小さな××と永遠の幸福を願った××
* プロローグ *
「生世から聞いたよ。能代は小さい頃の記憶が朧げだと」
正面で正座をして厳かな声色で話し出すものだから、まるで俺が説経をされているような雰囲気が漂う。
彼が言うことは確かだった。能動的とは程遠い生活をしていた際の記憶の殆どは抜け落ち、物によっては朧げとも言えないくらい綺麗さっぱり、元からなかったかのように覚えていない。
「能代と離れている時期のことは詳しく知らないのだけれど、まだ小さい頃のことならある程度教えることが出来ると思って。ほら、思い出どうこうというよりも自分の人生を知らなすぎるというのもどうかと思うだろう?」
「別に困ってはいないけど」
断っているとも受け取れるだろう俺の返答を「まあまあ」と一言でいなし、九院能代は数十冊にも及ぶノートを文字通りゴソッと音を立てながら俺の前に差し出した。表紙には数字が書かれており連番になっている。そのノートに俺は覚えがあった。
「交換日記が、なに?」
これは亡き母結木真希奈と目の前の男──俺の父──九院能代との間で交わされていた日記で、内容自体には特に変わったところはなく、日々の出来事を伝え合うために用いられていた代物だ。
「能代が俺と真希奈と三人で久安明で生活していたときの日記を持ってきた。これに書いてあることなら俺にも説明が出来るし、さっぱり覚えていない自分の過去の出来事を改めて知るというのも良いんじゃないかな」
余計なお世話だなと思った。口には出さなかったが。
だがしかし、その内容には少なからず興味があった。けして自分の過去が気になったからではない。それというのも、育児をしている彼らが上手くイメージ出来なかったからだ。九院はまだしも親らしい結木真希奈は俺にはさっぱり想起出来なかった。
「そこまで言うなら話くらいは聞くけど、あまり長くならないようにして。日が暮れるのが早いから六時を過ぎたら辺りが真っ暗になる」
俺は釘を刺しながら時計に目を向けた。日が落ちるまでに帰省を終えてここを出る予定だが既に時刻は午後三時を示しており、年を越してすぐの一月初旬の日没時間を考えると、思い出話に花を咲かせた九院能代が喋り倒して帰り時を逃すことが目に見えていた。
「わかったわかった、急ぎながら手短に話そう。それじゃあどの話からにしようか」
先を急いでいるとは思えないゆったりとした動作で九院能代は冊子の山の一番上から一冊手に取るとページを捲った。
「よし。それじゃあ最初はこの話にしようか。俺のお気に入りだ」
* アイスクリーム *
『今日は能代と街の方にあるショッピングモールへ行きました。玩具屋さんではブロックパズルを買い、お昼はフードコートでうどんを食べました。やっぱり能代は俺に好みが似ているようで、トッピングのイカの天ぷらを半分にして分けてあげると美味しそうに頬張っていました。
ここからが是非聞いてもらいたい話なのだけど、うどんを食べてお腹も膨れたところでそろそろ帰ろうと支度を始めた頃に能代が珍しくわがままを言い出したんだ。なんでも目の前にあったアイス屋さんが気になったみたいで、騒いだりはしなかったけれど「アイスを食べるまで帰らない」という風に椅子にしがみついて抵抗していました。それがあまりにも可愛かったので俺は負けて能代を連れてアイスを買いに行ったわけですが、どの味が良いかと聞いてみれば「わかんない」と言う。不思議だろう? 「食べたいものがあったんじゃないの?」と聞けばそういうわけではなく、話してくれた理由を要約すると二個重なっているアイスが食べたかったということらしい。
ただでさえ普段言わないわがままで癒やされたというのに二段のアイスが食べたくてそれを言っていたという事実があまりにも可愛くてね。つい買っちゃったよ。二段のアイス。
結局二つは小さな能代には多すぎたみたいで、何口か摘まんだあと俺に差し出してきたから残りは全て俺が食べさせてもらいました。
次は真希奈も一緒に買い物に行こう。そろそろ衣替えのために服を買い足した方がいいだろしね。そうしたら今度は真希奈にも珍しい能代が見せられるかもしれない』
『楽しいお買い物になったようで私も嬉しいです。本当に、あの子がわがままを言うなんて珍しいですね。よほど気になったのでしょうね、二段重ねのアイスが。次にお買い物に行くときには飽きてしまっているかもしれませんが、もしまた見れたら運が良いと思いましょう。
