、どんどんかわいくなくなっていくんだろう。それを悲しむひとも昔の方がよかったって言うひともきっといるけど、でもそれは柊千景がすでに通った道でもある。

 俺はまだ柊千景の拓いた道を辿っている段階だけど、いつか、絶対に、俺だけのルートに入ってみせる。柊千景の手で整備されていない俺だけの道がどんなに険しくても選んだ己を信じて進んでやる。

 そしてずっとずっと前を行くその背を追い抜いて言ってやるんだ。

「見たか柊千景!」って高らかに。



 了

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