来店初回

 死ぬために生きるのか、生きるために死ぬのか。ワタシはどちらなんだろうなぁ――

 下品なネオンに照らされながらワタシは歩く。電飾が光る看板にはきらびやかなドレスを身に纏い妖艶に微笑む女性の宣材写真、近くのブラックボードには酒のついでに女性を商品として扱っているような文言が並んでいる。いや、『ような』というよりは現に生身の女性を商品として扱っているんだ、この手の店は。

 嫌悪感などは抱いていない。店で働く女性達も、おそらくは自分の若さや美しさ可愛さが売り物になることを理解した上で働いているに違いない。……とワタシは偏見のもと思っている。

 さてどうしたものか。今日中に使いたい金がかなり残っている。絶妙な額なんだなこれが。
 その無駄金をどこで消費するか考えながら足を向けた先は六本木のキャバクラ街で、立ち並ぶ店のほとんどが先程述べたように女性を売り物にしている場所であった。

 なぜ、ワタシがそのような場所にいるのかと言えば、誰でも良いから話を聞いてもらいたかったからかもしれない。飲み食いしながら金を使って話を聞いてもらえる場所なんてホストクラブかキャバクラかスナックあたりだろう。それにワタシにとって都合の良い関係というものは〝金で繫がって金で切れるもの〟を言うのだ。店という形態のものに客として赴くというのはその関係を構築しやすい。

 女のワタシにこのような場所は似つかわしくないと思っていたが案外そうでもないらしく、一部の店は小さく女性歓迎を謳っていたりもする。なんだか最初から女性に焦点を当てているホストクラブに行けと思われそうだがワタシは口説かれたいわけでも入れ込みたいわけでもない。ただ金を払って軽く酒でも飲みながら話を聞いてもらいたいだけなのだ。その点で言えば女同士で会話ができる店を選ぶ方がメリットが大きいと思う。それに元から太客にならないような雰囲気を纏っていればそれなりに関係を切りやすい部分もあるだろうし。

 目当ての謳い文句を掲げる店の一つに足を止めた。ビルの上階を利用して経営しているキャバクラは六本木に店を構えるそれなりの店らしい雰囲気を纏っており、ここでなら十数万くらい飛ばすには丁度良いんじゃないかなと思えた。

 ワタシは店先に立っているおそらくこの店のキャッチかスカウトだろう男に声をかけた。

「この店は女一人でも入って大丈夫かい?」
 その男は突然声をかけられたことに驚いたような表情を浮かべたがワタシの質問はしっかり聞いていたらしい。遠慮がちにそれを肯定する。

「女性でお一人の方は珍しいですが女性のお客様自体はいらっしゃいますからお客様も問題なくご利用になられますよ」

 その肯定を受けて、では案内してくれと言うワタシの言葉を男は遮る。

「ですが当店はドレスコードを設けておりまして、お客様のお召し物だとご来店になれない可能性がございます。稀に似たような恰好で来店していらっしゃる方も見かけはしますがそういった方はかなりの常連さんだったりして大目にみてもらえているだけみたいですので、初めてのお客様は難しいかもしれません」

 ワタシは自らの恰好を見下ろす。黒いTシャツにくすんだ青色のパーカーにジーンズ……たしかにこれはドレスコードがあるような店には向いていない。

「どこを直せばいい? パーカーとか?」
「はい。上着を襟付きのジャケットなどに替えていただければ大丈夫かと思います」

 パーカーを替えるくらいならまぁしてやってもいいか。近場で服を一着買えばそれだけ金も消費できるし。それで駄目だったのならこの店とは縁がなかったということだろう。

「そうかい、わかった。あとここって個室はないの? ほら、女一人で開けっぴろげたところにいるのはちょいと好奇の目を向けられそうと言うか、端的に言って嫌だから」

「法律の都合上個室等はございませんがVIPフロアなら広いわりにお客様が少ないですし、本当に軽いものですが仕切りが設置されています。ですがお値段がかなり……」

「あぁ、金の心配はしなくていい。持ってるから」

 そう言って財布から適当に数万円取り出して男に掴ませると彼は驚きつつもそれを受け取った。

「きみは一見大して金にならなそうなワタシにもしっかりした接客をしていて好感が持てる。だからきみにも少し稼がせてあげる。それにこの羽振りの良さで金を持っていないわけがないだろう? その金に免じてVIPフロアに通してもらえるように店のお偉いさんあたりに口利きしてくれないかい?」

「……さきほどお召し物の関係で来店できないかもと言いましたが、それだけ現金を持っていることをアピールできればそのままの服装でも問題ないかと思います。店としても売上が上がることは望ましいでしょうし、なんなら話が通りやすいように交渉してみます」

 どうやら服代がVIPフロア代になったようだ。

ワタシは男の言葉に頷く。

「今いる女の子でしたら指名も可能ですが、いかがでしょうか?」

 そう言って男はビラを一枚ワタシに手渡す。ドレスアップされた女性がずらりと並んだそれに、ワタシは気味の悪さを感じ、同時にやはり彼女達は商品なんだなと思わされた。

 なんの説明もされなかったがこれは指名料というものを後から取られるものなのだろう。ということは、少しでも金を使いたいワタシは提案にならって誰かを指名するべきなのだろうが……、正直に言うとどの女性も皆同じ顔に見えた。この中から地雷っぽい子を避けるのは至難の業だと思う。