ですが能代さん、甘やかしすぎはいけないと思います。あまり可愛い可愛いとわがままを受け入れていてはいつか痛い目を見ますよ。甘やかしも程々にです』
― * ―
「文章を読んでもらった通りなんだけどね。それは能代が人生初二段重ねアイスを食べた日の日記です。かわいいだろう」
九院能代は瞳を閉じて笑みを浮かべながら「かわいい」という自身の声に何度も深く頷いている。
まぁ確かに実の息子が普段言わないわがままを言い、その理由が二段重ねのアイスが食べたかったからだというのは和やかで心温まるエピソードかもしれないが……。
しかし不思議なものである。全く身に覚えがないことを「お前はこうだった」「こんなにも可愛い幼児期があった」と当たり前のように語られることは実に初めてであったし、こちらとしても反応に困る。
「母さん抜きで出掛けるとこは多かったのか?」
「いや、とても珍しかったね。そもそも能代も俺も久安明から外に出ること自体があまり多くなかった。買い物は真希奈か他の人がしてくれていたしね。それも相まって嬉しさのあまりこんなにも長い文章を書き連ねてしまった」
九院能代の顔は綻んでいた。そして俺の顔を見るやいなやなにか閃いたように両手を打ち鳴らす。
「今度アイスを食べに行こうか。二段のやつ」
「それで俺が喜ぶと思っているのならあんたは父親として以前に人としてどこかずれている」
「違うよ。俺が喜ぶから行きたいんだ。親孝行だと思って、ほら」
「いや、どんな親孝行だ。そもそも親孝行なんてもの、今まで縁がなかったのだから突然言われても──」
そこで九院能代は声を上げて笑った。
「やっぱり君は俺の息子だ。確かにね。俺にも分からなかったよ、どんなことが親孝行にあたるのかなんて。実際ただの一度もそんなことしなかったし出来なかったからね。でも今となっては親が喜ぶことならなんだって親孝行になるって分かるんだ。だから能代と俺が二人でアイスを食べるということは充分親孝行なんだよ」
いつか能代にもそれが理解出来る日が来ると良いとノートに笑いかけながら九院能代は手元のそれを閉じて脇へ置き、また冊子の山の上からノートを一冊手にした。
「さて、それじゃあ次はこの話にしようか」
* パパ *
『今日は能代にパパと呼んでもらいました。こんなことを書いたら真希奈はきっと彼を叱ろうとすると思うけれどそんなことは絶対にしないでほしい。これはあくまで俺が[[rb:強請 > ねだ]]ったことだ。本来何か物申すべき相手が九院能代であることくらい頭の良い君なら理解出来ているはずだ。
真希奈は俺が能代の父親だということを彼に対して頑なに隠匿しているから彼が進んで俺をパパと呼ぶことはない。それは俺にとってとても辛いことだ。俺も他の父親のように子供から父親として扱われたいし同じように真希奈のことも母親として扱ってほしい。けれどそれを真希奈は望まない。今までそれに対する譲歩はしてきたつもりだ。だから今回は真希奈が俺に譲って欲しい。前置きはこの辺にして本題に移ろうか。
実は以前能代に「パパってなに?」と聞かれたことがあった。それは他の子供が発していたのを耳にしたことが切っ掛けだった。その時俺はお父さんのあだ名みたいなものだよと説明したのだけれど能代はそれもよく理解出来ていないみたいだった。
そして今日、真希奈が出掛けている間に二人で観た子供向け映画のワンシーンに主人公が何度もパパと発言する場面があったんだ。それを真似て能代も「ぱぱ」と発音することを試みていた。普段あまり発しない言葉を喋るのは楽しかったらしく、映画を見終わったあとも何度かそれを呟いていたから、つい「俺にパパって言って」と頼んでしまった。
ここで言い訳を一つさせてもらうね。仕方がないじゃないか、パパと発しているのは聞けているものの、視線はテレビだったり玩具だったりを見ていて一度も俺の目を見てそれを発してくれなかったんだよ。俺だって面と向かってパパって呼ばれたかったんだ。
話を戻そう。俺の頼み通り、彼は俺のことを「パパ」と呼んでくれた。それも楽しそうに微笑みながら。その姿はとても可愛らしく天使かと錯覚するほどだった。久安明にくる他の子供達も勿論可愛いけれど、やはり自分の子供は一際愛らしいなと思った。
能代に「パパって呼ぶのは楽しい?」って聞くと「パがおもしろい」と拙く教えてくれた。確かにパ行ってあんまり発音する機会ないよねと納得出来てしまって、子供は意外によく考えているなと感心した。
