プロジェクト:αオーディション二次審査
二次審査の待合室で俺の心臓はもう壊れちゃうんじゃないかってくらいバクバクを通り越してドカンドカンいっている。心臓が暴れ回っている間も先に審査を受けている前のお兄さんのきれいな歌声が響いていて、その芯のある歌声が余計に俺を焦らす。次は歌の審査なのかな。歌はあんまり得意じゃないからやだな……。
胃がキリキリするって本当にあるんだ……なんて、生まれてから十年の人生の中で一番の緊張に押しつぶされそうで涙目になる。
――でも、こんなに苦しくて泣きそうになっても、アイドルになりたいって気持ちは消えてない。だから逃げずに、やりきるしかない。
先に審査を受けていたお兄さんが部屋から出てきて、全然緊張なんてしてなさそうな涼しい顔をして俺の前を通り過ぎていく。その姿を見て俺もしっかりしなきゃって自分を奮い立たせた。
「次の方どうぞ」
「はい!」
どんなに怖くても、どんなに目に涙が浮かんでも、挨拶と返事は元気よく。
俺は深呼吸をして審査員の待つ部屋に踏み入った。
♪♪♪
今回の審査はちょっとした面接と各々の特技を見るだけだったらしく、歌の審査だったらどうしようという心配は無用で俺はただ無駄に胃を痛めただけだったらしい。
審査を終え「はい、それじゃあ次は十四時頃に地下のレッスンルームBに来てください。それまでは自由にしていていいですよ」と審査員さんに言われたものの……。
「どうしよう……知らないところでうろうろしてたら怒られるかも……」
他の受験者さんはどこにいるんだろう? もうレッスンルームに行っちゃったのかな? でもあと三十分くらいあるし、あんまり早く行っても迷惑かな……。
「うーん……どうしよう……――っけほ」
ひとつ咳き込んでやっと自分の喉が渇いていることに気がつく。そういえば緊張で持ってきた飲み物も全部飲んじゃって今はなにも持ってない。なにか飲み物を買ってすこし休んでからレッスンルームに行こう。そうすれば時間も丁度いいだろうし。
「たしか一階に自販機があったっけ」
とりあえず一階に降りようとエレベーターホールの方を振り向いて身が固まる。そこにはキラキラまぶしいシギリアホシナの所属アイドルさんたちが数名すでにエレベーターが昇ってくるのを待ってる状態だった。
むりむりむりむり! あんなにキラキラしたひとたちと一緒にエレベーター乗るなんてむりすぎる! あんな狭い空間で同じ空気吸ったら体がびっくりするよ!
また跳ね上がる心臓を抑えながら俺はキラキラアイドルさんたちに背を向けて非常階段の方に向けて歩を進める。
「芸能事務所って、やっぱりかっこいいひとばっかりしかいないんだなぁ……」
すごいなぁなんて呟きながら四階分の階段を降りて行って、やっとついた一階の自動販売機。その前には俺より先に審査を受けていた綺麗な歌声のお兄さんがいた。
お兄さんは自販機の前で鞄の中をごそごそして、しばらくしてから遠目から見てもわかるくらい「やっちまった」って顔をして額に手をあて天を仰ぐ。そのまま自販機の前を退こうとするから、俺はつい声をかけた。
「あの、大丈夫ですか」
「え、あー、うん。気にしないで」
「ほんとに? ほんとに大丈夫ですか?」
「……若干だめかも」
それから詳しく話を聞くとどうやらお歌が上手なお兄さんはお家に財布を忘れてきたらしく、交通費はICカードに入っているから問題ないけれどここの自販機はそれに対応していなかったようで飲み物が買えなくて困っていたらしい。「駅の方までいかないとコンビニもないしどうしようかなと思って」とちょっと落ち込んでいるようにも見える。
「お兄さんさっき歌ってたからなにか飲まないと辛いんじゃ……」
「きみもオーディション参加者?」
「はい! さっきの歌すごかったです」
「ありがとう」
「えっと、このあとも審査あるだろうしそのままじゃしんどいと思うから飲み物は俺が買いますよ! どれがいいですか?」
「え、いいの?」
「はい! 今日お小遣い多めに持ってきてるんで飲み物くらいならぜんぜん!」
「…………そっか。それじゃあ悪いけど水をお願いできるかな?」
「はい!」
「次の審査が終わったらコンビニでなにかお返しするよ」
「わかりました! あ、俺五十嵐ネオンっていいます! よろしくお願いします!」
「五十嵐くんね。俺は瀬川才智。よろしく」
お歌が上手なお兄さんは瀬川くんっていうらしい。背が高くて声も顔もかっこいいし歌も上手。こういうひとがアイドルに向いてるんだろうって思う。
「水、ほんとうにありがとう。そろそろレッスンルームに行こうか。Bってどこだっけ?」
「はい! えっとBは地下だったはずです!」
♪♪♪
「全員いますか? 十四時になったので引き続き二次審査をおこなっていきます」
今回はひとりずつじゃなくて大人数でやる審査らしい。俺たちが集められたレッスンルームには俺を含めて二十名受験者が収まっていた。
「今回の審査は他の参加者とパートナーを組んでおこなっていただきます。それぞれで声をかけあって速やかに二人組を組んでください。二人組の審査が終わったら次は五人組の審査を行います。ではひとまずペアを組み始めて」
「せ、瀬川くん! 俺と組んでくれませんか!」
「……! うん。ありがとう五十嵐くん。がんばろう」
まだ知り合ったばかりだけど知ってるひとと組めたことに早くも安堵する。がんばって瀬川くんの足を引っ張らないようにしなきゃ……!