「……それじゃあ、この子はいる?」

 適当とまでは言わないが、パッと目に付いた女性の写真を指差した。示した先にはおとなしそうな顔で微笑む、他の女性よりも幾分か若さの残るワタシと同い年くらいの子の姿。ただひとり他の女性達と違って見えたから、ワタシはその子を選んだ。

「シスイちゃんですね。では受付にご案内させていただきます」

 受付では是非も問われず会員証を作らされた。登録票に名前や住所を書いている間に先程の男は約束通り話をつけてきてくれたらしい。おかげでオーナーを名乗る中年の男性がワタシの案内を引き継いでくれ、ラフな恰好のままでVIPフロアに案内してもらえることになった。

 喧騒溢れるネオン街から打って変わって物静かな落ち着いた曲の流れる店内に踏み入る。途中通過した一般フロアでは時折恰幅の良さそうな活気に満ちた笑い声が響いており、店内はそれなりに賑わっていた。

 事前に聞いていた通りVIPフロア内は一般フロアとは違い低いパーティションがいくつか設置されていた。だが本当に気休め程度のもので、高さ一メートルにも満たないこの仕切りではいくら平均女性より背が低いワタシの姿でも隠すことは難しいだろう。しかし店側の配慮か、ワタシの席は他の客達よりいくらか遠い場所にセッティングしてくれたらしい。一般フロアに比べて客も従業員もそう多くはないし雰囲気も一層落ち着いている。ここでならばワタシに奇異な視線が向けられることもそうないだろう……と思いたい。

 案内された席につき待つこと数分。彼女――ワタシが指名したシスイと呼ばれる女性が緩やかな足取りで姿を現した。彼女は深く一礼してからワタシの隣に腰掛ける。その間隔が随分と近く、ワタシは距離を取るようにさりげなく尻一つ分彼女とは反対側に移動した。

「いらっしゃいませ。わたくし、シスイと申します。お隣失礼しますね。お名前、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 差し出された名刺は落ち着いた白を基調としたデザインだった。少しラメの入った横型の名刺をパーカーのポケットにしまい、ワタシは改めてまじまじと彼女を見た。

 胸元の開いたピンク色のドレスを身に纏った彼女は写真で見た通りのおとなしそうな女性であったが思いのほか接客には慣れているらしい。固い挨拶も物腰柔らかにこなし、挨拶から客に名を尋ねるまでがスムーズだ。

「名前は雪野銀花」

 一言そう言えば、彼女は可愛らしい営業スマイルで「銀花さん、本日はよろしくお願いします」と微笑んだ。そして自己紹介から動作を止めることなくレザー製の表紙を捲ってメニュー表を開く。

「お飲み物などはいかがなさいますか?」

「適当にシャンパンを頼む。特に好き嫌い等のこだわりもないからきみのおすすめで構わない。可能なら十万以上のものが好ましいかな。きみもなにか好きな飲み物を注文するといい」

 彼女は少し驚いたような顔をしてワタシの顔色をうかがい、それからしばらく困ったようにメニュー表を見つめる。そして少々悩んだ末、「それではこちらを注文しますね」とワタシに確認をとってから遠慮がちにボーイを呼んで注文を済ませた。

「ここでは女の客は珍しいのかい? いやぁ外の看板には女性も楽しめますみたいなことが書いてあったのだがね、キャッチには驚かれてしまったものだから」

「いえ、団体で男性の上司の方に連れられた方や他店のキャバ嬢はそれなりにお見えになりますよ。ですがわたしが担当した中では女性でお一人のお客様は銀花さんが初めてです」

 彼女が遠慮がちに「こういうお店にはよくいらっしゃるのですか?」なんて聞くから、ワタシは思わず苦笑を浮かべてしまった。

「いいや。初めて来た。なんとなくふらっと寄ってみてしまったんだ。看板も女性歓迎を謳っていたし、キャッチも大丈夫だと言っていたからね」

「あぁ、あの、ダイヤみたいな電飾の看板ですか?」

 なんの話をしているのか彼女にもピンときたらしい。眉を小さく寄せて笑っている。

「そうそれ。歓迎を謳うくらいだからワタシが行ったって構わないだろうと思って」 

 そう言えば彼女は小さく吹き出した。ワタシの話は面白かったかと問えば、また笑みを溢し「なんというか、あの看板にも集客効果があったんだなって」と声を抑えて笑った。

 彼女は大きくはだけた服の襟元をそっと整えると「女性の方への接客は不慣れで、ちょっとぎこちないかもしれませんが、どうぞよろしくおねがいします」と小さく頭を下げた。

「ははは。まんまと釣られた身としては少々恥ずかしさを感じなくもないが、まぁなに、きみのお小遣い分くらいは飲み食いさせてもらうよ」

「気にしないでくれよ。きみはワタシの話を聞いて相槌を打ってくれさえすればいい」

「相槌……ですか? 銀花さんはお喋りがお好きなんですか?」

 その疑問は透明で純粋であった。だからワタシも濁っていない返答を心がけたんだ。

「なんだろうね。会話は苦手だけど一方的に話すのはかなり好き」

 ワタシにしては珍しくひねくれていない言葉選びだった。事実であるし、なにより棘のない言い方だ。

「今わたしとしているお喋りも苦手ですか?」

「それが不思議と、きみと話すのは嫌な感じがしないね」
「ふふ、それはとても嬉しいです。ありがとうございます。もしよろしければ銀花さんのお話聞いてみたいです。とても知りたいんです、どんなお話をなさるのか」