だがしかし流石に延々とそれを言わされていれば子供なんてすぐ飽きるわけで、能代を膝の上に乗せてパパと呼ばれる時は大変至福だったがそれも長くは続かず、彼の中の『パパブーム』が終わると同時に一切呼ばれなくなったというちょっと悲しく寂しい最後を迎えた。
ビデオとか撮っておけば良かったなと後悔したが、そういえば俺はビデオカメラすらろくに扱えなかったとふと思い出して自らの技術力の無さをとても恨んだ。
昼寝する彼の寝顔を見ながらもう一度呼んでくれないかななんて思ったけれど何だかどうにも叶わない気がして、感傷に浸りながらこれを書いています。
不思議に思うのだけど、真希奈はママって呼ばれたいとは思わないの? 頑なに君は自らのことを真希奈と呼ばす。たまにはママって呼ばれるのも良いんじゃないかなと思うよ』
『今日はそんなことがあったのですね。能代さんが危惧しているような怒り方はしませんよ。あなたが望み頼んだことなら尚更です。能代さんが幸せなら私も幸せですもの。けれどあの子が進んでパパと呼ぶようになったら事は別です。そうしたら相応の対応をすることを事前に記しておきます。
ママと呼ばれたくはないのかという問いですが、特にそのようなことを考えたことはなかったですね。私は能代さんに呼ばれるようにあの子にも呼ばれたいですから。
けれど能代さんがパパママと呼ばれる親子に憧れがあると言うのでしたら少しばかり検討してみます。それでもきっと、私は真希奈って呼ばれた方が嬉しいと思いますが』
― * ―
「待て、これは俺がいくつの時の話だ?」
「多分二歳も後期に差し掛かったくらいかな?」
「そんな時から真希奈って呼ばせていたのかあの人は」
「そうだね、正確に言えばもっと前からだけど。一般的に親が子供に最初に教える単語はママやパパだと思うけど、彼女が教えたのは「能代さん」と「真希奈」だったからね」
「幼児の俺はあんたのことを能代さんと呼んでいたってことか? かなりややこしいだろうそれは」
「うん。でも小さな能代はそれを疑問に思うことなく順応していたよ。俺はかなり混乱したけど」
九院能代は苦笑を浮かべながら頷いた。
「なんだか、父親のことを一切思い出せなかったのも不思議じゃなかったって気がしてきた」
「そうだね。彼女は呼び方だけじゃなくて俺が父親だという事実すらも隠していたから、俺と過ごしていた五歳までの君も、俺のことは一緒に住んでいる謎の男性くらいにしか認識していなかったと思うよ。大変悲しい憶測だけど見当違いじゃない気がしてならない。まぁなんというか、一般的な内縁の夫ってそういうものなのかもしれないと、今なら諦め気味に解釈できるよ」
九院能代は伏し目がちにノートへ視線を落とし、結木真希奈の文字を指先でなぞってからそれを閉じた。
「次はもう少し大きな能代の話をしようか。五歳の君のことなら何か記憶の片隅に残っているかもしれないしね」
* 金の王冠 *
『今日は能代からプレゼントを貰いました。どうやら定例会議の間に作ったみたいです。紙飛行機と、厚紙と金色の折り紙で作られた王冠なのですが、どちらもとても良く出来ていて、ブロックパズルとか工作とかが好きな子だから手先が器用なことは知っていたのだけど、あれだけ丁寧なものを拵えることが出来るなんて凄いなと思いました。将来は何か物を作る仕事に就くかもしれないな、なんて数十年後のことに思いを馳せたりしてしまった。
紙飛行機は須田家の明道に教えてもらったらしくて、俺の知らない折り方で折られた物だった。初めて知ったのだけど紙飛行機の折り方にも種類や名称があるんだって、明道が教えてくれた。今回能代が教わったものはシャトルというらしい。俺も今度能代と明道に折り方を教えてもらおうと思う。でも見た感じとても複雑そうな作りなんだ。不器用な自覚があるので果たして俺にも作ることが出来るのか、とても不安です。
そして王冠なのだけど、何で王冠を作ろうと思ったのかを聞いたら「みんなが九院様って呼ぶから王様だと思った」と言っていた(様がついていたら王様という発想は実に子供らしくて可愛いね)。なんでも絵本で見る王様は皆一様に頭に王冠を被っているのに俺がそれを身に着けていないことが疑問だったらしい。それでわざわざ能代自ら丹精こめて作ってくれたというわけだ。