「全員組み分けできたようなので審査内容を発表します。二次審査後半はダンス審査です。この箱の中に数種類、ステップの名前が書かれた紙が入っていますのでそれを全員に一枚ずつ引いてもらって、一組二種類のステップを十分間の練習ののちに披露してもらいます。それでは一番右のグループから順番に引いてください」
指示通り一枚ずつ箱の中から紙を引いていく。俺が引いたのは『ツーステップ』だった。
ダンスは得意な自覚がある。まだ三年しかやってないけど一応経験があるし、先生にも褒めてもらえるくらいには踊れる。ツーステップも上手だって言われるからきっと大丈夫だ。
「それでは練習、始め」
「瀬川くんなに引いた? 俺はツーステだった」
「『ウィッチアウェイ』って書いてあるんだけど、うぃっちあうぇいってなに?」
「ウィッチアウェイは片足を開いて膝をおへそくらいまで上げるやつ! 今やるね!」
俺は「これ! こういうやつ!」と言いながら実際に瀬川くんに見せる。
「まってまって、はやいはやい、見たことはあるけど動きの理屈がわからない。それ足の動きどうなってる?」
「理屈――!? えっと、まずこのリズムでぴょんぴょんします! カウントいくよ! せーの、1、2、3、4、5、6、7、8、――それをこのリズムのまま交互に片足を軽く横に開いていく、軸足は同じ場所を踏みながらちょっとずつ爪先の方向を変える」
瀬川くんは見様見真似で俺と同じ動きを一緒におこなう。
「できてる!?」
「できてる! そのリズムのままで裏拍のときに踵の向きを意識しながら膝を持ち上げて片足立ちになる、持ち上げた方の足はなるべく膝をおへそくらいの高さまで持ってきて、下ろす! 足が着地したら反対側の足を弾くようにすぐに入れ替える、この動きの繰り返し!」
「こう!?」
「すごい! ちゃんとできてるよ! 姿勢はもうちょっと前傾で足を持ち上げるときももう少し体の近くに膝を持ってくるといいかも、あと頭と手の位置を安定させたらいいと思う」
瀬川くんは鏡を見ながら動きの確認をしている。はじめてだから拙さはあるだろうけど形にはなっているように見える。
「覚えるのはやいね! ツーステはわかる?」
「なにツーステって? 俺ダンスの授業まともにやってなかったからボックスステップくらいしかできない」
「じゃあ今覚えて! ツーステップっていって、こういう動き!」
「まってまって、はやいはやい」
あーだこーだ言いながら俺たちは数分間の練習時間のめいっぱいまでふたつのステップをひたすら繰り返した。
「そこまで。では先程くじを引いた順番で実際に踊ってもらいます」
一組、また一組とステップを踏んでいく。見てる限り経験者の方が圧倒的に多かったし、未経験っぽいひとも短い練習時間の中で覚えたとは思えないほど上手だった。
「では次、引いたステップは?」
「ツーステップとウィッチアウェイです」
「はい。それでは前へ」
瀬川くんと揃って部屋の真ん中へ駆け寄る。
「それではスリーカウントの後に曲が始まるので同じタイミングで踊り始めてください」
俺はちらりと隣を見た。瀬川くんは真剣な眼差しで前を見つめている。
心の中で「俺たちならきっと大丈夫」って唱えて、耳をすましてスリーカウントを待った。
♪♪♪
審査終了後、俺と瀬川くんは駅前のコンビニに来ていた。
「五十嵐くんのおかげでギリギリ踊れた気はするけど、合格はちょっと怪しいかもなぁ」
「そんなことない、二人の方も五人の方も全然踊れてたよ! 未経験なのにすごい!」
あのあと五人組でのダンス審査もなんとか終えて無事に二次審査は終了。一週間後までに合否通知が送られてくるらしい。
「今日はほんとうにお世話になりました。水とダンス審査のときのお礼がしたいから好きなのカゴに入れて」
俺は「じゃあ……」と遠慮がちに瀬川くんの持つ買い物カゴへ小さな菓子パンをひとつとお茶を一本入れる。
「それだけでいいの?」
「うん」
「わかった。会計行ってくる」
それから支払いを済ませた瀬川くんは改めて俺に礼を言うとレジ袋を手渡してくれた。
「帰りは電車?」
「電車とバス!」
「そっか。帰り気をつけて」
「うん! 瀬川くんも気をつけて。次の審査でも会えたらいいね」
ばいばいと手を振ると瀬川くんも手を振り返してくれた。
電車を待っている間も、バス停へ向かう途中も、今日のことを思い返して俺は笑顔になる。その笑みは結果がどうあれ今の最大を出せた悔いのなさから来ていた。
「俺も、瀬川くんも、一緒にダンス審査やってくれた他の三人も受かってたらいいなぁ」
時刻は夕方に差しかかりはじめていたが空はまだ青い。冬が近づく十一月の空気を吸い込んで、俺は一歩また一歩と帰り道を行く。
次に会うときは今回みたいに仲良く練習するんじゃなくてもっとライバルみたいな感じかもしれない。あんまりお話できないかもしれない。
でも、三次審査でまたみんなと会えたらうれしいから、そのときが無事に訪れますように。
了