 彼女の余裕そうな笑みにワタシはとても意地悪をしたくなった。ワタシは自分より余裕がある人間が好きじゃない。余裕のある他人というものを妬ましくさえ思う。

 だから自分でさえ嫌気がさす話題を発した。

「そうだなぁ。きみは、突然自らの手元に大金が現われたらどうする?」
 私の問いに、彼女は眉を垂れさせて一瞬口をつぐんだ。そしてハッとしたかと思うと急いで再び口を開く。客を前に黙ってはいけないと思ったのだろう。だがしかし、彼女の口が開かれてから数秒は無音が続いた。

「……――と、そうですね。大金が突然ですか、なんの前触れもなく?」

「いや、前触れはあるんだ。けれど突然の出来事と言えばいいかな」

 彼女はまた一段と難しい顔をした。「前触れがあるのに突然……?」と首を傾げる様子はかわいそうにすら見えた。

「例を出そうか。じゃあ宝くじに当たったとしよう。一等の当選金額は破格の億とか、あほらしい値段設定にしておこう。きみは前述の宝くじの一等に当選し一夜にして四十億を手に入れた。勿論仮定の話だけれど」

 彼女は俯いて口元に手を添えながら「四十億……」と呟いて瞳を伏せた。それから間もなくして再び口を開く。

「わたしだったら働くのをやめてのんびり隠居すると思います。金額の規模が大きすぎて全くイメージが湧きませんし、それに年齢的にまだ隠居には早いかと思いますが、四十億だなんて大金なら一般的な範囲でなら遊んで生きていくのも可能かなと感じますしもっと平凡な暮らしを志せばより長くそれなりの生活を営めるかなって」

 彼女は結構堅実だ。この手の商売に手を染めている子はやれブランド物の服や雑貨を買い漁るだとか、誰かの口車に乗せられたり、はたまたあてもなく起業するだとか言い出したりすると偏見のもと思っていたが彼女はそうではないらしい。あくまでも自分なりに長く生きることに注力した設計をしている。

 金の話は簡易的だが素性が読み取れる。今の返答で彼女はワタシが警戒するような人間ではないことがわかった。別にそれが信用に値するというわけでもないが。

「銀花さんは……、銀花さんだったらどんなことにお金を使いますか?」

「え? あぁ、ワタシかい?」

 そうか、そういえばこれは〝会話〟だった。会話というものはお互いに返答を繰り返しながら進めていくもの。そうなれば、彼女がワタシに質問をし返答を促すのも頷ける。

 ワタシは意図してじっくり三秒、間を溜めた。彼女は結構場の空気に流されやすいようで、ぐっと固唾を飲んでワタシをうかがう。

「……きみに使うかなぁ、シスイ」

 真面目に答える気など最初からなかった。彼女もワタシの返答を冗談として受け取ったらしい。うふふと柔らかく、先程までの空気を溶かすように笑った。

「ふふ、もう……また来てくれるってことですか?」

「もちろんだよ。きみはきれいでかわいいからね」

「ありがとうございます」

 彼女はその程度言われ慣れているように余裕ありげに笑みを溢す。ワタシはなんだかその様子に満足できなくて、もう一押しするように言葉を付け足す。

「きみはなにか誤解しているようだ。ワタシは容姿だけの話をしているんじゃないよ? きみは心がきれいで笑顔がかわいいと言いたかったんだ。きみのような生真面目な子はとても好きだよ」

 ワタシは彼女の手を取った。白くて滑らかなシルクを思わせる手の甲に自らの手をあてがって指を絡ませる。

「次も来る。必ず。……きみはきっとワタシのことを胡散臭いだとか得体が知れない人物だと思っているだろうから、ワタシの言葉が真実であることを証明し、きみの笑顔をまた見るためにここへ来るよ。だからまた会おう。次は下世話で意味不明な金の話なんかじゃなく、ワタシが見た景色の話をしよう。約束だ」

 そう言って小指を差し出せば、彼女はまるでそうしなければいけないと決められているみたいにおずおずと自らの小指を差し出しワタシの小指に絡ませた。

「二週間後、必ずワタシはここできみと会う。それは決定したことであり、また運命と呼ばれる事柄だ」

 彼女はワタシの言葉に頷いた。そしてしっかりとワタシの目を見つめる。


「わたし、運命とかロマンチックなことがとても好きなので、銀花さんの言葉を信じていますね。二週間後、また会いましょう」

その言葉が終わると同時にふたりの小指は解かれた。

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