能代の言うところによると王冠には王様と作った人しか触ってはいけないらしくて、明道がそれに触ろうとするととても厳しく注意(といってもダメ! って大きな声で言うくらいなんだけど)していた。
真希奈にもこのノートを渡すタイミングでその王冠を見せるね。本当に良い出来なんだ。一生宝物にする』
『今日は明道くんに遊んでもらっていたのですね。外遊びが好きな明道くんが部屋に残ってあの子に折り紙を教えてくれたなんて、なんだか和やかですね。折角だから私も今度一緒に教えてもらおうかしら。
見せてもらった王冠とても凄かったです。嬉しそうにそれを被って見せる能代さんも素敵でした。これはなにかあの子にお礼を考えなければいけませんね。なにが良いか二人でこっそり考えましょう。
王冠には王様以外触ってはいけないということでしたが私が触れても大丈夫だったのかなと少し気にしています。私も怒られてしまうのかしら。でも可愛く叱られるのならそれはそれで良いのかもしれません』
― * ―
須田明道と紙飛行機……、そして金色の折り紙──
「ん? この話には心当たりがあるの?」
察しが付いた顔をしていると九院能代は微笑んだ。
「いや、俺自身は全く覚えていないのだが、以前須田から少しだけ聞いた。親が会議に行っている間、折り紙五パックと画用紙とのりだのハサミだのを渡されて放置されたと」
九院能代の微笑みが苦笑に変わる。
「言い方に棘があるところが本当に明道が言ったんだなって感じがしてとても現実味があるなぁ」
遠い目をする九院能代は気を取り直して次の話をしようとノートのページを捲る。俺はすかさずそれを止めた。
「外、もう暗くなってきてる」
九院能代は窓の外を見た。空に浮かぶ夕日はかなり沈み、室内灯を消してしまえばノートの文字が読めなくなってしまいそうなほど日が暮れていた。
「あぁ、もうそんな時間か。この歳になると時間が経つのがあっという間で困ってしまう」
落ちていく夕日を恨めしそうに見つめて、九院能代は開いていていたノートを名残惜しそうに閉じた。
「続きはまた今度にしよう」
「次いつ来るかなんて分からないだろう」
「来ようと思えばいつでも来れるんだろう? 生世が言ってた。まあ生世も別の誰かから聞いたって言っていたし、又聞きだけどね」
俺が時間を持て余していることを知っているやつなんてたかが知れている。恐らく途草だろう。
「まぁいいよ。いつでも来れるのは本当のことだし、定期的に様子を見に来るつもりだったから」
俺の返事を聞いて九院能代は安心しきったように顔を綻ばす。
「それは嬉しい。まだギリギリ四十代だけど本当にいつ死ぬか分からないからね。出来れば沢山会いに来てもらいたい。久安明の人間にも能代が来たら通すように伝えておくよ」
九院能代は席を立つ。俺もそれに続いた。
「次はいつ頃来れそうかな」
「月に一度とは言えないが二月に一度くらいなら安定して来れると思う」
「それじゃあ次は三月くらいには会えるんだね」
久安明の脇にある空き地に駐車した車に乗り込み窓を開けて九院能代に別れを告げる。俺がそれを言い終え、エンジンを掛ける寸前に九院はまた話し出す。
「もし三月の終わり頃に来れそうなら、その、一緒に写真が撮りたいのだけど」
そして空き地に植え付けられた花も葉もない木を眺めた。
「ほら、入学式とか卒業式とか、俺は参加出来なかったから。それを取り返すみたいに一緒に写真が撮りたいんだ」
その頼みを断ることだって出来た。だが俺はそうしなかった。なんというか、一度だけでもしてみるべきだと思ったのだ。親孝行とやらを。
「……分かった。久安明にカメラはある?」
「とても古いデジカメなら。当分使っていないから動かないかもしれないし、俺は操作の仕方が分からないけれど」
そういえば日記にもビデオカメラが扱えないと書いてあったなと思い出した。荷物を増やすのは本意ではないが、まぁ致し方ない。
「カメラも三脚も俺が持参する。だから何も用意しなくて良い」
九院能代は何度も夢で聞いた柔らかな声で礼を言った。それを耳に入れたあと俺はやっとエンジンを掛けた。
車を発進させてフロントミラー越しに後方を確認すると九院能代は寂しそうに小さく手を振っていた。それをただ見ているのもなんだったから、俺は小さく左手を挙げてやる。それは特に意味のない、同情でも別れを惜しんでいる訳でもない、ただの挙手であったが、もう一度視線をミラーに向けると九院能代は嬉しそうに先程よりも大きく手を振っていた。
