結木真希奈

 幸せとはなんなのでしょうか?

 十四歳のあの子が笑っているのをみると失敗したと思ってしまうのです。彼は幸せで、彼が幸せであれば能代さんも幸せで、能代さんが幸せならば私も幸せであるはずなのに、何故か落胆してしまうのです。

 理由は分かっています。私の頭か心、もしくはそのどちらもがおかしいからでしょう。そうに違いありません。

 私の幸せとは能代さんの幸せで、能代さんの幸せとは彼が彼自身を救うことだと私は思っているけれど、実のところ彼はそれを強くは望んでいない。それは私の導き出した答が不正解であることを表している。

 一体何が正しいことなのでしょうか。私が思うように成すのが正解? 能代さんの願いを叶えるのが正解? 折衷案を模索するのが正解? それとももう一人の能代さんの意見を最優先にするのが正解なのでしょうか。

 思えば私にとっての幸せとは能代さんと出会ってから初めて芽生えたものであったから、そもそもの土台が能代さんありきのものとして確立されている。そんな私に、愛してるとはいえ他人の幸せを考える脳が備わっていると思うこと自体が自惚れに他ならないのではないかと感じて止まないのです。

 あと数分で私は首を吊る。死ぬこと自体は不思議と怖くはなかったけれど、まだ白紙の日記を見下ろすと途端に悲しくなってしまって、残り時間も少ないというのに彼への最後の言葉が書けないでいる。遺書は業務連絡のように難なく書けたけれど、この日記に別れを書くというだけでどうにも筆が重たく感じてしまう。必死に絞り出して綴る文字は全部が全部私の言葉になってしまっていて、最後の文章なんてまるで〝結木真希奈を認めて〟って叫んでいるみたい。

 別れと感謝と謝罪と沢山の未練を書き終えたノートを衣装箪笥の奥に仕舞って、事前に用意していた椅子に立つ。梁から伸びる一筋の縄に首を通すと、そのザラついた質感が肌に触れて少し痒く感じた。 

「ねぇ能代さん、ごめんなさい。私やっぱりあなたのお母さんにはなれないわ。――……結木真希奈として、あなたに唯一愛された女として死んでも許してくれる? 輪廻転生はないのだから大目に見てもらいたいわ」

 あぁ、この思想。所詮私は彼の母親にすらなれなかった、ただの結木真希奈であったと、死ぬ間際になって証明してしまった。

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