来店4回目

 珍しくワタシにとってこの二週間は胸が高なることの多い日々だった。正直に言えば楽しみだったのである。彼女に会うことが。 

 通常はそうではないのだ。鬱々と、イライラと、いつかの不機嫌よりはマシだが、それでもワタシは常に機嫌が良いとは言えない精神状態で彼女の元へ訪れるまでの十数日を過ごしていた。ワタシが彼女の元を訪れるまでに迎える日々は賽の河原でいつまでも何度でも小石を積上げ直させられるような日々なのだ。 

「いらっしゃいませ、銀花さん。こんばんは」 

 今日の彼女は悪戯をしたりはしてこないらしい。柔らかな笑みを浮かべながらエレベーター前でワタシを待つ様子はとても穏やかだ。 

 彼女はワタシの手元に下げられたショッパーへ目をやると僅かに首を傾げる。それを見たワタシはすかさず補足するように口を開いた。 

「今日はきみにプレゼントを用意してきたんだ」 

 彼女は多少贈り物には慣れているようで、中身はなんだろうと無邪気に笑う。 

「一応ボーイに贈って良い物を確認したからそういった問題はないと思うが、ぜひ開けてみてくれ」 

 席につくと彼女は服屋のショッパーを開けて中に畳まれて入れられていた衣服を一着ずつ広げていく。今の気候では少し涼しいかもしれない春夏物の衣類を嬉しそうに眺める。 

「わぁ! どれもかわいい! それにお洋服だけじゃなくひまわりの指輪まで」 

「ワタシは服に頓着しないからきみみたいな子が着るような洒落たものはわからなくてね。普段では絶対にないくらい真面目に選んで来たんだが、どうだろうか?」 

「とにかく全てがかわいいです! わたしが着てもいいのかなってくらい! かわいい!」 

 かわいいかわいいと呟きながら彼女は取り出した服達を丁寧に畳んでしまっていく。それらを全てしまい終えてから傍らに置かれていた指輪を華奢な指先でつまみとる。 

「ひまわりがモチーフなのはこの前ひまわりの話をしたからでしょうか?」 

 彼女の問いかけにワタシは軽く頷いた。それを受けた彼女は安心したようにまた微笑んだ。 

「そうだね。以前その話をしたときにきみはなんだかひまわりっぽいと感じたものだから、店先で見かけてつい買ってしまった。でも安物だから材質もそれほど良いものではないし、はめ込まれている石も偽物だ。受け取ってくれさえすれば身に着けなくても構わない」 

 今しがたワタシがした発言に彼女は首を横に振る。彼女の頭から垂れ下がるように伸びる二つの長い三つ編みが左右に揺れるとほのかにシャンプーの香りが微細な風に乗って流れてくる。それは澄んだ花の匂いがした。初めてしっかり嗅いだその匂いが不思議となんだか懐かしく感じて、ワタシは少しだけ昔のあのひまわり畑のことを思い出した。 

「いえ、とても嬉しいです。大切に使わせていただきます。……というか、わたしってひまわりっぽいですか? どちらかというと白くて小さいお花を「きみっぽい」と言いながら渡される方なので、とても意外です」 

 ほんの少しだけ、ワタシがギリギリ察知できる程度の照れを浮かべながら彼女は上目遣いでこちらを見る。彼女は照れという感情を隠そうとする気が強いらしい。そんな感じがする。 

「ワタシからしたら、きみはひまわりと布団のイメージしかないよ」 

「ひまわりと、布団……」 

 彼女は怪訝な顔をして首を傾げる。そりゃそうだ。ひまわりはまだしも、布団のイメージってなんだか病床や寝たきりの印象があったりであまり良いイメージではないだろう。 

 そう思っていたら彼女はまた、あのひまわりみたいな笑みを浮かべた。 

「銀花さんにとってわたしはあたたかい存在……ということでしょうか? それならとても嬉しいです」 

 彼女の笑顔はワタシの脳内に黄色い花びらを想起させた。けれどそれは暑く蒸されるような熱気を漂わす真夏に咲く大輪の花頭ではなく、もっと涼しい……、そう、秋だ。秋に咲いたあの子のような、そんな笑顔。 

 あぁやはり、彼女はひまわりなんだ。 

「そうだね。きみはなんだかぽかぽかしているよ」 

 そう、ワタシと違ってきみはあたたかい。 

「銀花さん」 

「うん?」 

「また二週間後の木曜日にいらっしゃいますか?」 

 次の予定。そうだな、次もきっとここに来ることになるだろう。 

「うん。来るよ」 

「ではご予約を入れられますけれどいかがでしょう?」 

「そうだね。じゃあ二週間後のこの時間、きみを予約しておきたい」 

「わかりました。もうお別れの時間なんて寂しいです。二週間後を楽しみにしています」 

 薄汚れたワタシの心ではこれが営業用のリップサービスなのか、はたまた彼女の本心なのかさえわからない。彼女の本心を探りながら、今日もあの〝いつもの約束〟を交わした。 

 
   ▼ 

 帰路につく最中、店から少し離れた場所からVIPフロアのすりガラスを見上げて物思いに耽る。 

 そういえばワタシは隔週でここを訪れているがその理由は決まって店を訪れる間にあまり良くないことが起こって、それを改善するために金を使って、ついでに誰かに話を聞いてもらいたいためであった。 

 しかし今日は違った。今日は彼女にプレゼントを渡すことを目的にここへ来た。それは間違いなくワタシの中でなにかが変わっている証だろう。 

「それが第一になったら笑えもしないけどね」 

 ビルの群れの間を歩いてつくのは家路ではない。地獄だ。ワタシはこの街の中を自らの足で踏みしめ歩いていって地獄へ戻っていく。けれどそちらへ歩を進めながらもワタシは事実から目を背けるんだ。 

「……向こうが地獄じゃ、まるであの店が天国や楽園みたいじゃないか」 

 ワタシはおかしなワタシを笑いながら地獄へ向けて一歩一歩突き進む。そっちの方がきっとお似合いだから。幸せ溢れる天国や楽園の空気なんて、少しでもワタシの体内に残っていちゃいけないのだろうから。 

 ワタシはいつからこんなにも不幸になりたがる性格になったんだっけ。 

 思い出す水の冷たさと潮と黒煙の香り。あぁそうだ、あの一件からだ。自分がただ無邪気でいることが憎く許せなくなった中三の終わりから、ワタシはずっとずっと死にたいんだ。 

 たぶん、死にたいなんて溢したら彼女は残酷にもワタシを止めてしまうんだろうな。あの眩しく輝くひまわりのように、ワタシを生に縛り付けてしまう。 

 けれどそれでもワタシは死を選ぶ。どうかあの頃の幼かったワタシが今まで生きてしまったワタシを許してくれるように。最低限の贖罪を果たして。 

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