俺とそっくりな顔をしたやつが俺が絶対にやらないであろうリアクションをしている様がおかしくて、思わず吹き出した。
― * ―
『真希奈へ。念願叶って能代と一緒に年を越すことが出来ました。生世や明道にはこれまで以上に感謝しなければいけない。そして亜利紗さんには悪いことをした。彼女はきっと能代を取り上げたと怒っていると思う。
二人で古い日記を読んだよ。昔の自分のことを聞かされるのは不思議な感じがしたみたいだったけど、彼の表情は俺の目には楽しそうに見えた。実際にそうだったらいいな。
また帰省してくれるって言っていたから今度は真希奈と二人で住んでいた頃の能代について日記を読みながら教えてもらおうと思う。それは能代を理解することにも?がるし、真希奈のことも知れて、今まで以上に君達二人のことを愛せるようになると俺は信じている。
それと、一緒に桜の木の前で写真を撮る約束をしたよ。もしかしたら断られるかなと思っていたから承諾してもらえてよかった。能代と写真を撮る夢はこれで叶いそうだ。当日の服を今のうちに決めようとか写りをよくする方法を生世に聞こうとか、年甲斐もなくまるで遠足前の小学生のようにわくわくしているよ。だけど、三人で写真を撮ることは絶対に出来ないと再認識するとやっぱりかなり苦しくなる。今の能代と今の俺と、そして今の君と三人で家族写真が撮りたいと、無理だと分かっていても思ってしまう。きっと俺はいつまでもそれを夢見続けるだろうね。
真希奈と過ごすことはもう出来ないし、君は天国も地獄も来世も信じていなかったから来世でよろしくともあの世で見守っていてとも言えないけれど、君としたかったことや俺の事や能代と過ごす日々はこれからもノートに綴るから、だから、なんというか、楽しみにしていてください。今日も愛していました。明日も愛しています。能代を産んでくれてありがとう。 九院能代』
彼女の返事が返ってこない日記へ今もその日あったことを書き連ねている。
あの年の七月十九日から随分と期間を空けてしまったから、それを取り戻すかのように日々の出来事を綴る。今の俺にはそれしか出来そうになかったから。
今の俺を見たら真希奈はなんて言う? これからも日記を書いて欲しいって言うかな? それとももう書かなくていいと言うかな。
そんなことで悩むあたり、俺という人間はまだ真希奈のことを理解出来ていないのだろう。息子である能代だって彼女のことを理解出来ておらず、彼女自身ですらもきっと結木真希奈という女を理解出来ていない。
能代が俺の元を訪れて来たのも真希奈の遺書と日記を届けるためだった。それは真希奈が俺の元へ能代を引き寄せたとも解釈できる。要するに真希奈は〝能代に会いたい〟という俺の願いを亡くなってもなお叶えたのだ。
彼女は永遠の無になっても俺の幸せのために機能する存在であり続けている。彼女がその、俺を幸せにするという性質を働かせ続けている間、俺は幸せであるはずで、俺が幸せであるということは即ち真希奈の幸せも続いているということになる。
真希奈は今、無であり永遠である。その永遠を持続させ続けなければ彼女はただの無になってしまう。それだけはあってはならない。俺がそうさせない。そのために俺は真希奈から幸福を与えられ続け、真希奈に上書きされた呪いに掛かり続ける。
七月十九日のページを開く。綺麗な細い文字で綴られる言葉の数々を読み返すたびに彼女への想いが溢れて、掬って元に戻すこともままならなくなる。この日記は彼女の存在を証明する大切な宝物だ。
『輪廻転生はないのです。だからもう二度と私と能代さんが出会うことはないです』
来世はないから今世で沢山思い出を作ったね、きっとそれでいいんだよ。君はいつだって正しい。
『私は今確かに幸福を身に感じています』
そうか、怖かったかもしれないけれど確かに君が幸せだったのなら俺も幸せだ。
『結局のところ私は能代さんに幸せを与えられる女になりたかったのかもしれません』
大丈夫だよ。君は俺の人生で最も俺に幸せを与えた女性だ。沢山幸せを教えてくれてありがとう。
彼女の最後の言葉はどれも悲しげで儚かった。俺は彼女に読まれる事は無いと知りながら、その全てに返事を書いた。ただ一つの願いを込めて。
今日も明日も明後日も、来年も十年後も、世界が終わっても、彼女の幸福と存在が永遠でありますように。